エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

神の国は義と平和と喜び

2024-08-14 | メッセージ

ローマ14:17-19 
 
つまらないことで争ったり、分裂したりするのは、やめよう。エッセンスは、ここにあります。ということは、教会は、そのときからも、つまらないことで壊れていたのです。異端問題は教義に関するため、信仰というレベルでは意見が合わない、ということはありえたでしょう。しかし、生活上の習慣やちょっとした思い込みの意地は要注意です。
 
それらが原因で論争になり、憎々しい思い出が拡がってゆくというのは悲しいことです。「キリストはそのきょうだいのために死んでくださった」(15)との言葉は重いのです。そして私たちの心に響き、残ります。「もう互いに裁き合うのはやめましょう」(13)ということです。パウロが掲げるのは「神の国」であり、飲み食いの争いとは無縁なのです。
 
「神の国」は、「聖霊によって与えられる義と平和と喜び」なのです。「義」は時に、人間の側から見た場合、「救い」という言葉に換えて読むとストンと胸に落ちることがあります。救いの喜びがあってこその神の国、神を王とする支配の実現があるのです。キリストを信じると口にする者たちよ、確かな救いを得ているのですか。鋭い問いが来ます。
 
キリストに出会った経験を、おまえはもっているというのですか。これを自分で問うことのできない偽物が、実際にいるのです。それを裁き合うということは控えたいと思います。私たちは、キリストに仕えるべく召し出されているのです。それは、人に信頼される道でもある、とパウロが述べていることです。
 
そのため、この信仰生活は「平和に役立つ」のであり、「互いを築き上げるのに役立つ」と言えるのです。パウロは、これらを追い求めようではないか、と提言しています。しかし、目的としてではなく、結果として受け止めるべきではないでしょうか。聖霊を受けたかどうかは、はっきりした現象だとは言いづらいかもしれませんけれども。
 
しかし、聖霊が働いたならば、キリストに従う者を生むことになります。聖霊は、平和を作る者をつくります。互いに建て合うという結果をもたらすことになるでしょう。私たちは、キリストに仕える者になったのでしょうか。神に喜ばれているのでしょうか。人に、信頼されているのでしょうか。自分の力ではでなく、聖霊がそれをなすのです。


神の国は飲み食いではなく、
聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。(ローマ14:17)

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