宜秋門院丹後
都をば天津そらとも
聞~ざりき
何ながむ
何ながむ
覧雲のはた
て
を
身はの山いかに待見むとしふとも
尋ぬる人もあらじとおもへば
新古今和歌集 羈旅歌
和歌所歌合に羈中暮といふことを
身はの山いかに待見むとしふとも
尋ぬる人もあらじとおもへば
新古今和歌集 羈旅歌
和歌所歌合に羈中暮といふことを
宜秋門院丹後
都をば天つ空とも聞かざりき何ながむらむ雲のはたてを
よみ:みやこをばあまつそらともきかざりきなにながむらむくものはたてを
都をば天つ空とも聞かざりき何ながむらむ雲のはたてを
よみ:みやこをばあまつそらともきかざりきなにながむらむくものはたてを
備考:
卿相侍臣歌合
古今集
仲平の朝臣あひしりて侍りけるを、離かれがたになりに
ければ、父が大和の守に侍りけるもとへまかるとて、よ
みてつかはしける
伊勢
みわの山いかに待ち見む年ふともたづぬる人もあらじと思へば
みわの山いかに待ち見む年ふともたづぬる人もあらじと思へば
備考:
公任三十六人撰、俊成三十六人歌合、時代不同歌合、女房三十六人歌合
考察
新古今の丹後と古今の伊勢の歌が並んでおり、伊勢の名は無い。三輪山の歌は多くの撰集に撰歌されているが、丹後の歌の撰歌は無い。一方は羇旅歌であり、一方は恋歌であるので部類も異なる。
時代不同歌合では、丹後は二十七番右、伊勢は二十八番左と近いが歌が共に違っている。
女房三十六人歌合は、番組は遠い。
連歌師玄珎
里村玄陳 さとむら-げんちん
1591-1665 江戸時代前期の連歌師。
天正19年生まれ。里村玄仍(げんじょう)の長男。慶長14年安芸広島藩主福島正則の和漢連句の作者にくわわるなど,おおくの連歌会に出席した。画もよくし,和泉堺にすんだ。法眼。寛文5年1月5日死去。75歳。別号に一翁。
1591-1665 江戸時代前期の連歌師。
天正19年生まれ。里村玄仍(げんじょう)の長男。慶長14年安芸広島藩主福島正則の和漢連句の作者にくわわるなど,おおくの連歌会に出席した。画もよくし,和泉堺にすんだ。法眼。寛文5年1月5日死去。75歳。別号に一翁。
デジタル版 日本人名大辞典+Plus
冷泉家の定家の書風を習い、定家流能書として認められる。
「あら」たが、やや一致。
「後」の右片、「き」、「ぬ」、なが「む」、「の」が一致する。
しら「雲」がやや一致。
「あら」たまが、やや一致。
令和元年12月22日 弐