柳は緑、花は紅

ありのままのすうざん

腹黒いのは、わたし

2009-04-26 15:10:15 | Weblog

先日の葉さんの「気分は主役!云々」というコメントを読んで、決して向こうを張るわけではありませんが、

私は断然、











助演ぢょゆうを狙っています。


私も一人の女。

女に生まれたからには「いつも主役」で、ありたいもの。

ただ、毎年開催される映画の祭典を見ていると、その年の主演女優賞を受賞するのは、キラキラ輝いている旬の女優達。

それに引き換え、助演女優賞を受賞する女優達というのは、必ずしも旬ではない。時には、以前は旬の女優として主役を演じていた女優が、助演女優としてノミネートされ壇上に立つ場合もある。

だからといって、自分を卑下していたり、主役を羨んでいる様子も無く、むしろ誇らしげに私には見える。

モチロン主役の女優の出番は多い、セリフも多い、見せ場も多い。だが、助演にノミネートされる女優は、「ここぞ」という場面で「ここぞ」という演技をキラリと見せる。
もしかしたら主役の女優よりも、観客の印象に残るかもしれない。

そんな意識が、助演女優達を輝かせているのでしょう。

いつもはテレビCMで、納豆をかき混ぜたり、写真プリントをお願いしている、ザ・助演女優キキキリンさんが、どの主演女優よりも目を引くのはそのせいだ。と私は思う。

しかし助演女優は、哀しいかな主役になるのが苦手。のはず。

いつも主役を支え、主役よりも目立たないように心がけている彼女達にとって、自分にだけスポットライトが当たってしまうのは、どうも恥ずかしいというか、居心地が悪い。といいますか。

自称助演ぢょゆうの私も、「すうざんの出版記念オフ会」とか「すうざんの誕生日を祝う会」と、主役の座に上げられても「お花見の序でにしましょう」やら「私以外にも10月生まれの方がいらっしゃるのでご一緒に」と、ついつい気が引けてしまう。

主役とは、♪命短し恋せよ乙女♪と歌われる乙女のように、寿命が短いもの。

いつまでも主役を張るのは、肉体的にも精神的にもきっと辛いはず。

いつかは、今まで自分が守ってきた主役の座を、瞳をキラキラさせた旬の女優に譲る日が訪れることでしょう。

その主役交代劇を、そばで見守るのも助演のお仕事。

今までは●○さんが主役だったけど、これからは▽■さんが主役。でも助演は助演のまま、その新しい女優に合わせた演技を続けます。

自称助演ぢょゆうの私も、その時の主役によって着物を替えます。

「■○▽さんの送別会」に出席する場合は、彼女が着ない色の着物を。

「友達の赤ちゃんに会う日」は、主役である赤ちゃんに着物を合わせます。
特別な事情が無い限り、明るい色の着物や帯を着て、必ず割烹着かエプロンを着ます。
この場合の割烹着&エプロンは「私の大事な着物を汚したくない」ではなく

「古着の着物ですみません」 という気持ち。
私が着ている着物の殆どは、ホコリっぽい骨董市で購入したものが殆どで、大人の友達同士では大丈夫でも、もしかしたら赤ちゃんには有害かも。という心配から。ま、これは別に分かってもらえなくてもいいかな。

以上のことから、私はこれからも



助演ぢょゆう を狙います。

どんなに若い主役の女優と並んでも大丈夫なように、日々お肌を磨き、演技力を付け


いつまでもいつまでも着物を着続けます。


最初から主役を狙わないアタリが、



ズルイでしょ、わたしって。