映画 海難1890 2015年日本・トルコ共同制作
ストーリー
1890年、トルコ軍艦による和歌山県紀伊大島での、台風による難破事故によって
トルコ乗船者の大量海難事故が起きてしまった。
しかし、そんな遭難事故の生存者に対して、日本の小さな村は、村を挙げての救助活動を行った。
村の娘ハルは、丁度少し前に許嫁を海難事故で亡くしたばかりで、悲しみのあまり言葉が話せなくなっていた。
そんな、彼女の前に1人の異国の将校ムスタファが、呼吸が停止したまま横たわる。
彼女は、相当な恐怖に打ち勝ち、人口呼吸を続け将校を生き返らせる。
しかし、生き返った将校は、自分がなぜみんなと死ななかったのか?
なぜ自分が生き残ってしまったのか?と、起こった事態のあまりの現実に、我を忘れて怒り狂い、ハルに対して投げやりな態度を取る。
そんなハルだったが、将校が一人で海岸縁で悲嘆にくれ、一夜を過ごした時
彼の事を心配して、一睡もせずに見守った。
この村で、ただ一人英語を話せる献身的な医療を行う先生と呼ばれる識者のおかげで
将校はやっと現実を把握して帰路に就いた。
それから100年後、世の中はイラン、イラク戦争に突入していた。
イラクのフセイン大統領は、イランに対して48時間後のイラン上空を飛ぶ航空機に対して
無差別に攻撃を仕掛けると戦線布告を行った。
イランに滞在する各国の人達は、それぞれの国でチャーター便を出してイランからの脱出が始まった。
しかし、日本では危険が多い飛行に対して、国も自衛隊も引き上げの飛行機を用意する事が出来ない。
日本人女教師の晴海は、日本人大使館に最後の手段でトルコの大使館に依頼するよう大使に伺いを立てる。
大使館員同士の要請によって、時のトルコ大統領は取り巻きの大反対に逢いながら
チャーター便を一機追加するよう決断した。
大使館を通じて以前から、晴海に面識のあったトルコ大使館員ムラトは
晴海達、最後の日本人を自分の車で空港まで送り届けた。
しかし、空港では大変な事が起こっていた。
トルコ人の避難者が大勢詰めかけて、日本人が飛行機に乗れるような状態では無かった。
この状況を見て、晴海達を送り届けてくれた大使館員のムラトは
皆の前に立ち懸命に日本人を飛行機に乗せるように説得する。
いきり立っているトルコの群衆は、全く聞く耳を持たない。
しかし、ムラトは落ち着いた口調で語り掛ける。
100年前に、某国の国民は我が海軍軍隊が異国で遭難した時に、決死の想いで救助してくれた。
今こそ、その恩を返す時ではないのか・・と。
やがて、その歴史を想い出したトルコの民衆は、道を開け日本人に飛行機に先に乗れと会釈をする。
こうして、無事に日本人たちは戦火のイランから避難する事が出来た。
晴海達、大使館関係者は最後まで群衆に頭を下げ続ける。
晴海の前に、先程説得してくれたトルコの大使館員ムラトが近寄り、話しかける。
『遠い昔、何処かで逢ったような気がしますね!』
「私もそういう気がしていました!」と晴海は答えた。
まるで、100年前に遇った将校のムスタファと村娘ハルのように・・。
日本人が乗った飛行機が、無事トルコに到着した後、トルコ大統領に報告が入った。
今回の避難で、我が国の国民より日本人を優先して避難させた事について
国民から、途切れることなく政府に電話が入っています。
「それは、良くやったという賛辞ばかりで、非難の電話は一通も有りません」
大統領は安堵の表情を浮かべて答えた。
「我が国の国民を誇りに思う」と・・
我が国と日本の友情は、今後も途絶える事は無いだろう。