一原堂便り

こちらは、一原堂・朝倉同窓会です♪

大先輩!

2015-08-20 | 一原堂

 

『爆死を免れて 教師を目指す』

 私の多感な青少年時代は激しい戦争の中でした。

 終戦70年。当時、私は旧制朝倉中5年で、東洋一といわれた福岡・大刀洗陸軍飛行場に学徒動員されていました。

昭和20年3月27日、米軍B29の猛爆によって同飛行場は壊滅。が、幸いにもその日が卒業式で、私たちは登校していたので、爆死を免れたのです。

 戦後、私は教師を目指して3年間、戦災の廃墟の中で学び、新制中学に就職しました。

校舎もなく、小学校の古い教室を借りての授業。貧しい中でも平和国家建設の希望に燃え、子どもたちと頑張りました。

そのころの生徒たちとは、今も家族同然の付き合いです。

 教師生活38年、戦後の学校教育の歩みと変化を体験。退職後は少年補導員や地域の役職を務め、ここ十数年は近隣の小・中学校で平和教育をしています。

 以前と違って、家庭環境も地域社会も人間関係も、大きく変わりました。

そんな中で、将来を背負う子どもたちをどう育てていくべきか。

私は戦後教育に携わってきたものの責任と反省の上に立って、老兵ながらできるだけの協力をしたい。

 

これは、8月19日(水)に、西日本新聞 朝刊 投書欄に掲載されていた原稿です。

 朝倉中学33回生 の 井上富二 さんです。

 終戦から70年・・・今、こうして母校の活躍を喜んだり、同窓会が開催できるのも

平和だからこそですね。

 これからも、ずっと続きますように・・・

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