きょうの日本民話 gooブログ編

47都道府県の日本民話をイラスト付きで毎日配信。

1月31日の日本民話 青の洞門(どうもん)

2010-01-31 08:05:06 | Weblog

福娘童話集 > きょうの日本民話 > 1月の日本民話


1月31日の日本民話


青の洞門(どうもん)



青の洞門(どうもん)

大分県の民話大分県情報


 山国川(やまくにがわ)にのぞむ断崖の耶馬渓(やばけい)の競秀峰(きょうしゅうほう)は、むかしから交通の難所として知られていました。
 この絶壁の中腹に青のくさり渡しと言うのがあるのですが、岩壁に沿ってつながれた丸太の上をくさりを伝って渡る物なのです。
 樋田(ひだ)から青へ行くには、どうしても通らなければならない道で、今まで足を踏みはずして命を落とす人馬が数多くいました。
 これはこの絶壁に道を作った、二人の男のお話です。


 岩壁に、いつの頃からか、一人の僧が槌(つち)を振るっていました。
 僧の名は禅海(ぜんかい)といい、かつては江戸で中川四郎兵衛という武士の傭人(ようにん→やとわれた人)として仕える男でした。
 ところがある時、ささいな事で主人を殺してしまい、その罪滅ぼしに禅海という僧になって、諸国行脚(しょこくあんぎゃ)の旅に出たのです。
 四国の八十八カ所を巡り、九州、豊後の樋田村にたどり着いた禅海は、この絶壁のくさり渡しを見て、
「これこそが、求めておった道。罪を償うのは、ここしかない」
と、洞門を掘る決心をしたのです。
 享保二十年に最初の槌を振るって以来、禅海は毎日洞門を掘り続けました。
 最初は禅海を厄介者扱いしていた村人も、やがて禅海を応援する様になりました。
 そしてそれから五年たち、十年たち、ついに二十五年が過ぎたある日、一人の若者が禅海を探して青の洞門にやって来ました。
 その若者は禅海が殺した、中川四郎兵衛の長男の実之助(じつのすけ)だったのです。
 成長した実之助は、父の敵を討つ為にここにやって来たのです。
「お主が禅海か。以前の名を福原市九郎(ふくはらいちくろう)に相違あるまいか」
 実之助の声に、槌を打つ禅海の手が止まりました。
「いかにも。して、そこもとは」
「それがしは中川四郎兵衛の子、実之助と申す。二十五年前に殺された、父の仇を討ちに来た」
 そう言われて見れば、たしかに父の面影があります。
「おお、中川さまのご子息か。いかにも禅海、そこもとの父をあやめた市九郎に相違ありませぬ。じゃが、何とぞお待ち下され」
 禅海はそう言うと、実之助に深々と頭を下げました。
「なに! このごに及んで命ごいか!」
 怒鳴る実之助に、禅海は静かに言いました。
「いえ、命ごいではありませぬ。ただ、禅海が罪滅ぼしに掘っておる、この洞門が貫通するまでお待ちいただくわけにはいくまいか」
「罪滅ぼしか・・・。噂は聞いておる。では少しでも早く終わるよう、手伝ってやろう」
 その日から、禅海と並んで槌を振う実之助の姿が見られる様になりました。
 仇を討つ者と討たれる者は、ただ黙々と槌を振るいました。
 そして五年後、ついに青の洞門が完成したのです。
 禅海が堀り始めてから三十年目のその日、二人の目には、いくすじもの涙が光っていました。
 禅海は実之助に向き直ると、頭を下げて静かに言いました。
「実之助どの。
 今までよう、我慢してくれた。
 そしてよう、洞門作りを手伝ってくれた。
 心から、礼を言う。
 ・・・さあ、禅海には、もう思い残す事はない。
 約束通り、父の敵の首をお斬りくだされ」
「・・・・・・」
 その言葉に、一度は刀に手を伸ばした実之助ですが、実之助は禅海の手を固く握りしめると、そのまま江戸へ帰って行ったのです。


 現在、この洞門は広く舗装されていますが、しかし壁面には、禅海と実之助の槌の跡が所々に残っているそうです。


おしまい


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1月30日の日本民話 山下淵(やましたぶち)の大なまず

2010-01-30 07:24:38 | Weblog

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1月30日の日本民話


山下淵(やましたぶち)の大なまず



山下淵(やましたぶち)の大なまず
長崎県の民話長崎県情報


 むかしむかし、諌早(いさはや)に、中村大蔵(なかむらたいぞう)という、腕の良い刀鍛冶がいました。
 ある時、大蔵は神社へ納める神剣を作ろうと思いたちました。
 そしてそれから百日の間、大蔵は水をかぶって身を清めると、朝から晩まで一心に刀剣を打ち続けたのです。


 そんなある日の事、大蔵の前に一人の女が現れました。
「お願いがござります。どうか私に、鋭いモリを一本作って下さい」
「いや、今は打ち込んでいる仕事がありますので」
「お願いします。どうしても必要なのです」
 女があまりにも熱心に頼むので、大蔵はついに引き受ける事にしました。
「わかりました。では、三日後に来て下さい」


 それから三日後の夜、女は大蔵の作った見事なモリを見るととても喜んで、
「ありがとうございます。これはほんのお礼のしるしです」
と、何と銀ののべ棒を差し出したのです。
 大蔵は驚いて、押し返そうとしましたが、
「いいえ、どうかお受け取り下さい。あなたさまの立派なモリは、この銀でも足りぬほどです」
「そうですか、それならありがたく頂きます。
 しかし、あなたは一体どなたですか?
 そしてなぜ、このモリが必要なのですか?
 もちろん他言は致しませぬゆえ、どうかお聞かせ下され」
 大蔵が言うと、女はそっとあたりをうかがい、声をひそめてこんな事を言いました。
「実はわたしは、お城の近くの山下淵の主なのです。
 ところが近頃大なまずがやって来て、私の子どもたちを次々と食い殺してしまいました。
 この上は、憎い大なまずを殺して子供たちの仇を討ちたいと、あなたにお願いに来たのです」
「何と・・・」
 大蔵が驚いていると、女は続けて、
「仇を討ったあかつきには、今後淵では、人の命を取らぬ様に致します」
と、それだけ言って、姿を消してしまいました。


 さて、その翌日。
 山下淵に、見た事もない様な大なまずの死がいが浮かびました。
 その話しは、殿さまの耳にも届きました。
 その頃、山下淵では魚を取る事を固く禁じられていました。
 家来が調べて見ると、なまずの心臓に一本の鋭いモリが突き刺さっています。
 見るとそのモリには、はっきりと『中村大蔵』という銘(めい)が刻まれているのです。
「中村大蔵を、ひったてい!」
 ただちに大蔵は縄をかけられて、お城の庭に引き出されました。
「なまずを殺したのは、自分でありません」
 大蔵は、言いましたが、
「では、誰が殺したというのだ?」
「それは・・・」
 主との約束を破る事は出来ないので、仕方なく黙っていました。
「黙っておる所を見ると、やはりお前の仕業だな!
 魚を取ってはならぬとの禁を破った上、罪を認めぬとは!
 さっそく、処罰を与えてくれるわ!」
 殿さまはかんかんに怒ってしまいましたが、家来の一人が、
「殿、お待ち下さい。
 モリを作ったのは、確かに大蔵でしょう。
 しかし自分の仕業に、わざわざそれを分かる様な名を刻む事はいたしますまい」
と、取りなしてくれたので、太蔵は罪を逃れる事が出来ました。
 この事があってから、大蔵は城下から遠く離れた深海(ふかみ)の里に移り住み、そこで多くの名刀を残したそうです。
 そしてあの淵の主は大蔵との約束を守って、あれ以来、山下淵でおぼれ死ぬ者は一人としていなかったと言う事です。


おしまい


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1月29日の日本民話 キツネの倉

2010-01-29 06:44:16 | Weblog

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1月29日の日本民話


キツネの倉



キツネの倉
鹿児島県の民話鹿児島県情報


 むかしむかし、一人の男が荒地(あれち)を畑にしようと掘り起こしていると、
「ガチン!」
と、クワが思いっきり石を叩いてしまったのです。
「しまった! 大切なクワが!」
 クワが割れてしまったので、男はクワを直してもらう為に鍛冶屋(かじや)へ行きました。
 その途中、手に棒を持った子どもたちが、捕まえたキツネを叩いていじめていたのです。
「こら、お前たち、やめねえか。キツネが可愛そうだろう」
「だって、これはおらたちが捕まえたキツネだぞ。どうしようと、おらたちの勝手だろう」
 子どもたちは、キツネをいじめるのを止めようとしません。
 そこで男は、
「それなら、そのキツネをおらに売ってくれんか?」
と、男はクワを鍛冶屋で直してもらう為のお金を子どもたちにやって、キツネを買い取りました。
 そしてキツネを子どもたちのいない所へ行って逃がしてやろうと思ったところで、ふと思いました。
「おらは、何をやっているんじゃろう?
 新しい畑を作るには、クワがいる。
 そのクワを直してもらうには、鍛冶屋に払うお金がいる。
 でも、そのお金がなくなってしもうたぞ。
 このキツネが、クワを直してくれるのならともかく。
 ・・・こりゃ大変だ。
 キツネよ、悪いがそう言う事だ」
 男はまた子どもたちのところへ行って、キツネを渡してお金を返してもらいました。
 すると子どもたちは、前よりももっとキツネをいじめるのです。
 それを見かねて、男はまた子どもたちのところへ行くと、
「止めてくれ、今度は本当に買うから」
と、またお金を渡して、キツネを買い戻しました。
 そしてキツネを山へ連れて行き、
「もう、二度と捕まるなよ」
と、言って、逃してやりました。

 それから数日後、男の家にあの時のキツネがやって来て言いました。
「この間は、危ないところを助けて頂いて、ありがとうございました。
 お礼に何か、差し上げたいと思います。
 私の家にはキツネの倉(くら)と言って、何でも無い物は無いという倉があります。
 よろしければ、あなたの望みの物を好きなだけお持ち下さい」
 それを聞いた男は、キツネと一緒にキツネの倉へ行きました。
「さあ、これがキツネの倉です。どうぞ、中へ入って好きな物を取って下さい」
 喜んだ男が倉の中へ入って行くと、キツネが倉の戸をバタンと閉めました。
 そして大きな声で、
ドロボウだ! 倉にドロボウが入ったぞ!」
と、叫んだのです。
 すると、あちこちからたくさんの人が集まって来て、
「ドロボウは殺せー! ドロボウを殺すんだー!」
と、言うのです。
 倉に閉じ込められた男は、ビックリです。
「違う、違うんだ。おらはドロボウでねえ」
 男は必死で言いましたが、外の人たちは聞いてくれません。
「ドロボウは殺せー! ドロボウを殺すんだー!」
 男は怖くなって、倉のすみっこでブルブルと震えていました。
「だっ、騙された。キツネの奴に騙された」
 でもしばらくすると外の騒ぎがおさまって、倉の戸がガラガラと開きました。
 そして、さっきのキツネが、
「ビックリさせてすみません。さあ、クワでも着物でもお金でも、好きな物を持てるだけ持って、出て来て下さい」
と、言いました。
 男は訳が分からず、取りあえず言われたまま持てるだけの物を持って倉から出て来ました。
「どうでした? さっき閉じ込められた感想は」
「どうだったも何も、恐ろしくて、生きた心地もしなかった」
 男がそう言ったので、キツネは満足そうに頷くと、
「そうでしょう。
 実は私も先日、同じ思いをしました。
 あなたに助けてもらった時は、心の底から喜びましたよ。
 でもその後で、また子どもたちに返された時は、もう生きた心地はしませんでした。
 そして最後には、再び助け出されたわけですが、あの時の事を考えると、今でも体が震えます」
と、言ったという事です。


おしまい


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1月28日の日本民話 白竜湖の琴の音

2010-01-28 07:28:30 | Weblog

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1月28日の日本民話


白竜湖の琴の音



白竜湖の琴の音
山形県の民話山形県情報


 むかしむかし、置賜平野(おきたまへいや→山形県)の村々は、日照りが続いて困っていました。
 村人たちは山の神や水の神に火を焚いて、何日も何日も雨乞いをしましたが、雨は一滴も降りませんでした。
 困り果てた庄屋(しょうや)さんが、巫女(みこ)のところへ出かけて行って、水神(すいじん)さまに雨が降る様にお願いしてもらう事を頼みました。
「わかりました。やってみましょう」
 そこで巫女が湖の岸辺の水神のほこらの前でお祈りをしたところ、しばらくして巫女の口を通じて、
『わしは、湖に住む竜神(りゅうじん)じゃが、わしもそろそろ嫁が欲しい。村の中から嫁を選び、三日のうちに嫁入りをすれば雨を降らせよう』
と、お告げがあったのです。
 そこで村人全員が庄屋さんの家へ集まり、どこの娘を差し出せばよいかと話し合いましたが、自分の娘を竜の嫁に出そうという者がおらず、いつまでたっても決まりませんでした。
 その時、村人たちの前へ庄屋さんの娘が進み出て、
「村の為なら、喜んで竜神の嫁になりましょう」
と、申し出たのです。
 急な事なので嫁入り道具が何もありませんが、娘が大切にしていた琴(こと)を嫁入り道具として持たせて、白い晴れ着姿の娘を湖の岸辺まで連れて行きました。
 そして村人たちが泣き泣き村へ引き返そうとした時、突然に雷鳴(らいめい)がとどろいて、湖の真ん中からすさまじい水柱が立って、二匹の竜が天に駆け登って行ったのです。
 二匹のうち一匹の竜は、白い晴れ着姿の娘と同じく、真っ白な竜でした。
 間もなく、二匹の竜が登った空から大粒の雨が降って、村は救われたのです。

 それから湖は白竜湖(はくりゅうこ)と呼ばれ、霧雨(きりさめ)の降る日には、湖の中から美しい琴の音が聞こえてくるそうです。


おしまい


きょうの豆知識と昔話


きょうの記念日 → ダンスパーティーの日
きょうの誕生花 → レプトスペルマム
きょうの誕生日 → 1981年 乙葉(タレント)



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きょうの日本民話 → 白竜湖の琴の音
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1月27日の日本民話 カッパと殿さま

2010-01-27 08:21:11 | Weblog

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1月27日の日本民話


カッパと殿さま



カッパと殿さま
熊本県の民話熊本県情報


 カッパはむかし、中国から日本にやって来たと言われています。
 日本へやって来たカッパの大将は、九千坊(くぜんぼう)という名前のカッパで、九千匹の子分(こぶん)を引き連れて海を渡り、九州の球磨川(くまがわ→熊本県南部の川で、長さ115キロメートル。富士川・最上川と共に日本三急流の一つ)にたどり着いたそうです。

 ある時、殿さまが可愛がっていたお付きの者が、カッパに川の中へ引きずり込まれて死んでしまいました。
 殿さまは、とても怒って、
「カッパを一匹残らず捕まえて、みな殺しにしてやれ!
 焼き殺し、大釜で煮殺し、さおに吊して干物にしてやる!」
 殿さまの言葉を聞いたカッパたちは、震え上がりました。
 殿さまは、お坊さんにカッパ封じのお経を読ませてカッパを弱らせ、川に毒草を流させてカッパを川から追い出し、カッパが苦手なサルにカッパを捕まえさせようと計画したのです。
 これを知ったカッパの親分は近くのお寺へ飛んでいって、和尚(おしょう)さんに頼み込みました。
「これからは、絶対に人には悪さをしません。ですから許して欲しいと、殿さまに伝えて下さい」
 カッパの親分は、和尚さんに何度も何度も頭を下げました。
 これには和尚さんも心をうたれて、この事を殿さまに伝えました。
 すると殿さまも、
「・・・そうか。それでは、今度だけは許してやろう」
と、カッパ退治は中止になったのです。
 その後も、この地ではカッパのイタズラが何度かありましたが、
 そのたびにカッパの親分は、
「イタズラをしたのは、きっとよその地から来たカッパでしょう。この地に住むカッパは、あれから一度もイタズラはしていません」
と、言ったそうです。


おしまい


きょうの豆知識と昔話


きょうの記念日 → 求婚の日
きょうの誕生花 → ヘリオトロープ
きょうの誕生日 → 1756年 モーツァルト (作曲家)


きょうの新作昔話 → おりゅう柳
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きょうの日本民話 → カッパと殿さま
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