見出し画像

我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

葵祭、天覧の路頭の儀

本来は、昨日5/15に京都で挙行予定だった「葵祭」の「路頭の儀」、、、荒天のため今日5/16に順延されたのですね。(^。^)

今日は昨日と打って変わって快晴、、、まさに祭日和、巡行に最適な天気となりました。(^-^)

折から京都大宮御所にご滞在中の上皇陛下ご夫妻も御高覧になられるとか、、、(^_^)

葵祭の路頭の儀といえば、行列のハイライトにあたる「斎王代」の美しい姿と着物ですよね。(^。^)

斎王代とは、平安時代以降に賀茂社に仕え、葵祭に奉仕した斎王に倣い、1956年(昭和31年)に創設された斎王の代理のこと。
十二単などの煌びやかな衣装を身に付けることから、葵祭のヒロインとも言われています。

斎王代は十二単(じゅうにひとえ)を身に着け、垂髪(おすべらかし)の髪に金属製の飾りである心葉(こころば)を頂きに付け、額の両側には飾り紐である日蔭糸(ひかげのいと)を下げ、白塗りにお歯黒を施し、手に桧扇(ひおうぎ)を持ち、紅色の帖紙(たとう)を懐に入れています。
ちなみに葵祭・路頭の儀の際には供奉者が担ぐ腰輿(およよ)に乗っています。

また、葵祭は、正式には賀茂祭と言い、古墳時代後期の欽明天皇の時代(539年~571年)に京都をはじめ全国が風水害に見舞われて飢餓・疫病が流行し、賀茂大神(上賀茂神社・下鴨神社)の崇敬者・卜部伊吉若日子(うらべのいきわかひこ)に占わせられたところ、賀茂大神の祟りであると奏した為、4月吉日を選んで、馬に鈴を懸け、人は猪頭(いのがしら)を被り、駆競(くち・かけくらべ)して盛大に祭りを行ったことが起源とされています。

2008年(平成20年)に十二単の内、亀甲の文様の表着・表着の上に羽織る桃色地に葵の文様をあしらった唐衣・袴の上に纏って後ろ姿を飾る白を基調に松を描いた裳が新調され、費用は550万円でした。

「列送り人垣の散る葵の日」 祖谷馬関

(注)葵祭は初夏の季語。毎年5月15日に京都市の上賀茂神社・下鴨神社で行われる祭で、京都三大祭の一つ。平安時代の宮中では、祭といえば「葵祭」のことを指した。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事