風に吹かれても!雨にうたれても!

桜田淳子さんの幸せを願うとともに、良き70年代の心を少しでも残したいと思います。

桜田淳子さんの正統派の系譜~二重継承というギャップ

2013-04-15 12:00:20 | 日記
LADYの曲を聴くと思い出すことがある。

桜田淳子 LADY その2


動画の冒頭、『年は離れてないし』という淳子さんのコメントが印象的だ。
このコメントの背後関係を考えてみたい。

まだ、私が学生時代だった。

八神純子さんの清涼感のある曲が好きだったし、ボルグのトップスピンにあこがれたし、ディスコでダンシングクインやジンギスカンを踊るのが楽しかった。

そんな、無茶をやってた時代の話だ。

友達からこんな話を聞かされた。

『親衛隊の友達に連れられ、真子ちゃんのコンサートに行くと、桜田淳子さんの元親衛隊だった人が結構いるんだよね。』

という話だ。

当時、どういう感想を持って聞いていたか良く覚えていないが、悔しいという感想だけは持たなかったと思う。

今に思えば、薄々わかっていたことだと思う。
アイドルに賞味期限なるものがあることも、何れ次の時代が訪れることも、そして、人の心は成長することも。

そして、いつまでも、桜田淳子さんをアイドルというポジションにおいて置くことが、決して好ましく無いことを。

淳子さんでさえ、次のステージへの移行を望んでいたと思う。

しかし、『誰かが、座らなければならない席』があった。
それが、小泉今日子さんの指摘する、トップアイドルというポジションだった。

逆に『誰もが座れるポジション』でもなかった。
だから、力で奪い取る次の世代が成長するまで待たなければならなかった。

僕は、これまで『正統派』という言葉を安易に使ってきたつもりはない。

正統派とは、いつの時代も必要とされる脈々と受け継がれねばならないものだと思う。

1978年、1979年と幾多のアイドルが誕生した。
しかし、正直、桜田淳子さんの地位を奪う者はいなかった。

それが、淳子さんがアイドルに止まらなければならなかった理由だと思う。
歴史に、もしはないのかもしれないが、この時期淳子さんがアイドルというポジションを離れれば、混沌とした時に移り、アイドルは形を変えたかもしれない。

今の時代を見ればそれがわかると思う。
今もアイドルだと主張する人は多いが、70年代感覚では、どこか違う。
言葉の定義がかわったというのなら、そこまでだが。

話を1979~80年に戻そう。

この時期は、アイドルを巻き込んだ『交歓図裁判』も区切りを迎え、山口百恵さんも交際宣言から結婚への秒読み段階に入っていた。

1980年に入り、芸能界は新たな時代の準備を急ぎしなければならなかったと思う。
それは、新しい表現形式が必要だったのではないだろうか。

桜田淳子さんに憧れて『スター誕生』から芸能界に入った石野真子さんは、山口百恵さんについで、寿退社を選択し、そのアイドル時代は比較的短命に終わり、松田聖子さんの成長を待たねばならなくなる。

それゆえ、淳子さんの正統派の系譜は、ファンの多くは石野真子さんに渡り、芸能界での人脈も含め、築き上げたものは、松田聖子さんに継承されたのだと思う。

今、あの時、僕に気を遣いながら話してくれた友の顔を思い浮かべながら、桜田淳子さんへの思いを強くする。


追伸 動画のUP主様に感謝します。