パンの仏道日記

仏道の思いを自由気ままに、勝手に記す。
時事問題を考える。市民運動を推進する。

死を学ぶ

2009-10-20 02:32:40 | 仏教
クリシュナムルティは死は愛だといった。
マザー・テレサも自己放棄は愛だといった。
大乗も、身命財を捨てることが法身を得ることだという。
われわれは、日常において、自己犠牲や身命財を捨てることは普通の人には到底できないだろう。もちろん、私もそうだ。

しかし、われわれは、祈りや禅定においては、比較的に簡単にそれをすることができる。
禅定とは、自己放棄であり、何もしないことだ。それがそのまま、玉城康四郎のことばでいう、如来のひとり働きとなっている。法身が働き、輝き光る。
だから、禅定とは死を学ぶことである。死は愛であり、涅槃であり、法身である。
禅定において、死を学ぶことは、浄化でもある。ひたすらの浄化である。われわれを清めてくれる。捨念清浄とはそのことである。われわれはその清浄をありがたく身に頂戴すべきである。
このことはわれわれのようなごく普通の人間にも可能である。これはとてもありがたいことではないか。弥陀の力はすべてのものに至り届いている。いかなるひとも救われる。いま、この身をもって、そのことを知ることができるのだ。
われわれもそうしよう!ひとりでも、多く人がそれを身をもって知ることができるようにと切に願う。