板の上でこそ輝く。
桜田淳子さんを評してよく言われることだと思う。
なぜこのような表現になるのか、はたと困っていた。
これもよく言われることであるが、スター誕生の予選会で、桜田淳子さんを見た人は、表現こそ違えど、みな共通に光り輝く何かを見たという。
田舎の中学2年でさえ、『今度の決戦大会にはすごい子が出るよ』という噂は広まっていた。
名前など問題ではなく、『すごい子』という表現が適切だった。
残念ながら、テレビをつけたときには番組のエンディングで、確定して見ることはできなかったが、この子かなという想像はできた。
見れなかった悔しさから。デビューを楽しみにして、それから部活が休みの時はスター誕生を見るのが楽しみだった。
1973年1月終わりごろか2月始め頃だと思う。
もうすぐデビューするというので、テレビでプロモーションビデオが公開された。
正直なところ、期待通りかというと、よくわからなかった。
たぶん、この違いは、現場とブラウン管を通してみる映像の違いによるものだろう、と考えていた。
しかし、これは正しくない。最近そう確信するようになった。
淳子さんに、歌唱法の指導をした中村泰士さんの、生前の話が、2019年、2020年と公表されている。
中村泰士さんによれば、淳子さんから中村泰士さんにあてたお祝いの手紙の中で、『天使も夢みる』のレッスンの際に教えられた『鼻にかける歌い方』ができず、泣いた思い出に対するコメントとして、
中村さんは『淳子はかわいかったけど、特徴はなかった。それで鼻にかけて歌ってみたら、と。それをみんなまねをした』と公表している。
それ以前にも、中村さんは、このように述べている。
桜田淳子さんは『天性の声は持っていなかったが、猛特訓してボイスを広げていった。声にも特徴がなかったから僕が『鼻に抜こう。鼻にかけて歌いなさい』って言って、鼻に抜ける歌い方を練習させた。それが彼女の声になっていった。だから桜田さんのモノマネをする人は、みんな鼻にかけるような歌い方をするようになった』
こう考えてみると、『天使も夢みる』『天使の初恋』『花物語』『三色すみれ』は、ボイスを広げ、鼻にかけるための教材ということもできる。
『黄色いリボン』という森田公一さんの楽曲で試すことにより、受け入れられることを確認でき、『花占い』により、桜田淳子さんの初期の歌唱法が完成したのだと思う。
この秋、『16歳のリサイタル』が開催され、正統派アイドルとしての実践の舞台を踏むことになる。
桜田淳子さんの周りには、作詞、作曲、歌唱、振り付け、バンド、演出、司会、すべてにおいて一流が集まっているといってよく、このリサイタルで、淳子さんは多くの人の名を挙げ、感謝をしている。
もちろんその中に中村泰士さんの名があることは言うまでもない。
オードリー・ヘプバーン主演の『マイフェアレディ』という映画がある。
淳子さんの歌、振り付けのみならず、立ち居振る舞い、お辞儀すべてにおいて洗練されている。
まさに、日本版の『マイフェアレディ』ということだろう。
その年の暮れ、紅白歌合戦の舞台で、ぼくらは、これからそうなるであろう『アイドル』の原形を目撃することになる。
中村泰士さんが、ひげを伸ばし始めたとき、周りの人が反対する中、桜田淳子さんだけは、ひげを剃らないように頼んだという。
それは、中村さんのトレードマークになっている。
桜田淳子さんの歌唱法は、徐々にきつくなっているという批判をする人がいる。
だが、スタイルを貫くことこそが、プロというものではないだろうか。
歌がうまい人は素人にもいる。
プロの歌手というのは、ラジオを聞いて、すぐ誰の歌かわかるというものでなければならない。
そうであるならば、テレビやラジオで流れる桜田淳子さんの声は、聴けばだれでもわかるであろうし、
それは歌手として、アイドルとしての正統性を貫くものであったことを証明するものである。
ここで注意すべきことがある。
テレビやラジオの歌声は、作詞家や作曲家、その他周りがこのように歌ってほしいという世界を忠実に再現するものであるだろう。少なくとも桜田淳子さんはそうしてきたはずだ。
しかし、リサイタルは別のことだと思う。
ここでの洋楽ナンバーこそが、淳子さん自身を表現するものはないだろうか。
桜田淳子さんという一つの才能を、心底堪能したいものである。
リサイタルについては、書きつくせぬことがあるので、次からまとめていきたいと思う。
余談にはなるが、淳子さんと百恵さんに勝敗をつけたがる空気は未だに後を絶たない。
ノーサイドのホイッスルは、吹かれないのだろうか。
※中村泰士さんのご冥福をお祈りします。
また、動画のUP主様に感謝します。
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