気乗りしないことではあるが、書き留めておこうと思う。
白昼、堂々と暗殺が行われた。
この事件を正当化する理由など、存在する必要はないと思う。
しかしながら、犯人の背後関係がクローズアップされ、問題点がすり替わっている。
そして、桜田淳子さんの信仰問題、広告塔問題にまで波及していると言っていい状態になっている。
1992年当時は、桜田淳子さんが一身に、バッシングを受けたが、今は、政治のあり方に及ぼうとしているところが異なる。
ただ、残念ながら、憲法が危惧するような政教分離にはならず、数人の政治家が、スケープゴートにされ、問題が終息すると思う。
それは、あの時、淳子さんがバッシングされ芸能界から離れ、それと共に報道が終息したのとさして変わりはあるまい。
マスコミにとっては、記事が売れればいいのだし、将来のネタに結びつくように、着陸点を探すことは、ジャングルをさすらうハイエナとさほどは変わらないように思う。
無論、それが認められた社会であるから、悪いわけではない。
私にとっての光明は、統一協会問題は、私たちが面白おかしく扱うより政治的に深い話であることを確信できたところにある。
抗えない力があるかもしれないけれども、この問題が、政治性を帯びれば、桜田淳子さんに降りかかる難問は、通過点の一つであったことが明らかになる日もそう遠くはないと思う。
その日が来ることを信じている。