エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

「あなたがたが信じるようになるためである」(ヨハネ11:15)

2009-06-17 | ヨハネによる福音書
 イエスは「はっきりと」(ヨハネ11:14)伝えます。「ラザロは死んだのだ」(ヨハネ11:14)
 イエスがどうしてそれを知り得たか。弟子たちはそれを問うことはもはやしないでしょう。しかし、もはやこれは癒しではなくなります。マルコなどが記しているように、死んだ青年や少女の息が吹きかえったというのも、弟子たちは経験していたかもしれませんが、それは死後間もなくのことでした。ラザロの許に行くとなると、死後何日も経ってという虞があります。それは、これまで体験したことがないものです。
 もちろんそこには、十字架の後3日目によみがえるということの暗示が隠れているとは思います。ただこのときの弟子たちには、それを連想する可能性はありません。
 イエスはここで、新たな局面に弟子たちを、あるいは読者を招き入れます。「わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである」(ヨハネ11:15)と言ったと訳されていますが、「よかった」程度ではなく、「喜ぶ」「感謝する」という意味合いの言葉が原語の伝える内容です。さすがにこれは空気にそぐわないということでソフトに訳されているのかもしれませんが、ここははっきりと訳して戴きたかった。イエスは、これは「あなたがたが信じるようになるため」(ヨハネ11:15)に喜ばしいことなのだ、と宣言しているのです。このフレーズは、ここから幾度か登場します。つまり、ヨハネは、20:31で福音書を閉じようとするときに、このフレーズで締めくくっているのです。これがヨハネの目的でなくて、何でしょうか。だからこれは、喜ばしいと正面切ってぶつけて捉えたいところでした。
 これからいよいよ信じることができる場が与えられる。「さあ、彼のところへ行こう」(ヨハネ11:15)という勇ましい言葉。たしかに、通常の人間が吐けば不謹慎極まりない言葉ですが、だからこそ、これは神の福音であったのです。
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