今日は天気もよく、比較的過ごしやすい陽気ですね。
Twitterではちょくちょく呟きましたが、先週から「エデンの神々」や「エイリアンインタビュー」などの本を読み、それに触発されて少し人類史の概観について、調べ考えています。
私は自分の過去の事(創価学会で活動家していた事)の経験から、宗教というのは、実は人類にとって大きな脆弱性なのではないかと考えていました。宗教自体、その取り組み方によっては、人生の大きな支えにもなりますが、やもするとそこに精神的な依存を大きくし、気が付けば「殉教」だとか「師弟」という人間関係に縛られ、心の自由すらままならなくなるという事も、よくある事です。
中東あたりでは、イスラム教に殉教する「聖戦(ジハード)」では、自爆テロ行為すら美談化されてもいます。
創価学会でも、例えば上場企業の管理職や、校長または教育委員会の人、またいわゆる学者という、いわば常識人や知識人とも思える人達も、今の創価学会の指導性には疑問すら抱かず、真面目な顔して組織的な矛盾を指摘しても「ご本尊様はお見通し」とか「池田先生はご存知だ」なんて事で、問題の本質すら目を向けようとしません。
人間とは宗教を前にすると、これほど愚かになるのか。
そんな事を感じています。
この原因はなんなのか。そんな事を思いながら、先の本を読んでみると、実はこの様な人間の持つ宗教に対する脆弱性とは、人類の創生に遡って、組み込まれたものではないかと思いました。
では具体的にどんな事なのか、ここからは先の書籍に共通する内容から、少し書いてみたいと思います。内容的には極めて胡散臭く感じるかもしれませんので、まあ興味のある方だけ読んでください。
「エデンの神々」と「エイリアンインタビュー」は、共に著者や編集者は、協調して執筆されたものではありません、「エデンの神々」はアメリカの弁護士が、戦争の根源的な問題を掘り下げる中で、判明した事を書いていましたし、エイリアン・インタビューの編集者者は、もともとUFO関係のジャーナリストで、その内容の元ネタは、既に故人となっているマチルダ・オールドネル・マックエルロイという、元アメリカ陸軍看護師(曹長待遇)によるメモでした。
これらふたつの本に共通していたのは、人類とは地球外知的生命体により、労働力の肩代わりの為に、品種改良されて創造されたという説でした。
「エデンの神々」によれば、シュメール神話にある、アヌンナキという神が、人類を作り出したとあり、そこには元々地球上にいた種族であるホモサピエンスを元に、遺伝子改良を加えて創造されたという大胆な仮設を立てていました。だから今の人類とは「ホモサピエンス・サピエンス」とも言っており、苦役に従事する事が定められたと言うのです。
また「エイリアンインタビュー」では、陸軍看護師であったマチルダ女史が、かの有名なロズウェル事件(UFOが墜落し、アメリカ軍が機体と死体、また生存したエイリアンを回収したと言われる事件)で、生存したエイリアンの付き人、また通訳者(通訳とは言ってもテレパシーによるコミュニケーション)としての経験が書かれていますが、そこで生存したエイリアン(「エアル」と呼ばれていました)から聴取した内容に、「(一部の)人類はシュメール文明でアヌンナキと呼ばれる地球外生命体から作られた」という記述がありまし。
そして従順な労働力として人類を利用する為に、地球外生命体は自らを「神」と見せ、人類との中継ぎを行う人類の一部を「神官」として、要は宗教心を手段として利用して、人類をこき使ってきたという事だったとありました。
要は調教されてきたんですね。長い時間をかけて。
そしてこのシュメール神話には、アダムとイブの創世記や、バベルの塔、またノアの洪水の様な説話も既に存在し、そこからエジプト文明へ伝播する中で、旧約聖書が作られ、ユダヤ教やキリスト教、またイスラム教へと発展したとありました。
また同時期にアーリア人のインド北西部への侵略に乗っかり、メソポタミア文明やインド固有の文明にも影響を与えたというのです。この辺りはエデンの神々の中に概要的に書かれています。
実はこのインド北西部のヒマラヤ山脈山中に、アヌンナキとは異なる地球外生命体の侵入があり、それがヴェーダ讃歌の中にある天空で起きた戦争の逸話の元になっているという事が、マチルダ女史の「エイリアンインタビュー」に書かれており、これらの事で古代インドのバラモン教が発生したとあり、さきのシュメール文明と共に、仏教にも少なからず影響を与えたとありました。
これら2つの書籍に書かれている内容は、もう少し比較検証を私自身、進めたいなと思っていますが、私が経験値から感じた「宗教」という事に、とても親和性のある内容であったことから、個人的にとても興味を持っているのです。
ここまで簡単に概略をまとめましたが、これらは今の段階で「奇譚(奇妙なお話)」というレベルでしかありませんが、これからも個人的に考察を進めていきたいテーマとなっています。
人類の歴史で、特に古代史については、未だ多くの事が判明していません。様々な学者が様々な学説を立てていますが、確定したものは一つもないのです。そういう意味では「奇譚」と言われる話の中にも、もしかしたら事実に親しい事柄もあるのかもしれませんね。