自燈明・法燈明の考察

立正安国論について②

 さて、先の記事では立正安国論の周辺について書いてみました。今回は少し内容について書き進めてみたいと思います。

◆正嘉の大地震の惨状
 日蓮か時の幕府に対して物申そうと思うきっかけとなったのは、先の記事にも書きました「正嘉の大地震」であったと言われています。では当時、どの様な情景が日蓮の眼前に広かったのでしょうか。これは恐らく立正安国論冒頭に綴られた情景だったのでしょう。

旅客来りて嘆いて曰く近年より近日に至るまで天変地夭飢饉疫癘遍く天下に満ち広く地上に迸る牛馬巷に斃れ骸骨路に充てり死を招くの輩既に大半に超え悲まざるの族敢て一人も無し」

 立正安国論とは、十問九答という形式で書き記されています。旅客が質問して、それに対して主人が答えるという流れで、最後の十番目の旅客の問いは、そのまま旅客の決意となっています。
 安国論の冒頭にあるのは、旅客が世の中の惨状を嘆きながら語る事から始まるのですが、この惨状が凄まじいの一言です。

 確かに鎌倉時代で日蓮が生きていた時代には、様々な災害が世の中に溢れかえっていました。天変地夭とは異常気象や地震等の事でしょう。これにより農作物は不作が続き、結果として農民は重い税を取られたら食べるものが無くなり餓死する人も居たでしょう。また栄養状態が悪くなれば当然、社会の中には様々な病気が広がり、伝染病も猛威を奮っていたと想います。
 立正安国論を著す以前に、幼き頃の日蓮は「日本一の智者にして下さい」と、虚空蔵菩薩に祈ったのも、恐らく幼い頃から悲惨な状況を見てきた事からかもしれません。ただでさえ悲惨な状況が見える社会であったにも関わらず、そこに大震災が襲い来て、当時の大都市である鎌倉の市中も阿鼻叫喚の姿を現したのではないでしょうか。

 鎌倉市中の至るところに、牛車を引く牛や武家の乗馬していた馬、また荷車を引く牛や馬も斃れていて、季節は旧暦の八月ですから恐らく暑い日も続き、その死体は腐り、腐臭を放っていた事でしょう。また地震で倒壊した家屋の下敷きとなり死んだ人、また震災後の衛生状態の悪化により伝染病も流行、そしてそれらの死体もあちらこちらにあって、一部は白骨化までしていたのではないでしょうか。「牛馬巷に倒れ骸骨道にみてり」とはそんな情景を表現しています。またそんな中、死にそうな人達が街中で溢れかえり、嘆いていない人は誰一人としていないというのです。

 日蓮は鎌倉で既に数年間に渡り生活をしていました。生活していた街並みがその様になったとき、一体どの様な事を考えたのでしょう。これが同じく安国論にある以下の言葉ではないかと思うのです。

観れば夫れ二離璧を合せ五緯珠を連ぬ三宝も世に在し百王未だ窮まらざるに此の世早く衰え其の法何ぞ廃れたる是れ何なる禍に依り是れ何なる誤りに由るや。」

 朝には太陽が昇り、夜には月が出る。また星の運行も狂っていないのに何故なのか。当時は社会の乱れは太陽や月の運行、また星の運行にも凶兆として現れる筈なのに、そんな事は微塵もなく。また応神天皇は後の百代の王(天皇の時代)を守ると述べていたのに、百王にも未だなっていないではないか。何が一体間違っていたのか、どうしてこの様な悲惨な社会になってしまったのか。

 この旅客の問いそのものが、日蓮の思いであったと思うのです。

◆経典の引用の意味
 この客人の嘆きに対して主人は結論を始めに語りました。

倩ら微管を傾け聊か経文を披きたるに世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る言わずんばある可からず恐れずんばある可からず。」

 ここで主人は、経典を読み込み調べ考え抜いた結論として、社会の人達が正しい事に背いて、悪に帰依した事が原因だと語ります。そしてその結果、本来は国を護るべき諸天善神が国を捨て去ってしまい、国を良い方向に導く聖人も去ってしまった事をかたり、そこに鬼や魔物等の魑魅魍魎が入り込んで、この国に多くの災いを起こしているのだと語るのです。そしてこれこそが、日蓮の考えた災害に関する結論でもありました。

 この結論に対して、実は考えなければならない事が幾つがあります。立正安国論の講義は、私も若い頃には幾つか創価学会の中で聞いてきましたが、多くは「法華経を捨て去ったから」とか「念仏宗や邪宗が蔓延ったから」という事だと言い、だから御題目を唱え、創価学会等では学会活動に取り組む事の大事さを語りだしたりします。また創価学会の会員である国会議員を選挙で多く国会に送り出す事で、世の中を正しくしていけるなんて理屈も付けたりしてました。

 これは正直、思索の手抜きも良いところですね。あまりに講師の思索が足りない講義ではないかと。私はそう思いますよ。
 
1、正に背き悪に帰す
 まずこの御書の題号にもなっていますが、「正を立て」ともいう正とは何なのでしょうか。単純に法華経を持つ事が正しい事なのでしょうか。また悪に帰すとは何を言うのでしょうか。例えはこの御書には有名な御文があります。それは以下の文です。

「仁王経に云く「国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱る賊来つて国を刧かし百姓亡喪し臣君太子王子百官共に是非を生ぜん、天地怪異し二十八宿星道日月時を失い度を失い多く賊起ること有らん」と」

 ここで言う「鬼神」とは何を言うのか、これを単に「思想の乱れ」と言いますが、鬼神が何故思想という単語に直結するのか、説明する人はいません。これについて調べてみると、古代中国の老子の教えの墨家思想というのがありますが、そこでは社会の悪を食らうという鬼神について述べられています。恐らく仏教が中国に土着する際に、この老子思想が混入し、仁王経において語られる事になったのかもしれません。ここから考えると「鬼神」とは「社会の善悪の基準の乱れ」と考えることも出来るのです。

 当時(鎌倉時代)というのは政祭一致の社会です。現在の様に政教分離の原則なんてありません。幕府が政(まつりごと)を行うに際して、仏教僧は評定にも出席、意見を述べるだけではなく、加持祈祷も行いました。また陰陽師に幕府の重臣が意見を求める事もあったでしょう。

 日蓮のいう「正を立てる」とは、そういう当時の社会の治世の根幹である仏教の「正しい理解、解釈」を求めたのではありませんか?
 立正安国論では徹底して念仏宗を批判していますが、それは他力本願とか阿弥陀仏に依存するとか言う話ではなく、その開祖の法然が、法華経を蔑ろにしている思想を広めたからであり、日蓮の主張とは、仏教は法華経を中心として理解しなければならない。この仏教の解釈をもって、仏教を本来の正しい姿に戻すことを主張したのでは無いでしょうか。

 よくこの立正安国論の主張をもって日蓮を独善的という指摘をする人もいますが、日蓮が求めたのは、要は社会の根本の思想の原理原則を理解し、それに立ち戻る事を「立正」という言葉に託したのであり、単に日蓮独自の考えを打ち立てるという考え方では無かったと思いますよ。




クリックをお願いします。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日蓮仏法再考」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事