![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/28/90a7b388d26551d48568e850dd27bee2.jpg)
地震で被災された全ての皆様、心からお見舞申し上げます。
寒く不安な夜を過ごされている皆様、少しでも早く、その状況が解消される事を祈っています。
そして、救出を待つ1人でも多くの方が、救い出される事を願って止みません。
私は東京の港区のビルにいました。
火を使う事はないのですが、地震で扉が歪んで開かなくなるなるのが怖いので、
揺れ始めたらまず扉を開けましたが(これはついもやる)、
その後、ガタガタともゴーともつかぬ音になり、
これはただならぬ揺れだと思い、ひざかけを持って、机の下にもぐり込みました。
ガタガタ音と、何かの非常ブザーの鳴る音がして、
ついに来たか!!と思いつつも、何もできずに、
じっとしているしかありませんでした。
潜っているデスクの引き出しがゆるゆると開いて行って、
ロッカーの扉が一斉に開き、壁の絵画が斜めに傾き・・・
東京23区は震度5弱との事ですが、ビルのあたりは埋め立て地なので、
もう少し揺れが強かった気がします。
第一波が収まったところで、落下すると厄介な事になる神棚の上の物を下し、
電気ポットの電源を抜き、事務所用のサンダルから靴に履き替えたら、
また余震がきたのでデスクの下へ。
その後は、外の様子を見たら、意外とみなさん、ビルから外に出ているんですよね。
都会って、ビルの外壁が落ちて来たり、割れたガラスが落ちて来たりしそうで、
かえって危険だと思い、私は建物内に留まりました。
案の定、ビルのタイルが落下していました。おーこわっ!
最初は通じた電話も、すぐに通じなくなりました。
幸いにも、インターネット回線は問題なく繋がっていて、
インターネットのラジオでニュースの情報を得られた事、
メールで急を要する相手と連絡がとれた事は、とても助かりました。
特に、東京湾近くだったので、津波の状況がわかった事は、大きな収穫でした。
TVでは、全国的な情報しか流れませんが、
地域に密着した情報を得る手段としてのラジオはとても有効だったと実感です。
その後、かつて見た事がない沢山の人がビルの前を歩いていました。
一体、どこまで歩いて帰るのだろうか、
余震でガラスの雨に打たれる事なく無事に辿りつけるのだろうかと、
万感の思いで見つめました。
また、人々の歩く横で、まったく動かない状態の、超渋滞の幹線道路。
たぶん、この光景は一生忘れないでしょう。
歩く人の姿もまちまちで、ヘルメットを被って、リュックを背負っている人、
コンビニの食料を下げて、食べながら歩く人、
ハイヒール姿の女性・・・
何を備えるべきか、考えさせられました。
あとは、極力、1人ではなく、同方面の人と、行動を共にする事も大切ですね。
私も、落ちそうな物を床に下ろして帰宅しました。
電車は止まっていましたが、我が家は徒歩範囲なので、この点は問題なしでした。
後になって思ったのは、同じビルの人で、帰宅困難な人がいないか聞いて、
自宅の自転車を提供してあげらればよかったという事。これには、大反省です。
自宅のエレベーターは、おそらく一旦止まったとは思いますが、
帰宅時には復旧していました。
我が家は、埋め立て地のマンションの上階で、普段の地震でもかなり揺れるのですが、
今回の揺れはハンパなかったようで・・・
まず、自宅の扉を開けたら、玄関はガラスの破片だらけ。
靴箱にの上に飾ってあった貝殻やガラスのフレームが落ちて砕けていました。
とりあえず、そこをまたいで、スリッパを履き、
大きなガラスを、手袋をしたまま拾って紙袋に入れ、細かいものは掃除機で吸い取りました。
室内も同様に、立てかけていたものは、かなり落下していました。
キッチンの引き出しは全部開き、オープン棚の中身も半分位落下。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/19/98b418b846b7202734a457d08f5ab76d.jpg)
それでも、大きな被害が出なくて済んだのは、
吊り戸棚は地震用のストッパーが付いていて、中から圧力がかかるとロックが掛り開かないのです。
もし、ここの食器が落下していたら、大変な事になっていたと思います。
ただ、中の食器は揺れて前面に偏っていたようで、翌日、扉を開けたら落下して、
お気に入りのグラスが割れてしまいました。
食品庫も扉が開き、手前の物が落下。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/e4/9b163eaa31018dbb984bcd08acc11385.jpg)
ここは地震が来たら開いてしまうと思い、2年前に、液体など重い物を下段に下し、
最上段は紙類のストックくらいしか置いていなかったので、さしたる被害はありませんでした。
他の扉も開いてしまっていましたが、多少の落下程度で済みました。
寝室には倒れたら一番怖いタンスがありますが、下の前面に入れたふんばる君と
天井への突っ張り棒が効を奏したのか、上に乗った軽い箱すら、まったく動いていませんでした。
同じマンションの方で、タンスが倒れたという話も聞いたので、これは転ばぬ先の杖だったようです。
色々なものが飛び出していたのは仏壇でした。仏壇も突っ張り棒は当ててあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/1f/b042ad7a17ca350a836615d62eece215.jpg)
お位牌は皆倒れて飛び出していましたが、なぜか母のお位牌だけはそのまま・・・
こうなっても、その性格が発揮されているかのようで(?)、ちょっと苦笑。
不思議なのは、お位牌が皆倒れていても、小さなガラスのグラスに入った水、
高杯に乗ったお茶や果物は、まったく動じていなかった事。
重さがある事で、動じなかったのでしょうか・・・
平らな物は倒れて落ちる。四角い物は落ちにくい。
たぶん、東西に揺れたようで、同じような物でも、向きによって、倒れなかったです。
一番の我が家の被害者はメダカ達だったかも知れません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/65/61b777903ce002332998bde8c8aa7e77.jpg)
すでに暗くなっていましたが、よく見たら、蓮鉢の水は半分になり、
手前に置いてあった、浮いているゴミをすくう為のコッブは、半分以上、水が溜まっていました。
とりあえず、ナナとチビめだか2匹は確認。でも怯えた顔に見えました。
もう1匹が投げ出されていないか、心配でしたが、翌朝みたら、みんな元気に泳いでいました。
鉢の中は、揺れで泥が舞い上がって、全体的に沈殿したような状態。
浮き草もかなり鉢の外に落ちていました。
震度5という、人生初の揺れを体験しましたが、被害というにはおこがましい程度の事で済み、
本当に助かりました。
まだ余震は続いていますが、慣れっ子になっているのが、まずいなぁと思わないでもなく・・・
それでも夜は、ベッドの横に、ラジオ付きの懐中電灯、スニーカー、非常用の持ち出し袋、
ダウンコートと帽子を置いて、ぐらっと来たら、すぐに避難梯子のある窓を開けています。
先程、ローソンに行ったら、すでにほとんどの商品は無くなっていて、
ロールケーキだけが、不気味な位、沢山並んでいました。
食料は、それなりにあるので、あまり心配はないですが、
これからは、原発の爆発後の状況が刻一刻と変わっているので、油断はできません。
買い占めに走るのは人情として仕方ないですが、これについては、
販売する側が、1人あたりの購買可能点数を規制をするべきですね。
(被災地では、そうしているのをTVで見ました。)
昨日は、友人から来た「首都圏と千葉に化学薬品の雨が降る」の情報に踊らされてしまいました。
丁度TVで、原発の事で、専門家の指摘する情報と、政府の発表との格差に、
不安が募った直後の事でした。
ひとことにUPして、沢山の方にご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。
メール連絡がとれるのはありがたいですが、1人でいると限定された情報で動いてしまい、
冷静にならなければいけないと再認識した次第でした。。。
どうか、これ以上、被害者が増えませんように・・・
どうか、少しでも早く、避難している人達が、暖かい場所で安心して眠れますように・・・
どうか、もう、これ以上、原発が危機的状況になりませんように・・・
その為には、私に何が出来るか、1つでも実行して行きたいと思います。
とりあえずは、節電ですね。
海外からも沢山の援助の手が差し伸べられて、心から、ありがたいと思います。
それから、1人でいる私を心配して、連絡をくれた親戚・知人・友人のみんな、
本当にありがたかったです。
1週間位は、大きな余震の可能性があるそうです。みなさん、くれぐれも注意下さいね。
追記: うちの叔父の実家が岩手にあり、高齢のお母さんがいて、とても心配でしたが、
先程(日曜の昼頃)に無事が確認され、ひとまず胸をなで下ろした次第です。
寒く不安な夜を過ごされている皆様、少しでも早く、その状況が解消される事を祈っています。
そして、救出を待つ1人でも多くの方が、救い出される事を願って止みません。
私は東京の港区のビルにいました。
火を使う事はないのですが、地震で扉が歪んで開かなくなるなるのが怖いので、
揺れ始めたらまず扉を開けましたが(これはついもやる)、
その後、ガタガタともゴーともつかぬ音になり、
これはただならぬ揺れだと思い、ひざかけを持って、机の下にもぐり込みました。
ガタガタ音と、何かの非常ブザーの鳴る音がして、
ついに来たか!!と思いつつも、何もできずに、
じっとしているしかありませんでした。
潜っているデスクの引き出しがゆるゆると開いて行って、
ロッカーの扉が一斉に開き、壁の絵画が斜めに傾き・・・
東京23区は震度5弱との事ですが、ビルのあたりは埋め立て地なので、
もう少し揺れが強かった気がします。
第一波が収まったところで、落下すると厄介な事になる神棚の上の物を下し、
電気ポットの電源を抜き、事務所用のサンダルから靴に履き替えたら、
また余震がきたのでデスクの下へ。
その後は、外の様子を見たら、意外とみなさん、ビルから外に出ているんですよね。
都会って、ビルの外壁が落ちて来たり、割れたガラスが落ちて来たりしそうで、
かえって危険だと思い、私は建物内に留まりました。
案の定、ビルのタイルが落下していました。おーこわっ!
最初は通じた電話も、すぐに通じなくなりました。
幸いにも、インターネット回線は問題なく繋がっていて、
インターネットのラジオでニュースの情報を得られた事、
メールで急を要する相手と連絡がとれた事は、とても助かりました。
特に、東京湾近くだったので、津波の状況がわかった事は、大きな収穫でした。
TVでは、全国的な情報しか流れませんが、
地域に密着した情報を得る手段としてのラジオはとても有効だったと実感です。
その後、かつて見た事がない沢山の人がビルの前を歩いていました。
一体、どこまで歩いて帰るのだろうか、
余震でガラスの雨に打たれる事なく無事に辿りつけるのだろうかと、
万感の思いで見つめました。
また、人々の歩く横で、まったく動かない状態の、超渋滞の幹線道路。
たぶん、この光景は一生忘れないでしょう。
歩く人の姿もまちまちで、ヘルメットを被って、リュックを背負っている人、
コンビニの食料を下げて、食べながら歩く人、
ハイヒール姿の女性・・・
何を備えるべきか、考えさせられました。
あとは、極力、1人ではなく、同方面の人と、行動を共にする事も大切ですね。
私も、落ちそうな物を床に下ろして帰宅しました。
電車は止まっていましたが、我が家は徒歩範囲なので、この点は問題なしでした。
後になって思ったのは、同じビルの人で、帰宅困難な人がいないか聞いて、
自宅の自転車を提供してあげらればよかったという事。これには、大反省です。
自宅のエレベーターは、おそらく一旦止まったとは思いますが、
帰宅時には復旧していました。
我が家は、埋め立て地のマンションの上階で、普段の地震でもかなり揺れるのですが、
今回の揺れはハンパなかったようで・・・
まず、自宅の扉を開けたら、玄関はガラスの破片だらけ。
靴箱にの上に飾ってあった貝殻やガラスのフレームが落ちて砕けていました。
とりあえず、そこをまたいで、スリッパを履き、
大きなガラスを、手袋をしたまま拾って紙袋に入れ、細かいものは掃除機で吸い取りました。
室内も同様に、立てかけていたものは、かなり落下していました。
キッチンの引き出しは全部開き、オープン棚の中身も半分位落下。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/19/98b418b846b7202734a457d08f5ab76d.jpg)
それでも、大きな被害が出なくて済んだのは、
吊り戸棚は地震用のストッパーが付いていて、中から圧力がかかるとロックが掛り開かないのです。
もし、ここの食器が落下していたら、大変な事になっていたと思います。
ただ、中の食器は揺れて前面に偏っていたようで、翌日、扉を開けたら落下して、
お気に入りのグラスが割れてしまいました。
食品庫も扉が開き、手前の物が落下。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/e4/9b163eaa31018dbb984bcd08acc11385.jpg)
ここは地震が来たら開いてしまうと思い、2年前に、液体など重い物を下段に下し、
最上段は紙類のストックくらいしか置いていなかったので、さしたる被害はありませんでした。
他の扉も開いてしまっていましたが、多少の落下程度で済みました。
寝室には倒れたら一番怖いタンスがありますが、下の前面に入れたふんばる君と
天井への突っ張り棒が効を奏したのか、上に乗った軽い箱すら、まったく動いていませんでした。
同じマンションの方で、タンスが倒れたという話も聞いたので、これは転ばぬ先の杖だったようです。
色々なものが飛び出していたのは仏壇でした。仏壇も突っ張り棒は当ててあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/1f/b042ad7a17ca350a836615d62eece215.jpg)
お位牌は皆倒れて飛び出していましたが、なぜか母のお位牌だけはそのまま・・・
こうなっても、その性格が発揮されているかのようで(?)、ちょっと苦笑。
不思議なのは、お位牌が皆倒れていても、小さなガラスのグラスに入った水、
高杯に乗ったお茶や果物は、まったく動じていなかった事。
重さがある事で、動じなかったのでしょうか・・・
平らな物は倒れて落ちる。四角い物は落ちにくい。
たぶん、東西に揺れたようで、同じような物でも、向きによって、倒れなかったです。
一番の我が家の被害者はメダカ達だったかも知れません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/65/61b777903ce002332998bde8c8aa7e77.jpg)
すでに暗くなっていましたが、よく見たら、蓮鉢の水は半分になり、
手前に置いてあった、浮いているゴミをすくう為のコッブは、半分以上、水が溜まっていました。
とりあえず、ナナとチビめだか2匹は確認。でも怯えた顔に見えました。
もう1匹が投げ出されていないか、心配でしたが、翌朝みたら、みんな元気に泳いでいました。
鉢の中は、揺れで泥が舞い上がって、全体的に沈殿したような状態。
浮き草もかなり鉢の外に落ちていました。
震度5という、人生初の揺れを体験しましたが、被害というにはおこがましい程度の事で済み、
本当に助かりました。
まだ余震は続いていますが、慣れっ子になっているのが、まずいなぁと思わないでもなく・・・
それでも夜は、ベッドの横に、ラジオ付きの懐中電灯、スニーカー、非常用の持ち出し袋、
ダウンコートと帽子を置いて、ぐらっと来たら、すぐに避難梯子のある窓を開けています。
先程、ローソンに行ったら、すでにほとんどの商品は無くなっていて、
ロールケーキだけが、不気味な位、沢山並んでいました。
食料は、それなりにあるので、あまり心配はないですが、
これからは、原発の爆発後の状況が刻一刻と変わっているので、油断はできません。
買い占めに走るのは人情として仕方ないですが、これについては、
販売する側が、1人あたりの購買可能点数を規制をするべきですね。
(被災地では、そうしているのをTVで見ました。)
昨日は、友人から来た「首都圏と千葉に化学薬品の雨が降る」の情報に踊らされてしまいました。
丁度TVで、原発の事で、専門家の指摘する情報と、政府の発表との格差に、
不安が募った直後の事でした。
ひとことにUPして、沢山の方にご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。
メール連絡がとれるのはありがたいですが、1人でいると限定された情報で動いてしまい、
冷静にならなければいけないと再認識した次第でした。。。
どうか、これ以上、被害者が増えませんように・・・
どうか、少しでも早く、避難している人達が、暖かい場所で安心して眠れますように・・・
どうか、もう、これ以上、原発が危機的状況になりませんように・・・
その為には、私に何が出来るか、1つでも実行して行きたいと思います。
とりあえずは、節電ですね。
海外からも沢山の援助の手が差し伸べられて、心から、ありがたいと思います。
それから、1人でいる私を心配して、連絡をくれた親戚・知人・友人のみんな、
本当にありがたかったです。
1週間位は、大きな余震の可能性があるそうです。みなさん、くれぐれも注意下さいね。
追記: うちの叔父の実家が岩手にあり、高齢のお母さんがいて、とても心配でしたが、
先程(日曜の昼頃)に無事が確認され、ひとまず胸をなで下ろした次第です。
私の実家は伊豆でして、しょっちゅうグラグラする場所でした。
でも、幸い地震で死者が出たことはなくて(多分)伊豆の人は中途半端に地震慣れしているとこがあるように思います。
私は慣れることなく、恐くてギャーギャー騒ぎ、
あんたの声のほうが恐いと言われてましたが
翠さんも一人暮らしされているのでしょうか?
私の姉も東京で一人暮らししてます。
上の姉が同じ都内にいるので、そちらにいさせてもらえたら心強いと思うけど、
仕事先が遠くなるので、一人アパートにいます。
一人で夜は恐いだろうなぁと思うとホント心配で。
翠さんブログに書かれていましたが、なるたけ一人にならないように、回りの人と行動を供にすること、大事だと思います。
東京はひとまず普通に生活できているようですが、
いつ電気が止まるかもわからないですし、落ち着きませんね。
とにかく地震が収まってくれることを願うばかりです。
私も万が一に備えてバッグに荷物つめてます。
日本中が緊張していますね。
やっと昨夜から余震を感じる事はほとんどなくなりましたが、
我が家の近くにあるテレビ局の報道ヘリと思われるものが、
かなりの頻度で飛び、それでも轟音と揺れがくるので、
そのたびドキドキしています。
東京の集合住宅は、子供か犬でもいない限り、
近所づきあいはほとんどないので、いざという時の不安ですね。
それでも上のお姉様が都内にいらっしゃるなら、随分心強い事かと思いますが、
メールでも、電話でも、様子見の連絡をされると、孤立感がなくていいかと思います。
私も、比較的近くに会社のある友人に、鍵をあずけてあり、
この週末も一緒にいました。
港区は停電除外地区のようで、その点は申しわけないくらいありがたいですが、
スーパーやコンビニも買い占めで物が無くなっています。
誰かの恐怖が、別の誰かの恐怖をあおって、パニックになっていくと思うので、
冷静にならなければいけませんね。
私の認識の甘い事も、その人から随分指摘されました。。。
緊急用の持ち出しリュック、阪神淡路大震災以来、
寝室のクローゼットに置いてあります。
一般的な物に加え、ラップが便利だったという話を聞いて、
それも入れました。
女性は衛生用品がないと切実な問題になるようなので、そのあたりも忘れずにね。
実際こんな風に画像があると、揺れのすごさが手に取るように伝わりますね。
私は震度5の経験はあるのですが、こんなに酷くはなかったですよ。
こんな時、一人でいるということがとても心細いでしょうね。
ネットであっても誰かと繋がっている時間は、少しでもその不安は減りますか?
まだまだ余震も多いし(しかも大きいのが)大変なことだらけだと思いますが、周りの人たちと協力し合って工夫して乗り切ってくださいね。
比較的普段と変らない生活を送っている地域に住む者として、何が出来るのか知るためにも
出来る範囲でいいのでそちらの状況を、教えてくださいね。
翠さんの地震の時のとっさの対処、すごいです!
いろいろと学ぶことができました。
お母様の位牌が倒れていなかったのは不謹慎かもしれませんが
思わず微笑んでしまいました。
そしてメダカちゃんたちが投げ出されてなくて本当によかった!
関東はものが不足して大変なようですが
関西でも電池がごっそり店から消えたと聞きました。
ご親戚の方の無事が確認できてなによりです。
しばらく不自由な生活が続くと思いますが
くれぐれもお体に気をつけてください。
昨日実家から帰宅しました。
ひどい揺れでしたね。
北海道は
水、カップメン、ティッシュ、米など不足してきました。
おひとり様1個とか制限されてます。
されてもまだ買えるうちはいいのですが、
3日もたてば品不足して買えないかも?
まだまだ大きな地震が来る可能性が大きいので持ち出しリュックの用意は必需品ですね。
水、ラップ、カンパン、懐中電灯、ラジオはもちろんの事、ビニール袋(大、小)が水入れのバケツ代わりになり便利だそうです。
色々考えると水なしシャンプーとか消毒用アルコールとかきりがないですね。
このリユックを使う事がないようにこれ以上大きな地震が来ない事を祈ってます。
お気遣い、ありがとうございます。
おかげ様で大した事もなく、暖かい布団にくるまれて眠れる事に、
毎晩感謝しています。
東京は震度5弱という事ですが、埋め立て地かつ河沿いの我が家の下は液状化していると思われ、
おまけにマンションも上階(地上25-30m位?)なので、揺れが強かったのだと思います。
イマドキのマンションは、倒れない代わりに“しなる”とも聞きました。
そのせいじゃないかと思います。
ネットでの繋がりは、いつの間にか私の中で大きな力になっています。
余震の中1人で過ごす夜でも、随分気持ちは救われます。
地震に限らず、身動きがとれない時に、実名と場所を公開してSOSを出せば、
誰かアクションを起こしてくれるんじゃないかと、
淡い期待も抱いています。
今できる事は、ミニマムな生活を心がける事でしようかね。
省エネ度、チームマイナス6%どころじゃなく実践されていますよね、きっと。
ブログが閉鎖されていたので、ご家族に何かあったのではないかと、心配していました。
再開してくれて、嬉しいです。
今は、平穏無事な場所が、九州だろうが、アメリカだろうが、
ちゃんと存在している事が、とても心強いんです。
NYは別としても、アメリカは道路も広いし、外に出れば落下物からの被災は防げますよね。
物やお金より、何事にも、命あってですからね。
東京のお店からはすっかり物が消えていますが、だいぶ電車も動きだしましたし、
解消されるのは時間の問題だと思い、気長にかまえています。
家にある物を食べていたって、かなり持つと思いますしね。
(パンも焼けるし!!)
うちのあたりは、計画停電の除外地区なので、それだけでも本当にありがたいです。
メダカ達は、とっても元気です。
特に、ナナは冬を越えたばかりとはおもえない程太っていて、
もしややしてご懐妊?と思える程です。
あっ、懐妊と言えば、胡蝶蘭が咲きましたよ。今、3番目迄咲いています。
そちらでも品不足ですか?
東京の品不足は、計画停電で工場が稼働しないので入荷がないのと、
料理が出来ないので簡単なものを・・というのが
一番大きい原因だと思うのですが、こういう恐怖心って、
人を駆り立ててしまうんでしょうね。
あとは、少し治まってきましたが、原発がもしもの時は、
東京も外に出られなくなるという危惧も大きいですね。
こういう時は、関東大震災や太平洋戦争をくぐり抜けて来た人に、
喝を入れてもらいたいものです。
非常時に、普通の生活をどこ迄もしようとする精神が強過ぎますね、被災地以外のみんな。
持ち出しリュック、阪神大震災の時以来、用意していますが、
あれもこれもと入れているうちに、避難時に背負えない位重くなってしまい、見直しました。
とりあえず必要なのは、靴と寒さを凌ぐものと水ですかね。
ポカリスエットの粉を舐めていると生き延びられると聞き、
それも入れています。
水と塩があれば、1週間は間違いなく生きていられますので、まずはそれです!
わが薬局のお客さま方も津波や液状化の被害を受けられ、とても心が痛みます。
千葉県の被害はほとんどテレビで伝えられませんが、地域によっては大変なことになってます。
あの揺れの中、1人は不安ですよね。
わが家の近くに1人住まいをしていた姪もしばらくはうちに居候していました。いつもは独立心の強い女性ですが、わが家にきてほっとしたようでした。
地震から今日で10日が経ちますが、
これほどの、日本全体のダメージになるとは。。。
翠さんのマンションでの揺れ具合が分かる様な画像ですね。
私の部屋は2階だった事と、郊外のせいか、帰宅後に異変は見つかりませんでした。
なので、ちょっとびっくりしました!
あれから、生活面では色々と変化があり、
今日もスーパーの照明が半分消え、棚の商品が空だったりと、
普段の光景が一変しました。
被災に遭われた方々の事を思えば、何も言えませんね。
購入を躊躇っていた、某通販の避難袋セット、ソールドアウトしてました。
おかげ様で、直接の知り合いは皆無事でした。
千葉の液状化は、本当にヒトゴトではなく、我が家の近辺でも、
水こそ吹き出していないものの、段差が出来ていたり、地面にひび割れが出来ていたり・・・
それを見るだけでも、ここにいていいんだろうかと、ものすごい不安を抱えながらの日々です。
昨日は、世田谷にある実家の様子を見に行き、その後友人宅にお邪魔しましたが、
嘘のように平穏で、これまでにない安堵感をおぼえました。
特に高齢になったら、こういう時に1人では身動きがとれませんね。
世田谷へのUターン計画、具体的に考えなくちゃです。
計画停電で、どれぼとの不便と、不安と闘っているかと思うと、頭が下がります。
またまた、るちぃるさんの会社が都心だったら、避難しておいで、って言いたいところですが、
うちも怪しいものです。。。
想像以上の被害ですね。
当初、都市部でないのだから、阪神淡路ほどの人的被害にはならないだろうと思っていました。
その言葉が使われる時、本当にそうなの・・と思っていましたが、
今回はまさに未曾有の出来事です。
あまりに日常からかけ離れた様々な光景、しっかりと記憶に焼き付けて、
次世代に伝えていかなければ、ですね。
持ち出せる懐中電灯やラジオはありますか?
昨日、実家にあったのも持って来たので、言って下されば、送りますよ。