エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

聖餐式の情景

2013-05-13 | ルカによる福音書
 この辺りは面白いほどに「そして」でつながれています。「一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった」(ルカ24:28)と書かれています。恐らくもう日暮れ近くであったことでしょう。エマオに着いたと理解してよいでしょうか。イエスには、進むべき道がありました。しかし、ただし「そして」で挟んで、「二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた」(ルカ24:29)ということになりました。「泊まる」でもよいのですが、含みの広い語で、そのまま続けて留まることを意味します。生きながらえるというような使われ方もあるようです。このまま続けて共にいてください、という依頼が基本でしょう。イエスだとまだ知らないにしても、その聖書の説き明かしをする人から、離れたくなかったのです。そのままいつまでも一緒にいてほしいと願ったのです。イエスもそれに従いました。祈りに応えてくださる姿のようにも見えます。そしてこのようなことがあった、というルカ得意の改まった書き出しとともに、「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった」(ルカ24:30)と描写されます。聖餐式の情景です。パウロも記しましたから、ルカと共通の了解があったと考えてよいでしょう。賛美云々の過剰な意訳についてはこれまでもその度に触れてきましたが、言葉は「祝福する」というような言葉です。五千人にパンを裂くときにも、この語が使われていました。ただし、最後の晩餐のときには、「感謝する」という意味の別の語でしたから、聖餐式においても当時どちらの表現もあったのではないかと推測されます。マルコも同様の傾向があるようです。ここにはルカは深い説明を加えていませんが、もはやこの聖餐はイエスの代名詞のようにもなっていたと思われます。
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