エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

福祉政策と祝福をつなぐもの

2024-07-21 | メッセージ

申命記26:12-15 
 
「私は聖なるものを家から取り出し、すべてあなたが命じられた戒めに従って、レビ人と寄留者、孤児と寡婦に与えました。」これを「あなたの神、主の前で」言いなさい、と申命記は命じます。為すべきことをしたにすぎない、というような遠慮がちな言い方をする必要はないようです。主の心に合わないことはせず、その戒めはすべて行いました。
 
「だから」という語を入れはしていませんが、そのことは「祝福してください」に直結するように考えているのです。「だから」が入ると、これは人間が思う理論に神を従わせようとするものか、と思わせてしまうでしょう。神を利用する企みは、必ずしも邪悪な者によるものばかりではありません。神を信じている、と自分で思っていても危ないのです。
 
そのつもりがなくても、神を実は利用している、ということさえ起こり得ます。これはむしろ人間の中の、最も危険な性質であるとも言えそうです。人間には、事の善悪は決められません。「私の神、主の声に聞き従い、すべて、あなたが命じられたとおりに」行った、というのも、せいぜい従ったと自分では思っている、という程度のことかもしれません。
 
いえ、言われたとおりのことはしたつもりですが、という控えめな態度に留めましょう。それなら、なんとかやったけれど、と言うことはできましょう。ここでは「収穫の十分の一を納め終わっ」たことですが、それは施されました。「レビ人、寄留者、孤児、寡婦」が「町の中で食べて満足した」ことが、いわば条件であったのです。
 
献げられた十分の一は、そう利用されます。レビ人は生産者でないため、宗教的任務を担いますが、要するに「公務員」のような立場です。よそ者や恵まれない人への福祉政策としても、税収が用いられることが明らかに示されています。「だから」とは言いませんが、ひとは主に縋るしかありません。「私を」ではなく、「イスラエルを祝福せよ」と。


私は聖なるものを家から取り出し、
すべてあなたが命じられた戒めに従って、
レビ人と寄留者、孤児と寡婦に与えました。
私はあなたの戒めに背いたり、
それを忘れたりはしませんでした。(申命記26:13)

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