再び、同じような言葉のやりとりがなされます。「二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた」(ヨハネ21:16)とありますが、「さらに二度目として」という強調を感じます。
イエスの質問は同じく「アガペー」であり、ペトロの答えは「フィロー」です。
主が知っているというペトロの言葉も、聞き逃せないところです。それは、読者であるクリスチャン共同体のメンバーにとっても、一つの信仰告白となることでしょう。私がどうとかいう問題ではなく、すべては主がご存じのことなのだ、という理解です。
そしてイエスの命令が今度は「わたしの羊の世話をしなさい」となっていますが、これは、牧する仕事をせよということで、牧者であれ、と命じていることになります。イエスが自らを羊飼いだと宣言していたことを受けているものと思われます。
このように、ペトロにイエスが地上で行った役割の後を継がせる意図が見え隠れしているように感じます。
イエスの質問は同じく「アガペー」であり、ペトロの答えは「フィロー」です。
主が知っているというペトロの言葉も、聞き逃せないところです。それは、読者であるクリスチャン共同体のメンバーにとっても、一つの信仰告白となることでしょう。私がどうとかいう問題ではなく、すべては主がご存じのことなのだ、という理解です。
そしてイエスの命令が今度は「わたしの羊の世話をしなさい」となっていますが、これは、牧する仕事をせよということで、牧者であれ、と命じていることになります。イエスが自らを羊飼いだと宣言していたことを受けているものと思われます。
このように、ペトロにイエスが地上で行った役割の後を継がせる意図が見え隠れしているように感じます。