記述的日常駄文

日常の出来事を記述したが駄文であった。

ドラッガー わが軌跡 金言 その一

2006年02月10日 | 読書
今日すべて読み終わった。

とても面白かった。

付箋がいっぱいついたので、

それをここで書こうと思います。

自分が思ったことを感想として書くときもあれば、

その言葉だけの時もあるかと思います。


ただ、思うのは自伝、

あるいは他者が書いた自伝?

から多くのものを学べそうだなと、

自伝をあまり読んだことのない拙は思う。


引用はすべてダイヤモンド社刊

『ドラッガー わが軌跡』 2006年1月26日 初版 から


そして改めて氏のご冥福を祈りたいと思います。


ではまず、

P20からの引用。

おばあちゃんの祝電

都合で式を欠席した彼女の電文
「電報を送るに当たっては、
最も簡潔たるべきことが適切なことであるがゆえに、
この厳粛なる日に当たって、
いつまでもお幸せにとのみ祝辞を贈るものなり」
…この簡潔なる祝辞に対する電報料金のあまりの高さに、
おばあちゃんは長嘆息したという。

この箇所が自分が一番最初に付箋をつけた所だ。

そしてこの文を読み、

この本はきっと面白いと思った。

まだまだおばあちゃんエピソードがあります。

もうひとつあげるなら、

P24からの引用。

間抜けだが合理的
…おばあちゃんの整理した食器棚には、
「把手のないコップ」と書かれた場所と、
「コップのない把手」と書かれた場所があった。

この文を見て、

昔、彼女から聞いたおもしろいお母さんの話を思い出した。

それはとても面白かった。

けど、

おそらく、

彼女も彼女も彼女が真理をついている、

ということをうっすらと、

あるいは確信的に知っているんだと思う。


なんというか、変にこねくり回された世界にいる人からすると、

おばあちゃんのことを変人だと思うが、

しかし、

それはかなり純粋に大事なこと?を見、

およびそれを見る目があった、

からではないか。


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