エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

天の都の栄光と命の書

2024-06-13 | メッセージ

黙示録21:22-27 
 
「小羊の妻である花嫁」をヨハネは見せられました。それは「聖なる都エルサレム」でした。その都についての細かい描写が続いた後、ヨハネはふと気づきます。この都にあるはずの神殿はどこでしょう。神を祀るところ、神に出会うところは、どこにも見当たりませんでした。神殿はないのです。「全能者である神、主と小羊が神殿だからである。」
 
つまり、神そのものがそこにおられるのに、神を祀る施設や神に出会うための場所など、必要がないのです。神は我らと共に在す。インマヌエルの恵みなどと、今の私たちは簡単に口にしますが、そういう次元をすでに超えています。さらに、太陽や月がなくても、明るさは欠かすことがありません。「神の栄光が都を照らし、小羊が都の明かり」なのです。
 
そこには栄光が満ちています。神の都に迎えられた者は、この光の中にいます。「そこには夜がない」とは、なんともすばらしい知らせではありませんか。夜がない。闇が訪れないのです。ユダは闇の中に消えたし、ペトロは夜の中で冷え切っていました。イエスの裁判は、夜の闇の中で行われました。でも神は光です。少しも暗いところがありません。
 
都の門は、夜には閉じられるものでしょう。しかしこの新しいエルサレムの都は、門を閉じる必要がありません。神の国の栄光は、救いを与えられた人々とその国々を照らし、その名はこの都に刻まれています。神の国の都エルサレムは、光に満ちています。「小羊の命の書に名が書いてある者だけが」、この都に入ることができるのです。
 
都には決して入れないのは、ここでの例では「汚れた者、忌まわしいことや偽りを行う者」だそうです。これは決定的なリストではありません。象徴的なまとめなのでしょう。これらの言葉尻に囚われてはならないでしょう。ヨハネが書き記す書では亡く、「小羊の命の書」には、神の救いに与った者の名があります。キリストの命を受けた者です。


私は、この都の中に神殿を見なかった。
全能者である神、主と小羊とが神殿だからである。(黙示録21:22)

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