エッセイ:「無言こそ雄弁(13)」2016.05
人が楽しくなるのも不愉快になるのも言葉。人を幸・不幸に導くのも元はといえば言葉。言葉を使うのは人間だけが持つ特徴的な機能である。もちろんイルカやカラス、サルなどの動物でも簡単な意志の疎通はするが会話は出来ない。
いろいろなタイプの人がいて世の中だ。意見や本音をはっきり述べる人。逆に本音をあまり言わない人。多弁・雄弁で賑やかなの人、無口でもの静かな人などさまざまである。
多弁・雄弁で賑やかな人の話が、多くの人の心を掴み納得されられるかといえば必ずしもそうではない。無口で物静かな人の話が相手の心を掴んでしまうことは往々にしてある。
正論だからといって、情熱をこめてアピールしても相手はそっぽ向いてしまう。自分が思っている正論が世の中で通ればこんな楽なことはない。日常の人間関係でも、世界の外交でも同じことではなかろうか。
さて、「オバマ大統領の広島訪問の迎え方」について、朝日新聞のオピニオン&フォーラムで感銘を受ける記事(電話対談)が掲載されたのでパクリでその要旨を紹介したい(すでにお読みのなった方には失礼)。インタビュー:塩野七海;歴史作家・イタリア在住
----どう感じましたか。
「久方ぶりに日本外交にとってのうれしいニュースだと思う」「特に、日本側が『謝罪を求めない』といっているのが大変良い」
----どうしてですか。
「謝罪を求めず、無言で静かに迎える方が、謝罪を声高に求めるよりも、断じて品位の高さを強く印象づけることになる」「『米大統領の広島訪問』だけなら、野球でいえばヒットにすぎない。そこで『謝罪を求めない』とした一事こそ、ヒットをわが日本の得点に結びつける鍵がある。しかも、それは日本政府、マスコミ、日本人全体、そして誰よりも広島全員にかかっている」
「『求めない』と決めたのは安倍総理だろう。リーダーの必要条件には、部下の進言も良しと思えば取り入れる能力がある。誰かが進言したのだと思う。次に帰国した時に会ってみたいとさえ思う。
『逆転の発想』などという悪賢い人にしかできない考え方をする人間が日本にもいた。というだけでもうれしいではないか」
----悪賢い、とは。
「歴史を一望すれば、善意のみで突っ走った人よりも、悪賢く立ち回った人のほうが結局は人間世界にとって良い結果をもたらしたという例は枚挙にいとまがない」
----米国の現大統領が、かって自分と同じ職だった者が原爆投下を命じた地を訪れる。その意味をどう見ますか。
「広島に息子に見せる目的で訪れたことがある。息子はイタリア人だ。原爆ドームを見、平和記念資料館の展示をすみずみまで見、原爆死没者慰霊碑の前に立っている間、彼は一言も発しなかった。簡単には口にできない重さに圧倒されていたのだろうか」「もしかしたら、通り一遍の謝罪よりも、安易な同情よりも、被爆地を自らの足でまわり、一人ひとりが感じ、その誰もが自分の頭で考えてくれるほうを望んでいるのではないか」
----ヨーロッパ諸国から、「あれだけの惨苦をウケながら、ものわかりの良すぎる国だ」と思われるような心配はありませんか。
「少し前に、アジアの二つの国のトップが、相前後してヨーロッパ諸国を歴訪したことがある。その際に、このお二人は、訪問先の国々でまるで決まったように、日本は日本は過去の悪事を働いただけでなく謝罪もしないのだ、と非難してまわったのだ」
「ところがその成果は、迎えた側の政府は礼儀を守りながらも実際上は聞き流しただけ。マスコミにいたっては、それこそ『スルー』で終始したのだ」
----そうですか
「当然ですよ。ヨーロッパは旧植民地帝国の集まりみたいなものだから、日本の優に十倍の年月にわたって、旧植民地に言わせれば、悪事を働き続けた歴史を持っている。それでいて、謝罪すべきだとは誰も考えていない」「私には、この二国は外交感覚の欠如にしか見えない」
----厳しいですね。二国には、言われずにはいられない思いがあるからでは。
「だからこそ、日本が原爆投下への謝罪は求めない、としたことの意義は大きいのだ。欧米諸国から見れば、同じアジア人なのに、と。国の品位の差を感じ取るかもしれない」
----日本は、今回、どうすれば良いと思いますか。
「ただ静かに無言のうちに迎えることです。大統領には、頭を下げることさえ求めず。そして、そのごも、静かに無言で送り出すことである」「原爆を投下した国の大統領が、70年後とはいえ、広島に来ると決めたのだ。当日はデモや集会などは一切やめて、静かに大人のやり方で迎えてほしい。」
「われわれ日本人は、深い悲しみで胸はいっぱいでも、それは抑えて客人に対するのを知っているはずだ。泣き叫ぶより、も無言で静かに振舞うほうが、その人の品格を示すことになるのだ。星条旗を振りながら完成を挙げるのは、子供たちに任せよう。」
「それから、もし私が日本の新聞の編集最高責任者だったら、当日の紙面づくりを他の日は一変させますね。」
え?どういうふうに。
「オバマ大統領の広島訪問を伝える日の一面には、カメラマンが写してきた多数の写真の中から、一枚だけを選んで載せる『無言で立ちすくむ米国大統領オバマ』だけにする」「頭を下げる姿の大統領は絶対に載せない。なぜなら、自分の国の大統領のこの振る舞いに釈然としないアメリカ人もいるに違いない。その人たちは『日本だって真珠湾を攻撃したではないか』などと文句をつける減失を与えないためだ」
----でも、日本がオバマ大統領の広島訪問をどう受け止めたか、きちんと言葉にして米国はもちろん世界に発することが大事だと考えますが。
「新聞記者とて、時には多言よりも無言のほうが多くを語るという人間世界の真実を思い起こしてほしい」
----それで伝わりますか
「伝わる人には伝わります」「ここイタリアでも、原爆投下の日には、テレビは特別番組を毎年放送する。あれから70年が過ぎても、犠牲の大きさに心を痛めている人が少なくないとの証である。心を痛めている人は、アメリカにも多いに違いない」
----静かに迎えることこそが、世界の良識ある人たちに訴えかけるということですか。
「『謝罪は求めない』は、『訪れて自分の目で見ることは求めない』ではない。米国大統領オバマの広島訪問は、アメリカで心を痛めている人たちに、まず、自分たちが抱いていた心の痛みは正当だった、と思わせる効果がある。
感受性の豊かな人びとの足も、自然に広島や長崎に向かうようになるだろう」「広島の夏の行事の灯篭流しに多くの外国人が参加するのも見慣れた光景になるかもしれない。そうなれば、原爆死没者慰霊碑の『過ちは繰り返しませんから』という碑文も、日本人の間だけの『誓い』ではなくなり、世界中の人々の『誓い』に昇華していくことも夢ではなくなる。それが日本が獲得できる得点です」「そしてこれこそが、原爆の犠牲者たちを真の意味で弔う個世ではないか」
取材記者後記:てっきり「謝罪を求めないなんて、日本はだらしない」と語ると思っていた。そんな予想は大外れ。「ぜひ会って取材を」とお願いしたが、即座に「だめ」と。
先のエッセイ「謝罪」で ”比較すべきものではないが、慰安婦問題で見ぐるしく振舞う韓国に対して、世界で最も古い国家、成熟した日本民族の誇りある顔を世界に見せようと思うが甘いだろうか”と、偉そうなことを書いた。
塩野氏の「無言こそ雄弁」を読んで感銘を受けた。また、左よりで評判の落ちた朝日新聞が、オバマ大統領の広島訪問に際して、この記事を掲載したこと自体にも驚いたのである。
了
人が楽しくなるのも不愉快になるのも言葉。人を幸・不幸に導くのも元はといえば言葉。言葉を使うのは人間だけが持つ特徴的な機能である。もちろんイルカやカラス、サルなどの動物でも簡単な意志の疎通はするが会話は出来ない。
いろいろなタイプの人がいて世の中だ。意見や本音をはっきり述べる人。逆に本音をあまり言わない人。多弁・雄弁で賑やかなの人、無口でもの静かな人などさまざまである。
多弁・雄弁で賑やかな人の話が、多くの人の心を掴み納得されられるかといえば必ずしもそうではない。無口で物静かな人の話が相手の心を掴んでしまうことは往々にしてある。
正論だからといって、情熱をこめてアピールしても相手はそっぽ向いてしまう。自分が思っている正論が世の中で通ればこんな楽なことはない。日常の人間関係でも、世界の外交でも同じことではなかろうか。
さて、「オバマ大統領の広島訪問の迎え方」について、朝日新聞のオピニオン&フォーラムで感銘を受ける記事(電話対談)が掲載されたのでパクリでその要旨を紹介したい(すでにお読みのなった方には失礼)。インタビュー:塩野七海;歴史作家・イタリア在住
----どう感じましたか。
「久方ぶりに日本外交にとってのうれしいニュースだと思う」「特に、日本側が『謝罪を求めない』といっているのが大変良い」
----どうしてですか。
「謝罪を求めず、無言で静かに迎える方が、謝罪を声高に求めるよりも、断じて品位の高さを強く印象づけることになる」「『米大統領の広島訪問』だけなら、野球でいえばヒットにすぎない。そこで『謝罪を求めない』とした一事こそ、ヒットをわが日本の得点に結びつける鍵がある。しかも、それは日本政府、マスコミ、日本人全体、そして誰よりも広島全員にかかっている」
「『求めない』と決めたのは安倍総理だろう。リーダーの必要条件には、部下の進言も良しと思えば取り入れる能力がある。誰かが進言したのだと思う。次に帰国した時に会ってみたいとさえ思う。
『逆転の発想』などという悪賢い人にしかできない考え方をする人間が日本にもいた。というだけでもうれしいではないか」
----悪賢い、とは。
「歴史を一望すれば、善意のみで突っ走った人よりも、悪賢く立ち回った人のほうが結局は人間世界にとって良い結果をもたらしたという例は枚挙にいとまがない」
----米国の現大統領が、かって自分と同じ職だった者が原爆投下を命じた地を訪れる。その意味をどう見ますか。
「広島に息子に見せる目的で訪れたことがある。息子はイタリア人だ。原爆ドームを見、平和記念資料館の展示をすみずみまで見、原爆死没者慰霊碑の前に立っている間、彼は一言も発しなかった。簡単には口にできない重さに圧倒されていたのだろうか」「もしかしたら、通り一遍の謝罪よりも、安易な同情よりも、被爆地を自らの足でまわり、一人ひとりが感じ、その誰もが自分の頭で考えてくれるほうを望んでいるのではないか」
----ヨーロッパ諸国から、「あれだけの惨苦をウケながら、ものわかりの良すぎる国だ」と思われるような心配はありませんか。
「少し前に、アジアの二つの国のトップが、相前後してヨーロッパ諸国を歴訪したことがある。その際に、このお二人は、訪問先の国々でまるで決まったように、日本は日本は過去の悪事を働いただけでなく謝罪もしないのだ、と非難してまわったのだ」
「ところがその成果は、迎えた側の政府は礼儀を守りながらも実際上は聞き流しただけ。マスコミにいたっては、それこそ『スルー』で終始したのだ」
----そうですか
「当然ですよ。ヨーロッパは旧植民地帝国の集まりみたいなものだから、日本の優に十倍の年月にわたって、旧植民地に言わせれば、悪事を働き続けた歴史を持っている。それでいて、謝罪すべきだとは誰も考えていない」「私には、この二国は外交感覚の欠如にしか見えない」
----厳しいですね。二国には、言われずにはいられない思いがあるからでは。
「だからこそ、日本が原爆投下への謝罪は求めない、としたことの意義は大きいのだ。欧米諸国から見れば、同じアジア人なのに、と。国の品位の差を感じ取るかもしれない」
----日本は、今回、どうすれば良いと思いますか。
「ただ静かに無言のうちに迎えることです。大統領には、頭を下げることさえ求めず。そして、そのごも、静かに無言で送り出すことである」「原爆を投下した国の大統領が、70年後とはいえ、広島に来ると決めたのだ。当日はデモや集会などは一切やめて、静かに大人のやり方で迎えてほしい。」
「われわれ日本人は、深い悲しみで胸はいっぱいでも、それは抑えて客人に対するのを知っているはずだ。泣き叫ぶより、も無言で静かに振舞うほうが、その人の品格を示すことになるのだ。星条旗を振りながら完成を挙げるのは、子供たちに任せよう。」
「それから、もし私が日本の新聞の編集最高責任者だったら、当日の紙面づくりを他の日は一変させますね。」
え?どういうふうに。
「オバマ大統領の広島訪問を伝える日の一面には、カメラマンが写してきた多数の写真の中から、一枚だけを選んで載せる『無言で立ちすくむ米国大統領オバマ』だけにする」「頭を下げる姿の大統領は絶対に載せない。なぜなら、自分の国の大統領のこの振る舞いに釈然としないアメリカ人もいるに違いない。その人たちは『日本だって真珠湾を攻撃したではないか』などと文句をつける減失を与えないためだ」
----でも、日本がオバマ大統領の広島訪問をどう受け止めたか、きちんと言葉にして米国はもちろん世界に発することが大事だと考えますが。
「新聞記者とて、時には多言よりも無言のほうが多くを語るという人間世界の真実を思い起こしてほしい」
----それで伝わりますか
「伝わる人には伝わります」「ここイタリアでも、原爆投下の日には、テレビは特別番組を毎年放送する。あれから70年が過ぎても、犠牲の大きさに心を痛めている人が少なくないとの証である。心を痛めている人は、アメリカにも多いに違いない」
----静かに迎えることこそが、世界の良識ある人たちに訴えかけるということですか。
「『謝罪は求めない』は、『訪れて自分の目で見ることは求めない』ではない。米国大統領オバマの広島訪問は、アメリカで心を痛めている人たちに、まず、自分たちが抱いていた心の痛みは正当だった、と思わせる効果がある。
感受性の豊かな人びとの足も、自然に広島や長崎に向かうようになるだろう」「広島の夏の行事の灯篭流しに多くの外国人が参加するのも見慣れた光景になるかもしれない。そうなれば、原爆死没者慰霊碑の『過ちは繰り返しませんから』という碑文も、日本人の間だけの『誓い』ではなくなり、世界中の人々の『誓い』に昇華していくことも夢ではなくなる。それが日本が獲得できる得点です」「そしてこれこそが、原爆の犠牲者たちを真の意味で弔う個世ではないか」
取材記者後記:てっきり「謝罪を求めないなんて、日本はだらしない」と語ると思っていた。そんな予想は大外れ。「ぜひ会って取材を」とお願いしたが、即座に「だめ」と。
先のエッセイ「謝罪」で ”比較すべきものではないが、慰安婦問題で見ぐるしく振舞う韓国に対して、世界で最も古い国家、成熟した日本民族の誇りある顔を世界に見せようと思うが甘いだろうか”と、偉そうなことを書いた。
塩野氏の「無言こそ雄弁」を読んで感銘を受けた。また、左よりで評判の落ちた朝日新聞が、オバマ大統領の広島訪問に際して、この記事を掲載したこと自体にも驚いたのである。
了