エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

驚くべきハンナの祈り

2024-06-09 | メッセージ

サムエル上2:1-10 
 
本当にこれは、ハンナの祈りなのでしょうか。エルカナの2人の妻の1人ハンナには、子が産まれません。祭司エリに支えられて、やがてついにサムエルという子が授かりました。ハンナは、かねて誓って祈っていましたから、我が子サムエルを神に仕える者として献げます。自分に子が与えられさえすれば、その子を自分が育てなくともよいのでしょうか。
 
このハンナが祈っています。「私は敵に向かって大きく口を開きます。」吠えるのではありません。主の救いを喜び歌うためにだそうです。我が心は主を崇める、と歌ったマリアの賛歌は、この冒頭の「私の心は主にあって喜び」というところを踏まえているかのように見えます。あまり注目されないハンナの祈りですが、味わうべきところがありそうです。
 
決めつけるつもりはありませんが、これはなかなか男性的な、力を帯びた詩となっているように感じます。驕り高ぶるな。主はすべてを知っている。「勇士の弓は折られ/弱い者が力を帯びます」とするのは、子に恵まれず特に精神的に苦労した自分自身を、そこに読み込んでいるようにも思えます。でも、個人的な思惑で終わるのではなさそうです。
 
「主は命を奪い、また命を与え/陰府に下し、また引き上げます」という総括から、貧富や高低を読み込みつつ、そこに主に忠実な者の姿を見ます。徹底的に悪人の滅びを示し、真の力は世の権力や見かけのものとは異なることを、明らかにします。高慢な者は倒されます。主は「王に力を与え/油注がれた者の角を高く上げられます」とも言いました。
 
いわばメシア預言と言えそうなことを口にしているようです。壮大な世界像と人間の価値の逆転とを、短い詩の中に効果的に織り込んだこの技術は、一介の女性に備わっていたとするには、あまりに崇高にすら感じられて仕方がありません。エリと共に礼拝していたハンナの祈りは、私たちにとっても模範となり、主への信仰の核心を知る思いがします。


ハンナは祈って言った。
「私の心は主にあって喜び
 私の角は主によって高く上げられます。
 私は敵に向かって大きく口を開きます。
 あなたの救いを喜び歌うために。(サムエル上2:1)

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