京都と奈良の間に位置する井手町は、井手の里と呼ばれ、長い歴史を刻んで来ました。(^。^)
井手の里を愛した左大臣「橘諸兄」は、井手を拠点として活躍した奈良時代政治の要人で、740年には「聖武天皇」を井手の「玉井頓宮」に招き、749年には正一位左大臣になったと伝えられています。 ( ; _ ; )/~~~
「万葉集」の撰者としても知られた文人で、井手の地を愛し、玉川の堤に美しい山吹を植えました。「地蔵禅院」のしだれ桜の見ごろが過ぎる頃、その山吹が咲き乱れます。(^-^)
その橘諸兄が建立したと伝えられる「井手寺」は、塔や金堂を中心に七堂伽藍の整った大きな寺であったと伝えられています。(^。^)
また、540年の創建の「玉津岡神社」境内には橘諸兄を祀った「橘神社」があります。(^-^)
「松の下露跡」は、後醍醐天皇が1331年の「元弘の変」の最中、笠置山から金剛山千早城へと逃れる途中、この松の下で休まれた折、お供の藤原藤房と交わされた歌に由来します。(^_^)
「高神社」は、古くから信仰を集め、鎌倉時代の社殿改築の時に猿楽が奉納されたとあるのは、日本で最初の猿楽に関する記録の一つとなっています。 ( ; _ ; )/~~~
「万灯呂山展望台」は、京都市南部や関西文化学術研究都市を一望できる絶好の展望台。「万灯呂」の名は、雨乞神事の際のたいまつ行列に由来しています。
春、「地蔵禅院」には、絢らんな様を誇る「しだれ桜」が咲き乱れます。
京都府の天然記念物に指定されており、京都・円山公園の「しだれ桜」の兄弟木にあたります。( ^_^)/~~~
「橘の匂ひ立つ朝井手の里
枝垂桜や春風の色」
by 祖谷馬関