エッセイ:「がに股と内股」
2011.11
「蟹もどき」のカマボコ商品が売れるくらいに日本人は蟹が好きである。旅行業者の「蟹の食い放題ツアー」は人気で予約がすぐ埋まるらしいのだ。
冬場に向かうこれからが美味しい蟹が北陸、北海道を始めそれぞれの漁港で水揚げされるのである。特にたらば蟹・ずわい蟹・毛蟹などは最盛期に比べ漁獲量も減少し高値で取引されている。
ところで、蟹の足は何本だろうか。とっさに応えが出る人はどこかの時点で正確に覚えた人で、普通の人は「さーて、何本だったか」である。応えは片側に4本の足プラス1本のハサミである。したがって蟹は8本の足に2本のハサミを持っている。
ご存じのタコの八っちゃんは8本、イカは10本である。しかしイカの場合本当に足と呼んでもよいものか。蟹やタコは足で歩くのだが、イカが足で歩いたところを私は見たことがない。またイカは10本の足(?)で餌を捕獲するのである。
しかし一番の驚きは地球上で横に歩いて移動する動物は蟹だけだと思うのだがどうだろう。
これを蟹が横歩きするのは当たり前だと決めてかかれば話はそれで終わりである。子供のころに地球上で唯一となれば「不思議だな、なぜだろう」と云うぐらいの探究心がわいてきても良かったのだが、私にはそういう好奇心や発想がなかった。
昔はチョットした小川や湿地帯にはたくさんの蟹が生息していた。ところによっては家の周りに入り込んでくることがあり、真っ赤なハサミを立てて歩いる蟹を見ても別段気にも留めなかった。
「さるかに合戦」はあまりにも有名な日本の民話一つでいろいろ聞かされたものである。お人よしをだますテクニックにはこういう方法があるのか、猿は悪い奴だと子供心に思っていた。
我々の身近にいる蟹に絡んだことわざも多くあるが、「蟹の念仏」は蟹が口の中でぶつぶつ泡を立てるように、くどくどつぶやく様子をいい、また「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」はそのままで、自分の力量や身分に応じた言動をすることである。
ところで、蟹の甲羅は食べ終わったらどうするのだろう。捨てるか、お土産品として装飾に使われるのか、またはカルシウムとして何かに利用するのだろうか。
最近では蟹甲羅の「キトサン」で北大が歯周囲の骨(歯槽骨)を再生する技術を開発。歯周囲炎で歯を失うと歯槽骨が細くなり義歯やインプラントを埋め込むことが難しくなる。それに「キトサン」が自家骨移植に応用できるようになったそうだ。
多くは男性であるが「がに股」と呼ばれる人がいる。「蟹股」と書くと分かる通り、膝が外側に広がった足で外側に開いて歩く姿が蟹の足に似ていることからきている。不良などが相手を威嚇し、自分を強く見せるため、わざと足を開いて歩く場合がある。大相撲元大関の千代大海が高校生時代にリーゼントヘヤースタイルと「がに股」で突っ張り、不良をやっていた話は有名である。
プロ野球の打者にも「がに股打法」と呼ばれる打法でそこそこの成績を上げている選手がいる。種田仁(元横浜ベイスターズ)、石井琢朗(広島カープ)、中田翔(日本ハム)などである。
打席でバットをまっすぐ立ててかまえ、両足を広げ両膝を同じに折る正に蟹が立っているようなスタンスである。何を好き好んであのような構えをしなければならないのかと吹き出したくなる。誰がどう見たって恰好悪いことこの上ないのである。
私の高校時代の同級生にMATUO君がいる。家が近かったので自転車で一緒によく通学したものだ。彼とは40年ぶりにメールでやりとりをするようになった。高校時代を振り返っての昔話を書いてくるのだが、“板井君、あんたは足が短くてがに股だったなあ”と、からかい気分で私が気にしていたことを平気で言うのである。
最近の子供達は手足が長く見事なプロポーションで羨ましい限りである。小学生では女子の方が男子より成長が早く、身長が150センチだったら私の股下より長いであろうと思えるカッコいい女子が結構いるのである。
戦後日本がまだ疲弊していて、一般人には「美」よりも「食べること」が最優先の時期は若い女性も「スッピン」がほとんどであった。1954年(昭和29年)のミスユニバースで伊藤絹子が3位に入賞し、1959年児島明子が優勝して「八頭身美人」と云う言葉がもてはやされたのを記憶しているだろう。二人の身長は165センチ前後、体重は55キロ前後であったから現代の女性と比べてどうであろうか。
私の住んでいた地方都市では165センチ以上の女性にお目にかかったことはなかった。当時ガキのくせに何と見事なプロポーションだろうとご両人を日本人として誇りに思っていたものだった。
一方、1950年に第一回ミス日本グランプリをとったのが山本富士子である。身長は158センチと小柄ではあったがその類まれなる上品な美貌は審査員たちの間でも話題になり、ミス日本選定は満場一致の短時間で終了したという逸話が残っているそうだ。私も山本富士子の映画は好きでその美貌とともに息継ぎの呼吸音が聞こえるような何とも言えぬ甘い声にうっとりしたものだった。
ところで、2000年のシドニー五輪では、柔道の100キロ超級決勝で対戦した仏のドイエル選手が日本の篠原信一選手に「内股すかし」で投げられながら優勝、後に「誤審」とされたのを記憶していると思う。テレビで見ていた私にはどういう技で倒れたのか、一瞬何が起こったのかわからないシーンだった。篠原選手がこの時主審に執拗な抗議をせず紳士的な態度で引き取ったのが印象的であった。
柔道では内股は背負い投げと同じぐらい有名な技である。しかし「内股すかし」を食うと実に恥ずかしいのだ。なぜなら相手に投げられたというよりも一人で投げられたようにみえるから。これはセンスが光るダイナミックな技である。
ただし、すかした弾みで勝手に倒れたかを判断することは難しいのである。内股をかけて自分が倒れた場合は「はずした、すかした」かどうかにかかわらず「効果」のポイントを認めているのが現状である。金メダルの山を築いた山下康裕選手、井上康生選手などはこの内股が得意であった。
ハワイに観光旅行に来る客は近年台湾や中国系、韓国の女性達が増えているそうだ。そんな中で日本の女性を見つけるのは簡単である。それは日本人だけが内股で歩いているからだと。アメリカ人や台湾人、中国人、韓国人には内股で歩いている人はいないそうだ。
中でも韓国の女性は「外八の字」で歩くのに対し、日本女性は「内八の字、内股」で歩くのである。
それではなぜ日本女性には「内股歩き」が多いのだろうか。一つの考えは、これまでは和服を着用するためであるとされてきた。しかしほとんどの日本人は日常生活で非効率ともいえる「着物で内股歩き」はしていなかったのだとか。
ごく一部の特殊な職業の「姐さん」がやっていたのが、いつの間にか、一般人の美意識の一部になったと考えられる。すなわち女性にとって内股は、か弱い、カワイイ感じを演出するためのものではないかと。
しかし、前傾姿勢での内股歩きは身体に悪影響を及ぼすとされている。ある統計では50歳以上の女性の二人に一人が、変形性膝関節症などの膝の悩みを抱えているとも言われている。
先日、近くに住む孫達の車に同乗し「ホームセンター」に花を買いに行った。久しぶりで花を観賞しながら孫達の動きを観察していた。ところが小学5年生の孫娘の歩き方がどうもおかしい。前傾姿勢になって内股で歩いている。しかも右足の方が内側にかぶってくるのだ。
それを指摘すると、母親である我が娘は“そうなんだよね、いつも内股で歩いているのよ”と云うではないか。では何か矯正するような指導をしているのかと尋ねると“no”と云う。何たることだ、そこでこのままでは見かけも悪いが健康にも良くないので私が矯正してやろうと思いたったのである。
孫達が週1回我が家に来る日がある。先ず孫娘に自分が内股歩きであることを認識させ、そのデメリットを十分理解させることから始めた。“こんな嫌なことを言ったり、矯正してくれる人はおじいちゃん以外に誰もいないのだからちゃんとやるんだよ”、と同意をとった。
“大人になったら身長が高い人になるだろうから(孫娘の母親165センチ、父親175センチ)、今のままのネコ背で、出尻で、内股では恰好悪いよ。今のうちに直しておかないと”とよく云い含めた。
近くの公園に連れ出し、30メートルのところを10数回往復させ、デジカメで撮影しながら歩く姿勢や手の振り方、足の出し方・歩幅などを注意した。
孫娘にしても突然自分の歩行について他人からこんな指導を受けるのは生まれて初めてで迷惑な話ではなかったかと思う。
僅か15分ぐらいで見違えるほど綺麗な歩き方になってきた。時々右足がかぶってくるが一朝一夕に完全には行かない。しかし正直言ってこんなに短時間で直せるとは思わなかったので、私の心配は取り腰苦労であったと言っていい。
ただ骨盤・股関節の歪みがあるだろうから内股の矯正法として、両足を出来るだけ大きく広げ、つま先を開いて腰を膝の高さまで下ろしたままで10秒間維持するスクワットを毎日2~3回行うように言ってある。
時々電話で確認すると、本当かどうかわからないが「うーん、やっているよ」と返事だけはよい。これからもしっかりフォローをしていこうと思っている。
そして10年後、孫娘が20歳代になり綺麗な姿勢で歩くのを生あって見届けることが出来たら正に本望である。
余談:私はある人(石井正夫氏)から教えていただいた言葉が非常に気に入っている。
今東光語録 の“人生は冥土までの暇つぶし” である。古希を迎えた私にとってはなかなか含蓄のある言葉である。
了
2011.11
「蟹もどき」のカマボコ商品が売れるくらいに日本人は蟹が好きである。旅行業者の「蟹の食い放題ツアー」は人気で予約がすぐ埋まるらしいのだ。
冬場に向かうこれからが美味しい蟹が北陸、北海道を始めそれぞれの漁港で水揚げされるのである。特にたらば蟹・ずわい蟹・毛蟹などは最盛期に比べ漁獲量も減少し高値で取引されている。
ところで、蟹の足は何本だろうか。とっさに応えが出る人はどこかの時点で正確に覚えた人で、普通の人は「さーて、何本だったか」である。応えは片側に4本の足プラス1本のハサミである。したがって蟹は8本の足に2本のハサミを持っている。
ご存じのタコの八っちゃんは8本、イカは10本である。しかしイカの場合本当に足と呼んでもよいものか。蟹やタコは足で歩くのだが、イカが足で歩いたところを私は見たことがない。またイカは10本の足(?)で餌を捕獲するのである。
しかし一番の驚きは地球上で横に歩いて移動する動物は蟹だけだと思うのだがどうだろう。
これを蟹が横歩きするのは当たり前だと決めてかかれば話はそれで終わりである。子供のころに地球上で唯一となれば「不思議だな、なぜだろう」と云うぐらいの探究心がわいてきても良かったのだが、私にはそういう好奇心や発想がなかった。
昔はチョットした小川や湿地帯にはたくさんの蟹が生息していた。ところによっては家の周りに入り込んでくることがあり、真っ赤なハサミを立てて歩いる蟹を見ても別段気にも留めなかった。
「さるかに合戦」はあまりにも有名な日本の民話一つでいろいろ聞かされたものである。お人よしをだますテクニックにはこういう方法があるのか、猿は悪い奴だと子供心に思っていた。
我々の身近にいる蟹に絡んだことわざも多くあるが、「蟹の念仏」は蟹が口の中でぶつぶつ泡を立てるように、くどくどつぶやく様子をいい、また「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」はそのままで、自分の力量や身分に応じた言動をすることである。
ところで、蟹の甲羅は食べ終わったらどうするのだろう。捨てるか、お土産品として装飾に使われるのか、またはカルシウムとして何かに利用するのだろうか。
最近では蟹甲羅の「キトサン」で北大が歯周囲の骨(歯槽骨)を再生する技術を開発。歯周囲炎で歯を失うと歯槽骨が細くなり義歯やインプラントを埋め込むことが難しくなる。それに「キトサン」が自家骨移植に応用できるようになったそうだ。
多くは男性であるが「がに股」と呼ばれる人がいる。「蟹股」と書くと分かる通り、膝が外側に広がった足で外側に開いて歩く姿が蟹の足に似ていることからきている。不良などが相手を威嚇し、自分を強く見せるため、わざと足を開いて歩く場合がある。大相撲元大関の千代大海が高校生時代にリーゼントヘヤースタイルと「がに股」で突っ張り、不良をやっていた話は有名である。
プロ野球の打者にも「がに股打法」と呼ばれる打法でそこそこの成績を上げている選手がいる。種田仁(元横浜ベイスターズ)、石井琢朗(広島カープ)、中田翔(日本ハム)などである。
打席でバットをまっすぐ立ててかまえ、両足を広げ両膝を同じに折る正に蟹が立っているようなスタンスである。何を好き好んであのような構えをしなければならないのかと吹き出したくなる。誰がどう見たって恰好悪いことこの上ないのである。
私の高校時代の同級生にMATUO君がいる。家が近かったので自転車で一緒によく通学したものだ。彼とは40年ぶりにメールでやりとりをするようになった。高校時代を振り返っての昔話を書いてくるのだが、“板井君、あんたは足が短くてがに股だったなあ”と、からかい気分で私が気にしていたことを平気で言うのである。
最近の子供達は手足が長く見事なプロポーションで羨ましい限りである。小学生では女子の方が男子より成長が早く、身長が150センチだったら私の股下より長いであろうと思えるカッコいい女子が結構いるのである。
戦後日本がまだ疲弊していて、一般人には「美」よりも「食べること」が最優先の時期は若い女性も「スッピン」がほとんどであった。1954年(昭和29年)のミスユニバースで伊藤絹子が3位に入賞し、1959年児島明子が優勝して「八頭身美人」と云う言葉がもてはやされたのを記憶しているだろう。二人の身長は165センチ前後、体重は55キロ前後であったから現代の女性と比べてどうであろうか。
私の住んでいた地方都市では165センチ以上の女性にお目にかかったことはなかった。当時ガキのくせに何と見事なプロポーションだろうとご両人を日本人として誇りに思っていたものだった。
一方、1950年に第一回ミス日本グランプリをとったのが山本富士子である。身長は158センチと小柄ではあったがその類まれなる上品な美貌は審査員たちの間でも話題になり、ミス日本選定は満場一致の短時間で終了したという逸話が残っているそうだ。私も山本富士子の映画は好きでその美貌とともに息継ぎの呼吸音が聞こえるような何とも言えぬ甘い声にうっとりしたものだった。
ところで、2000年のシドニー五輪では、柔道の100キロ超級決勝で対戦した仏のドイエル選手が日本の篠原信一選手に「内股すかし」で投げられながら優勝、後に「誤審」とされたのを記憶していると思う。テレビで見ていた私にはどういう技で倒れたのか、一瞬何が起こったのかわからないシーンだった。篠原選手がこの時主審に執拗な抗議をせず紳士的な態度で引き取ったのが印象的であった。
柔道では内股は背負い投げと同じぐらい有名な技である。しかし「内股すかし」を食うと実に恥ずかしいのだ。なぜなら相手に投げられたというよりも一人で投げられたようにみえるから。これはセンスが光るダイナミックな技である。
ただし、すかした弾みで勝手に倒れたかを判断することは難しいのである。内股をかけて自分が倒れた場合は「はずした、すかした」かどうかにかかわらず「効果」のポイントを認めているのが現状である。金メダルの山を築いた山下康裕選手、井上康生選手などはこの内股が得意であった。
ハワイに観光旅行に来る客は近年台湾や中国系、韓国の女性達が増えているそうだ。そんな中で日本の女性を見つけるのは簡単である。それは日本人だけが内股で歩いているからだと。アメリカ人や台湾人、中国人、韓国人には内股で歩いている人はいないそうだ。
中でも韓国の女性は「外八の字」で歩くのに対し、日本女性は「内八の字、内股」で歩くのである。
それではなぜ日本女性には「内股歩き」が多いのだろうか。一つの考えは、これまでは和服を着用するためであるとされてきた。しかしほとんどの日本人は日常生活で非効率ともいえる「着物で内股歩き」はしていなかったのだとか。
ごく一部の特殊な職業の「姐さん」がやっていたのが、いつの間にか、一般人の美意識の一部になったと考えられる。すなわち女性にとって内股は、か弱い、カワイイ感じを演出するためのものではないかと。
しかし、前傾姿勢での内股歩きは身体に悪影響を及ぼすとされている。ある統計では50歳以上の女性の二人に一人が、変形性膝関節症などの膝の悩みを抱えているとも言われている。
先日、近くに住む孫達の車に同乗し「ホームセンター」に花を買いに行った。久しぶりで花を観賞しながら孫達の動きを観察していた。ところが小学5年生の孫娘の歩き方がどうもおかしい。前傾姿勢になって内股で歩いている。しかも右足の方が内側にかぶってくるのだ。
それを指摘すると、母親である我が娘は“そうなんだよね、いつも内股で歩いているのよ”と云うではないか。では何か矯正するような指導をしているのかと尋ねると“no”と云う。何たることだ、そこでこのままでは見かけも悪いが健康にも良くないので私が矯正してやろうと思いたったのである。
孫達が週1回我が家に来る日がある。先ず孫娘に自分が内股歩きであることを認識させ、そのデメリットを十分理解させることから始めた。“こんな嫌なことを言ったり、矯正してくれる人はおじいちゃん以外に誰もいないのだからちゃんとやるんだよ”、と同意をとった。
“大人になったら身長が高い人になるだろうから(孫娘の母親165センチ、父親175センチ)、今のままのネコ背で、出尻で、内股では恰好悪いよ。今のうちに直しておかないと”とよく云い含めた。
近くの公園に連れ出し、30メートルのところを10数回往復させ、デジカメで撮影しながら歩く姿勢や手の振り方、足の出し方・歩幅などを注意した。
孫娘にしても突然自分の歩行について他人からこんな指導を受けるのは生まれて初めてで迷惑な話ではなかったかと思う。
僅か15分ぐらいで見違えるほど綺麗な歩き方になってきた。時々右足がかぶってくるが一朝一夕に完全には行かない。しかし正直言ってこんなに短時間で直せるとは思わなかったので、私の心配は取り腰苦労であったと言っていい。
ただ骨盤・股関節の歪みがあるだろうから内股の矯正法として、両足を出来るだけ大きく広げ、つま先を開いて腰を膝の高さまで下ろしたままで10秒間維持するスクワットを毎日2~3回行うように言ってある。
時々電話で確認すると、本当かどうかわからないが「うーん、やっているよ」と返事だけはよい。これからもしっかりフォローをしていこうと思っている。
そして10年後、孫娘が20歳代になり綺麗な姿勢で歩くのを生あって見届けることが出来たら正に本望である。
余談:私はある人(石井正夫氏)から教えていただいた言葉が非常に気に入っている。
今東光語録 の“人生は冥土までの暇つぶし” である。古希を迎えた私にとってはなかなか含蓄のある言葉である。
了