蔵王に行ってきました。
その前に、ハナの薬。
化膿止めの抗生物質は、2週間も効くという注射をしてもらったんですが、
痛み止めは、1日1回。 注射器のようなもので、0.3ml計って、口にピュッと入れると舐めながら飲み込みます。
さて、今回も雨が降る中、山行でした。
1日目は、雨のため、予定変更で、宮城の被災地を見てきました。
若林区です。
そして、石巻
写真をたくさん撮りました。
松島は、比較的、大丈夫でした。
そして、表題の「不幸中の幸い」の、蔵王。
2日目、期待したほど、天気は良くならなかったのですが、とりあえず出発。
9時の始発です。
ロープウェー山頂駅のお地蔵さん前で、記念撮影。 この天候だから、少しだけ歩いて、すぐに降りようと考えていました。
この時は、まだ、お気楽気分です。
熊野岳山頂の蔵王神社です。
ガスの中で何も見えないし、じゃあ、下りましょうということで、2人は、お釜の方を回って下りる、後の8人は、近道の岩場の道を帰ることにしました。
一人の姿が見えません。今回初めて、同行するようになった人です。困ったと思いましたが、上るときも、姿が見えなくなったんだけど、すぐに現れたし、
視界が悪くても、間違えるような場所でもないし、後で来るだろうと、そのまま山頂駅まで戻りました。
今日はもうこれで降りようと、カッパを脱いで、蕪清さんが、コーヒーを沸かす準備をしていると、杉清さんの携帯に、若杉の若清さんから電話。(3人とも清さんだな。)
その、いなくなった人が、滑落して、自分のいる場所がわからないということ。
今回初同行ということで、お互いの携帯番号を確認していなくて、たまたま知っていた若清さんに電話して、若清さんから杉清さんに連絡が来たのです。
なんでそんなことになるのと思いながらも、すぐに、準備をして、蕪清さんと二人で、探しに上りました。
お釜の方を回ってくる2人にも連絡して、帰らずに、残って捜索してもらうことにしました。
本人の携帯に連絡すると、登山道を、下りる方に向かって右側の大きな岩のところにいるという。
ガスがかかっているので、見えないし、全然わからない。おーい、おーいと呼びながら歩く。
どうしてもわからなくて、そうこうしていると山武さんが上ってきました。
これは捜索隊をお願いした方がいいという。あまり時間が過ぎて、暗くなったりしたら最悪だと、私も思ったので、杉清さんに連絡して、救助をお願いしてもらいました。
蕪清さんが、右側を、落ちれば、本来の登山道にあたるはずだから、左側に違いないという。
それで、私は、頂上から左側を、大きな声で呼びながらだんだんに下りていきました。蕪清さんは、私の少し下の位置から左へ進んでいきました。
しばらく行くと、呼び声に応える声がしました。 発見しました。
砂と岩の崖のようなところをガラガラと岩を落としながら降りていくと、いました。
すぐに蕪清さんも来ました。
杉清さんに、発見を伝えて、捜索隊は要らないと連絡しました。
本人は全く動けないわけでもないので、がんばって上に登ってもらうことにしました。
下に行けば、何も見えないし、どんなところが待ち受けているかわかりません。それこそ遭難すると思われました。
3人でなんとか、がんばって登りましたが、急な崖で、登りきれません。体力もなくなっているのです。
これは無理か? やっぱり、救助をお願いした方がいいということで、携帯で、杉清さんに、ロープで引っ張り上げてもらうしかないので救助を再度お願いしてもらうように連絡しました。
しばらく待っているうちに、林伸先生が現場に降りてきました。
本人は、体が冷えてきて寒いという。 林伸先生のポンチョを着てもらう。
どれだけ待てばいいのか、待ちきれなくなって私は、一度上に登る。頂上付近にいることは伝えてあるので、すぐに案内できるように。
急な岩場を這い上がると、山形県警から私の携帯に電話がかかり、どんな状況なのかと聞かれる。
「頂上付近の左側の斜面にいて、登りきれないので、ザイルで引き揚げていただきたいのです。」というのだが、「ザイルがなければ降りられないということですか。」というので、「降りるんじゃなくて、頂上のすぐそばですから、登りたいんです!」と、電波の状況もあって、つい大声になる。「本人も体力がなくなってきて、寒がっているんです!」
電話の感じから、まだ何も動いていない様子。 何してるんやと思っているところに、先生も上に上がってきた。
先生はどこから登ったの?と聞くと、こっちからやというので、そこを降りてみると、このルートなら登れそうな気がする。
救助は、まだまだ来ないと思うというと、じゃあ登ってみようということになって、4人で、なんとか頑張る。
そうして、やっと、登り切りました。
ここまでくれば、登山ルートをゆっくり下りれば、大丈夫。
着信履歴を見て、すぐに山形県警に電話。大息をつきながら、「何とか頂上に登りました。もう大丈夫です。後は、ゆっくり下ります。」
杉清さんにも、電話。 そして、下りている写真です。
大変な時は、写真を撮る余裕がなかったんだなと改めて思います。
今回、幸いなことが、いくつもありました。
まず、天気。 雨降りだったのですが、捜索中や、救助を待つときは、ガスがかかっていましたが、雨が降らなかったということ。体力をそんなにも奪われずに済んだ。
そして、携帯が、なんとか通じる山だったこと。電波は弱くても、なんとかなった。全然通じない山もあるのだから、ほんとに幸運でした。携帯がなかったらアウトでした。
本人は方向感覚を失っていて、反対の方にいると判断した蕪清さんの判断力。
林伸先生が、登れるルートを見つけてくれたこと、そして3人の補助があって登り切れたこと。
杉清さんたちが、山頂駅で、本部の役割をしてくれたこと。
簡単な山だと思って甘く見ていました。
ちゃんと遭難碑もあるんです。
帰りのロープウェーです。
何にも、出動してもらってないけれど、事情聴取だけは、しっかりされました。
蔵王! またくるぞ。
その前に、ハナの薬。
化膿止めの抗生物質は、2週間も効くという注射をしてもらったんですが、
痛み止めは、1日1回。 注射器のようなもので、0.3ml計って、口にピュッと入れると舐めながら飲み込みます。
さて、今回も雨が降る中、山行でした。
1日目は、雨のため、予定変更で、宮城の被災地を見てきました。
若林区です。
そして、石巻
写真をたくさん撮りました。
松島は、比較的、大丈夫でした。
そして、表題の「不幸中の幸い」の、蔵王。
2日目、期待したほど、天気は良くならなかったのですが、とりあえず出発。
9時の始発です。
ロープウェー山頂駅のお地蔵さん前で、記念撮影。 この天候だから、少しだけ歩いて、すぐに降りようと考えていました。
この時は、まだ、お気楽気分です。
熊野岳山頂の蔵王神社です。
ガスの中で何も見えないし、じゃあ、下りましょうということで、2人は、お釜の方を回って下りる、後の8人は、近道の岩場の道を帰ることにしました。
一人の姿が見えません。今回初めて、同行するようになった人です。困ったと思いましたが、上るときも、姿が見えなくなったんだけど、すぐに現れたし、
視界が悪くても、間違えるような場所でもないし、後で来るだろうと、そのまま山頂駅まで戻りました。
今日はもうこれで降りようと、カッパを脱いで、蕪清さんが、コーヒーを沸かす準備をしていると、杉清さんの携帯に、若杉の若清さんから電話。(3人とも清さんだな。)
その、いなくなった人が、滑落して、自分のいる場所がわからないということ。
今回初同行ということで、お互いの携帯番号を確認していなくて、たまたま知っていた若清さんに電話して、若清さんから杉清さんに連絡が来たのです。
なんでそんなことになるのと思いながらも、すぐに、準備をして、蕪清さんと二人で、探しに上りました。
お釜の方を回ってくる2人にも連絡して、帰らずに、残って捜索してもらうことにしました。
本人の携帯に連絡すると、登山道を、下りる方に向かって右側の大きな岩のところにいるという。
ガスがかかっているので、見えないし、全然わからない。おーい、おーいと呼びながら歩く。
どうしてもわからなくて、そうこうしていると山武さんが上ってきました。
これは捜索隊をお願いした方がいいという。あまり時間が過ぎて、暗くなったりしたら最悪だと、私も思ったので、杉清さんに連絡して、救助をお願いしてもらいました。
蕪清さんが、右側を、落ちれば、本来の登山道にあたるはずだから、左側に違いないという。
それで、私は、頂上から左側を、大きな声で呼びながらだんだんに下りていきました。蕪清さんは、私の少し下の位置から左へ進んでいきました。
しばらく行くと、呼び声に応える声がしました。 発見しました。
砂と岩の崖のようなところをガラガラと岩を落としながら降りていくと、いました。
すぐに蕪清さんも来ました。
杉清さんに、発見を伝えて、捜索隊は要らないと連絡しました。
本人は全く動けないわけでもないので、がんばって上に登ってもらうことにしました。
下に行けば、何も見えないし、どんなところが待ち受けているかわかりません。それこそ遭難すると思われました。
3人でなんとか、がんばって登りましたが、急な崖で、登りきれません。体力もなくなっているのです。
これは無理か? やっぱり、救助をお願いした方がいいということで、携帯で、杉清さんに、ロープで引っ張り上げてもらうしかないので救助を再度お願いしてもらうように連絡しました。
しばらく待っているうちに、林伸先生が現場に降りてきました。
本人は、体が冷えてきて寒いという。 林伸先生のポンチョを着てもらう。
どれだけ待てばいいのか、待ちきれなくなって私は、一度上に登る。頂上付近にいることは伝えてあるので、すぐに案内できるように。
急な岩場を這い上がると、山形県警から私の携帯に電話がかかり、どんな状況なのかと聞かれる。
「頂上付近の左側の斜面にいて、登りきれないので、ザイルで引き揚げていただきたいのです。」というのだが、「ザイルがなければ降りられないということですか。」というので、「降りるんじゃなくて、頂上のすぐそばですから、登りたいんです!」と、電波の状況もあって、つい大声になる。「本人も体力がなくなってきて、寒がっているんです!」
電話の感じから、まだ何も動いていない様子。 何してるんやと思っているところに、先生も上に上がってきた。
先生はどこから登ったの?と聞くと、こっちからやというので、そこを降りてみると、このルートなら登れそうな気がする。
救助は、まだまだ来ないと思うというと、じゃあ登ってみようということになって、4人で、なんとか頑張る。
そうして、やっと、登り切りました。
ここまでくれば、登山ルートをゆっくり下りれば、大丈夫。
着信履歴を見て、すぐに山形県警に電話。大息をつきながら、「何とか頂上に登りました。もう大丈夫です。後は、ゆっくり下ります。」
杉清さんにも、電話。 そして、下りている写真です。
大変な時は、写真を撮る余裕がなかったんだなと改めて思います。
今回、幸いなことが、いくつもありました。
まず、天気。 雨降りだったのですが、捜索中や、救助を待つときは、ガスがかかっていましたが、雨が降らなかったということ。体力をそんなにも奪われずに済んだ。
そして、携帯が、なんとか通じる山だったこと。電波は弱くても、なんとかなった。全然通じない山もあるのだから、ほんとに幸運でした。携帯がなかったらアウトでした。
本人は方向感覚を失っていて、反対の方にいると判断した蕪清さんの判断力。
林伸先生が、登れるルートを見つけてくれたこと、そして3人の補助があって登り切れたこと。
杉清さんたちが、山頂駅で、本部の役割をしてくれたこと。
簡単な山だと思って甘く見ていました。
ちゃんと遭難碑もあるんです。
帰りのロープウェーです。
何にも、出動してもらってないけれど、事情聴取だけは、しっかりされました。
蔵王! またくるぞ。