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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

日本酒の日と檀林皇后

昨日、10月1日は「醤油の日」と紹介したところでしたが、夜のニュースでは、「日本酒の日」にちなんだイベントの様子が報じられていました。(^-^)

世界文化遺産の吉野山「金峯山寺」において、「日本酒の日」を記念して、奈良県下の銘酒が振る舞われていました。(^_^)

奈良は「日本酒発祥の地」とのことで、イベントにも力が入っていましたね。( ^_^)/~~~

調べてみますと、確かに「日本酒の日」でもあり、由来は「干支の十番目、酉の月」に因むなど、「醤油の日」とも合い通ずるものがありました。(^_^)

以下、ネットより引用。

十二支の10番目に当たる10月は「酉」の月、日本では「トリ」と読まれますが、元来壷の形を表す象形文字で、酒を意味しています。
また、10月といえば新米を収穫し、酒蔵が酒づくりを始める季節です。
以前は、酒づくりの季節が10月から翌年9月の区切りとなっており、それに合わせて酒造年度は「10月1日」から始まる一年間でした。
このようなことから、「日本の國酒である日本酒を後世に伝える」という思いを新たにするとともに、一層の愛情とご理解をという願いを込めて、1978年に日本酒造組合中央会が「10月1日は日本酒の日」と定めました。
なお、古来日本酒は神様にお供えする神聖なものとされてきており、「乾杯」には、神様の前で人々が心をひとつにする願いが込められています。

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

「京都検定試験対策シリーズ」

さて、今年も始まりました!
師走の恒例、「京都観光文化検定試験」に向け、約2ヶ月間にわたる対策シリーズです。(^。^)

今日のテーマ「日本酒」に因み、「酒にまつわる神社」を調べてみますと、、、(^-^)

松尾大社、、、押しも押されぬナンバー1、全国の酒造各社から崇拝を集める。「大山咋神」(おおやまくいのかみ)が第一の御祭神で、弓矢の神、戦の神であったことから、下鴨神社、上賀茂神社とともに皇城守護の神として崇拝されてきた。本殿は室町時代に建てられた「両流造」で、松尾造りと呼ばれるもの。摂社に「月読神社」がある。

酒解神社、、、大山崎町の合戦場「天王山」の山頂付近にある古社。嵯峨天皇の皇后「橘嘉智子」(檀林皇后)が嵯峨の梅宮に氏神として酒解の神を勧請、天皇自身も山崎の社に酒解の神をうつした。

梅宮大社、、、もともと、京都府南部の綴喜郡井手町にあった橘氏の氏神を平安遷都と共に現在の場所へ移したとされる。古くから伝わる「またげ石」と呼ばれる2つの丸い石をまたぐと子宝に恵まれるといわれており、嵯峨天皇の皇后がこの石に祈願したところ、のちの「仁明天皇」を授かったことから、子宝・安産の神社としても信仰を集めている。

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さて、京都にはこの檀林皇后にまつわる場所がいくつかあります。(^。^)

幽霊子育飴で知られる「みなとや」の斜め向かいにある「西福寺」には、六道まいりの時期に公開される地獄絵や「檀林皇后九相図」が知られています。(^-^)

檀林皇后の美貌は僧たちの心を奪うほどのありさまだったため、憂慮した皇后は「自分の死後は亡骸を埋葬せず、どこかの辻に捨てて鳥や獣の餌にせよ」と遺言。そして朽ち果てていく様子を絵にするようにとも言い残し、この世を去ったという。(^_^)

この檀林皇后の遺体が捨てられた場所こそが、嵐電の駅にもある「帷子の辻」だと今に伝わり、一説には、皇后の棺に被せられていた帷子が風に飛ばされて落ちた場所だったとか、、、(°▽°)

この檀林皇后の遺体を風葬し、その様子を9つに分けて描いたとされるものが「西福寺」に残る「九相図」。生前の美しい姿、死、そして野に晒された遺体が膨張し腐っていくさま、鳥獣に食われ、白骨だけが転がり、ついに土に還っていく、というおどろおどろしい場面を描いた絵となっている。( ; _ ; )/~~~

後半は、檀林皇后の話になりましたが、いろいろ勉強になりました。(^。^)

ちなみに、この檀林皇后は、平安京に「学館院」なる大学別曹を建て、橘氏一門の子弟の教育に尽くしたそうです。(^_^)

その他の大学寮は次のとおり。(^。^)

▽弘文院跡 (石碑所在地②:中京区御池通千本東入北側)
和気氏が私宅を大学寮学生のために提供したもの。

▽ 奨学院跡 (石碑所在地③:中京区西ノ京南聖町)
881年(元慶5)に在原行平(在原業平の兄)が一族のために創建。

▽ 勧学院跡 (石碑所在地④:中京区西ノ京勧学院町)
821年(弘仁12)年に藤原冬嗣が創設。藤原一門の教育機関としての役割にも寄与し、藤原氏とともに繁栄し一門の子弟の官界進出に寄与したが、周辺地域の町名に勧学院の名が残る。

では、がんばりますよって、、、✌︎('ω'✌︎ )

「帷子に吹く白風や凛として」 祖谷馬関

(注)白風は秋になって吹く風。 立秋のころ吹く秋風は秋の訪れを知らせる風である。 秋の進行ととも に風の吹き方も変化し、初秋には残暑をともなって吹き、しだいに爽やかになり、晩秋に は冷気をともなって蕭条と吹く。 秋が五行説の金行にあたるので「金風」、また、秋の色 が白にあたるので「白風」ともいう。
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