一原堂便り

こちらは、一原堂・朝倉同窓会です♪

今年もお世話になりました

2013-12-27 | 一原堂

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早いもので、今年も残すところあと数日・・・

平成25年を振り返ると、朝倉高校は新校舎になり、旧校舎は解体され大きな変化の年でした。

同窓会も、会長をはじめ役員の改選、会則の見直し・・・大きな変化がありました。

多くの方に支えられ、無事に1年を過ごせましたこと、感謝申し上げます。

『ご縁に感謝』

また来年もよろしくお願いいたします

みなさま、どうぞよいお年をお迎えください

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北九州朝倉同窓会からお便り届きました

2013-12-17 | 地区朝倉会

去る 11月10日(日)に開催された『北九州朝倉同窓会』のお写真が届きました

Photo


とてもかわいらしく加工されたお写真です

Photo_2

今年は、北九州地区に進学した大学生たちも参加されたそうです。

Photo_3


『今年の北九州朝倉会、現役大学生の参加と、久々に参加して頂いた先輩方により、20名以上の参加となり、本当に久々に朝倉会らしい会にすることができました。ぜひ来年も多くの方にご出席いただきたいと思っています・・・。』

ご報告、ありがとうございました。

ますますのご発展をお祈りしています

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朝倉会から『朝倉同窓会』へ

2013-12-12 | 同窓会

同窓会の名称が 「朝倉会」 から 「朝倉同窓会」 に変わります

昭和24年、それまでの 朝倉中学校・甘木中学校(夜間)・朝倉高等女学校・甘木高等女学校が合併・統合され、『福岡県立朝倉高等学校』が誕生しました。(いわゆる学制改革です)

元朝倉中学校を中校舎(現在の朝倉高校)・・・1年男女・3年男子

元朝倉高等女学校を東校舎(現在の朝倉東高校)・・・2年男女・3年女子・学校本部

元甘木高等女学校を西校舎(現在朝倉総合庁舎)・・・定時制

夜須分教場・・・定時制

と、4校舎にわかれた学校でした。

総計2200余名の生徒が分散され、授業によっては、中校舎~東校舎を異動、

先生方は、4校舎を行ったり来たり・・・とても大変だったそうです。

学校の合併に伴い、それぞれの同窓会も当然合併して、新制高校のために尽力すべきではないかと議論が持ち上がりました。

そこで、朝倉中学校同窓会梅芳会・朝倉高等女学校白陽会・夜間中学卒業生・甘木高等女学校卒業生が一つになり、「朝倉会」が誕生しました。

ところが今日、県外において朝倉地方出身者で組織する「朝倉会」が生まれるなど、朝倉高校同窓会で組織する「朝倉会」との混同が生じており、また多くの支部・地区において「〇〇朝倉同窓会」と表示されるようになってきました。

 

 「同窓会」であることを明示にすることと、従来の「朝倉会」の名が60年以上にわたって続いてきた歴史をふまえ、平成25年12月 その名称を「朝倉同窓会」にいたします。

 

 それと同時に、会則も新しくなりましたので、よろしくお願いいたします。

(新会則は、同窓会ホームページをご覧ください)

http://www5.ocn.ne.jp/~itigen/index.htm

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お宝(?)発見!

2013-12-06 | 一原堂

な・な・な・なんと 昭和2年12月5日に発行の「一原会報」を発見しました。

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今から86年前・・・・

当時の校長の 園田益太郎先生の「開校20周年記念式辞」から始まるこの冊子、この一原堂で確認できた冊子で一番古いものです。

生徒の文芸作品・論文・詩・俳句・修学旅行日記(満州旅行)や、学校行事の記録、部活動の記事などが掲載されています。

当時の部活動をご紹介・・・

園芸・談話・編集・図書・剣道・庭球・水泳・相撲・弓道・競技(陸上)・卓球

卓球部については、昭和元年に新設されたばかり、「在校諸君この生れ出たばかりの卓球部を益々発展させるとともに、光栄ある歴史を以て飾られんことを」熱い思いが記されています。

また剣道部ですが、「剛健を以て覇を九州に稱へてゐる我が剣道部の功績は、実に我が朝中の生命史に燃え輝く白熱の一線を劃したものであつた。~~大日本武徳青年演舞大会の団体試合に参加すべく遠征することになり・・・」京都で開催された大会に出場しています。

水泳部もご活躍のご様子で、県主催県下中等学校水上競技大会で総合優勝しています。

昔から、文武両道だったことがうかがえます。

そんな中、掲載されている 生徒さん方の文芸作品の中から、見慣れたお名前を発見

『野田宇太郎』

朝倉高校の校歌の作詞家で、詩人・ 文芸評論家・元『文藝』編集長である

野田宇太郎氏(朝中16回)です。 

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5年3組だったそうです・・・先出の 卓球部 創設部員の中心だったそうです。

4篇の詩が掲載されています。

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その中から 一つの作品を ご紹介いたします。

    唄はぬ小鳥

                 五の三 野田宇太郎

  憂ひに嘆く 此の小鳥

  春は来たれど 飛びませぬ

      親を亡くした 小鳥です

      唄を捨てたる 小鳥です。

  塒の床のつめたさは

  涙の露の 濡れ枕

      其に楽しい歌唄ふ

      昨年の春の夢をみる。

  飛ぶに翼は あるけれど

  唄ふくちばし 折れました

      親があの世に 消えたとき

      涙と共に 折れました。

  外の小鳥は 楽し気に

  大空高く歌ひます。

      力も聲も悲しみに

  共になくした 小鳥です。

ちなみに、野田宇太郎氏は、朝倉高校以外にも、多くの学校の校歌を作詞されています。

三井高校

小郡高校

朝倉市立 秋月小学校

小郡市立 立石小学校 

  同    立石中学校

  同    大原小学校  

大刀洗町立 菊池小学校

  同     大刀洗中学校 

久留米市立 長門石小学校

  同     城南中学校

八女市立  福島小学校   など・・・

朝倉高校だけでなく、こんなに多くの学校の校歌の作詞を手がけられているなんて、びっくり

改めて、すごい偉大な先輩ですね

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