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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

広島の原爆忌と落ち蝉

今朝は広島原爆忌、平和の祭典がテレビ中継されていましたね。(^。^)

78年前の今日、夏の朝、広島の上空で原子爆弾が投下されました。m(__)m

亡くなった馬関の母親は、「広島に原爆が落とされたあの日の朝、大阪の空をB29爆撃機が西に向いて飛んで行った」と、よく話していました。(≧∇≦)

ネットで調べると、原爆を搭載したB29エノラゲイ号は、随伴機2機と共に南太平洋のサイパン島近くのテニアン島から飛び立ち、片道6時間半をかけて広島に至った、とあります。(^。^)

飛行経路は、7:25に広島・小倉・長崎の天候調査に出ていた観測機から天候情報が入り、目標が広島に決定、その後、7:50には四国の先端を通過したとあります。(^-^)

つまり、エノラゲイ号は、太平洋の南海上からほぼまっすぐに北上し、四国沖から瀬戸内海へ向かう形で広島に至ったと思われます。(^_^)

どうやら、「大阪を横切って西へ向かった」というのは、当時11歳の少女であった母の記憶違いのようですが、この飛行経路なら、きっと大阪にも空襲警報が出て緊迫した状況だったことでしょう。m(__)m

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

全国の都市の中で、なぜ広島に投下されたのか、、、広島市のホームページに解説があります。(^-^)

〜原爆の投下目標都市は、米国の軍人と科学者で構成する目標検討委員会で、軍事的観点から検討されました。1945年4月27日の第1回会議で目標地域の選定基準が決まり、17地域が研究対象として選ばれました。
5月11日の第2回会議では、都市の規模や爆風で効果的に損害を与えることができるなどの条件で京都、広島、横浜、小倉の4つの目標が選ばれました。
その後目標都市は何度か変更され、7月末に広島、小倉、新潟、長崎となり、8月2日、優先順位は広島、小倉、長崎の順となりました。
アメリカが知る限り小倉には捕虜収容所があり、広島にはなかったことから、広島が第一目標になりました。〜

広島に投下された原子爆弾は、ウランを用いたもので、小型であったため「リトルボーイ」 (ちび)と呼ばれていました。
一方、長崎に投下された原子爆弾はプルトニウムを用いたもので、その容姿から「ファットマン」 (ふとっちょ)と呼ばれていました。( ; _ ; )/~~~

原子爆弾の投下によって、広島で約14万人、長崎で約7万4千人が1945年末までに死亡したとされています。(≧∇≦)

実は、破壊力から見れば、長崎市に投下された原爆の方が広島市への原爆よりも約 1.3 倍強力だったそうですが、 被爆時の所在人口の差に加え、長崎の原爆投下地点が当初目標とされていた市街地の中心部を外れたこと、さらに地形の影響もあり、死者数は広島の約半分となっているのだそうです。( ; _ ; )/~~~

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昨日、米アイダホ大で日本語を学ぶ学生5人が、広島市中区のおりづるタワーで、8歳で被爆した小倉桂子さん(86)の体験を基に制作された紙芝居を英訳して披露したそうです。(^。^)

小倉さんは、なんと70歳から英語を学び、簡単な日常会話は英語で交わせるようになられたとのこと。(^-^)

原爆投下の当事者である米国はもちろん、国際社会に対して平和の大切さを伝えたいという熱意が、英語による紙芝居を実現したものだと思います。m(__)m

原子爆弾により多くの尊い命が奪われた事実を後世に伝え、「二度と過ちは繰り返しませぬ」と全世界に刻むためにも、我が国が国際社会の先頭に立って平和を訴え続けなければなりませんね。( ^_^)/~~~

「落ち蝉の紡ぐ生命や原爆忌」 祖谷馬関

(注)落ち蝉は夏または秋の季語。蝉は羽化してから一週間ほどの生命のため、夏でも落蝉をよくみかけますが、蝉は短い夏の象徴としてとらえられることが多いので、落蝉は秋の季語として詠まれます。


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