エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

癒やされたのでなく病から解放された

2024-08-18 | メッセージ

ルカ13:10-13 
 
安息日でした。ユダヤ人は、ローマ帝国の支配下でも、安息日を守り続けていました。逆に言えば、ローマ側はこれを寛容に認めていた、ということになります。自治的な形式を以て統治するのがモットーだったせいもありますが、決して宗教や文化を否定し抑えつけて異民族を支配していたわけではありません。政治的反逆には厳しかったとしても。
 
この安息日規定についてのごたごたは、専らユダヤ教内でのトラブルです。「安息日に、イエスはある会堂で教えておられた」ことは、その火種となりかねませんでした。会堂が各地にありました。いまのキリスト教会がモデルとしているような形式の礼拝が、安息日毎に開かれていたのです。神に祈り、神の言葉が開かれて説かれるひとときでした。
 
そこに、腰の曲がったままの女がいました。18年間そうだったのです。「病の霊」に取り憑かれていた、という説明が施されています。原因は、悪霊だ、とまでは明かしていませんが、要するにそういうことなのでしょう。当人の力では、腰をどうしても伸ばすことができなかったのです。人は自らの力で「病の霊」に優ることはできませんでした。
 
イエスはこの女を見ました。イエスは見ています。知っています。人を遣ってその女を呼び寄せると、「女よ」と呼びかけ、「あなたは病から解放された」と宣言します。癒やした、という表現は、イエスも女もとっていません。この後、安息日に癒やしたとは何事ぞ、と平を立てたときに、会堂長が、イエスの癒やしの業に腹を立てているだけです。
 
傍から他人事のように眺め、しかも律法規定に違犯していると文句をつけるために、「癒やす」という語を用いたのは、筆記者ルカでした。イエスがその上に手を置いたところ、「たちどころに腰がまっすぐになり、神を崇めた」という描き方で、イエスのしたことを伝えています。「病」という見方が「癒やし」よりも表に立っています。
 
腰の症状がなくなった。説明はそこです。確かにこれは「病の霊」への対処でした。問題は、この女を18年間も拘束していた、腰の具合だったのです。癒やしという完全態を示すのを急ぐことよりも、苦しめられていた腰の症状から女が解放されたことのほうが重大でした。抽象から具体へ。救いとはそういうものです。ルカの粋な計らいに思えます。


イエスはその女を見て呼び寄せ、
「女よ、あなたは病から解放された」と言って、
その上に手を置かれた。
女は、たちどころに腰がまっすぐになり、
神を崇めた。(ルカ13:12-13)

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