
インド人の苦しみを全て表すヒンドゥー教の女神チャームンダー (2005/01/22 National Museum, Delhi, INDIA)
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Chamunda.jpgより。
http://i-otter.hp.infoseek.co.jp/kami/k_bti.html
チャームンダー Camunda インド
七母神の一。ヤマの妃とされる。痩せて骨ばかりの体で歯を剥き出し、舌を長く伸ばし、髪を逆立てている。墓場などの不浄な場所に住み、梟に乗る。不気味な笑い声を立てて魔神たちの闘争心を恐怖に変えてしまう。
又、人々の苦痛を引き受けるとされる。
今日、仏教学者・森雅秀さんのHPを見つけた。チャームンダーについて説明されている。以下に引用する。
カーリーとよく似た神にチャームンダーという女神もいます(図18)。ふたりの神は同一であると考える人々もいます。チャームンダーも恐ろしい神で、天然痘の神であるとも言われています。その姿はやはり痩せこけた骨と皮だけで、顔は骸骨のようで、乳房もひからびています。蠍とともに描かれることもありますが、蠍も天然痘と関係のある動物で、死と結びついています。森雅秀のHP「インドの宗教にみられる生死観(2)インドの宗教にみる死のイメージ」 http://web.kanazawa-u.ac.jp/~hikaku/mori/misc/lectures/%90%B6%96%BD%97ϗ%9D2.htmlより。
カーリーもチャームンダーもどちらも女神です。しかも母神、母なる神と呼ばれています。これはわれわれが持っている女神とか母なる神というものとはかけ離れた存在です。われわれが女神や母に求めるイメージは、美や豊穣、包容力、生命力などです。しかし、ここに描かれた女神の姿はその正反対です。死をもたらすものであり、その姿は血や髑髏、死体などで飾られたいわば死のイメージのオンパレードなのですが、このような神がインドにおいては中世以降、絶大の信仰を集めました。
遠藤周作著『深い河』には、チャームンダーが登場しているようだ。それは遠藤文学の到達した〈救いの世界〉を描いているようだ。
以下、引用する。
最後の純文学書下ろし作品『深い河』は、インドへの数回の取材旅行の後に完成した。「母なる神を求めて 遠藤周作の世界展」展覧会構成 5.到達の地~救いの世界~ http://www.shibunkaku.co.jp/artm/shusaku/kousei.html より。
小説中にはヒンズー教の女神・チャームンダーの像が出てくるが、これは「印度人の苦しみのすべて」を表す像である。
長いあいだ人々が苦しんできた病気のすべてにチャームンダーはかかり、さらにコブラやサソリの毒にも耐えている。それなのにこの女神は、「喘ぎながら、萎びた乳房で乳を人間に与えている」のである。
清純でも優雅でもなく、美しい衣装もまとってはいない女神。むしろ、醜く、老いて、苦しみに喘ぐ女神像・・・この姿のなかに読者は、ヨーロッパの聖母マリアとは違った、〈苦しみの母なる女神〉を見る。遠藤文学の到達した〈救いの世界〉を知る。
『深い河』は、作者が最後の闘病生活に入る直前に脱稿した。そこには、人間の生と死を包みこむ〈大いなる命としての母〉が描かれた。
「・・・・チャームンダーは墓場に住んでいます。 だから彼女の足もとには鳥についば啄まれたり、ジャッカルに食べられている人間の死体があるでしょ。・・・彼女の乳房はもう老婆のようにしな萎びています。 でもその萎びた乳房から乳を出して、並んでいる子供たちに与えています。 彼女の右足はハンセン氏病のため、ただれているのがわかりますか。 腹部も飢えでへこみにへこみ、しかもそこにはさそり蠍が噛みついているでしょう。 彼女はそんな病苦や痛みに耐えながらも、萎びた乳房から人間に乳を与えているんです。」遠藤周作著『深い河』
http://www.geocities.jp/princegifu/indotetu8.htmより。
チャームンダーは、墓場に住む、死の神であるヤマの妃。恐ろしい神で、天然痘の神。カーリーのように、骸骨を身にまとい、手には剣を持ち、襲い掛からん勢い。また、その姿は痩せこけた骨と皮だけで、顔は骸骨のようで、乳房もひからびている。右足は伝染病のため、ただれていて、 腹部も飢えでへこみにへこみ、しかもそこにはさそり蠍が噛みついている。
さまざまな病苦や飢え、蠍などの毒の痛みの姿。それはまた、それに苦しむ人々の苦痛をともに苦しみ、あるいは、それを代わって引き受けているかのようである。
大乗に、代受苦ということばがある。
『ウィキペディア(Wikipedia)』 には、代受苦(獄苦代受)について、以下のようにある。
「獄苦代受(ごっくだいじゅ、Skt:Duhkhaudvahana)とは、仏や菩薩が衆生の地獄(のような)苦しみを代わりに受けることをいう。代受苦、大悲代受苦ともいう。
特に、地蔵菩薩はその徳相を表すとされる。他人の代わりに苦しみを受けることで、菩薩の大慈悲心についていう。」
チャームンダーも、代受苦しているのかもしれない。
このチャームンダー姿を見ていると、インドのハンセン病と貧困の救済に取り組まれたマザーテレサを私は想起する。
マザーテレサのとても疲れきった姿が、私には印象深く記憶に残っている。
と同時に、その疲れきった姿にも関わらず、神がその内から光り輝き、神とともに暮らし、「貧しい人・イエスに仕える幸福」に満たされている、何ともいえない笑顔も、また印象深く記憶に残っている。
玉城康四郎は、最晩年、遠藤周作のキリスト教観に共感していたようで、遠藤亡き後で、生きているときに、ゆっくりと語り合いたかった、と述べている。
玉城がチャームンダーについてどう考えていたかは、私は知らない。
玉城康四郎が遠藤周作に共感したことの意味についても、私はまったく知らない。今後、縁があれば、調べてみたいと思う。
チャームンダーについて、このごろ、気になっていたので、ちょっと、調べてみた。稚拙なものになってしまって、恥ずかしいが、これで勘弁を。
女神チャームンダー を検索していてこちらのブログへ行き着きました。とてもよく説明をされていたのでトラックバックさせていただきます。
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