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板の庵(いたのいおり)

エッセイと時事・川柳を綴ったブログ : 月3~4回投稿を予定

エッセイ:「世界で最古の日本(28)」2013.10

2013-10-24 13:30:48 | エッセイ
エッセイ:「世界で最古の日本(28)」2013.10

我が町内もあちこちで木造住宅の建て替えが行われるようになった。そんなに年数が経ったのかと振り返ればまだ30年余りだ。もったいない話だと思うのだが、あるところにはあるものだと羨む。東日本大震災以降、やれ耐震構造住宅だ、やれ免震構造住宅だと世間では安全性の重視を言い始めた。 

今年、伊勢神宮の遷宮(せんぐう)が行われた。神宮式年遷宮と呼び、神宮(伊勢神宮)において行われる式年遷宮(定期的に行われる遷宮)、いわゆる伊勢神宮の立て替えのことである。
原則として20年ごとに、内宮・外宮の二つの正宮の正殿、14の別宮の全ての社殿を造り替えて神座を遷す。このとき、宝殿外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の殿舎のほか、装束・神宝、宇治橋なども造り替えられる。
記録によれば遷宮は、飛鳥時代の第40代天武天皇が定め、41代持統天皇の治世の690年(持統天皇4年)に第1回が行われた。その後、戦国時代の120年以上に及ぶ中断や幾度かの延期などはあったものの、2013年(平成25年)の第62回式年遷宮まで、およそ1300年にわたって行われているのだ。遷宮には、植林後200~300年経ったものを含む1万本以上のヒノキが使われる。
ちなみに、今62回の遷宮に要した費用はおよそ550億円である。戦前は国費で賄っていたが、現在は国民の浄財によって奉賛されている。

何故このような莫大な費用をかけて遷宮が行われているのであろうか。萱葺の屋根の掘(ほっ)立(たて)柱建物で正殿等が造られている。塗装していない白木を地面に突き刺した掘立柱は、風雨に晒(さら)されると礎石の上にある柱と比べて老朽化し易く、耐用年数が短い。そのため、一定期間後に従前の殿舎と寸分違わぬ弥生建築の殿舎が築かれるのである。
推測される主な理由としては、次の4点が考えられる。
①過去の建築様式である弥生建築の保存のため、式年遷宮によって建築様式の保存を図ったのではないか。
②神道の精神として、常に新たに清浄であること「常若(とこわか)」を求めたため。
③大嘗(じょう)祭、新嘗祭、神嘗祭など、天皇の祭祀の意義が再構築されたため。20年に一度行われる大神嘗(かんなめ)祭として、式年遷宮が行われるようになったのではないか
④皇宮の遷移に代えて、遷宮が行われたため。


また、式年遷宮が20年ごとに行われる理由は確かなことは分からないが、建替えの技術の伝承を行うためには、20年間隔が適当とされたため。
当時の平均寿命を勘案して、宮大工は、10歳代から20歳代で見習いと下働き、30歳代から40歳代で中堅から棟梁となり、50歳代以上は後見となる。このため、20年に一度の遷宮であれば、少なくとも2度は遷宮に携わることができ、技術の伝承を行うことができる。
1300年以上前、これらのことを想定し、現在もそれが継続されていることは本当に奇跡としか言いようがないと思う。

 
ところで、世界には約200ケ国あるが、その中で天皇制を摂り1800年も継続している世
界最古の国家が日本である。多くの読者もこの事実に怪訝(けげん)な顔をされると思う。
戦前までは誰もが共有していたことだ。太平洋戦争後はGHQの統制による政策でこのような
歴史認識が国民の記憶の中から抹消されているのだ。

 国家の体制は数十年、百年程度で成立と滅亡を繰り返してきている。日本に次ぐ長い歴史を持つのがデンマーク、英国であり、仏は革命により1789年に、中国(中共)は毛沢東が成立宣言したのが1949年、ロシアはソ連が崩壊して独立を宣言したのが1991年である。
すなわち、国家とは領土と体制が継続されているものをいうである。

「中国四千年の歴史」とよく言われる。「四大文明のうち、中国文明だけは現在まで続いている」という意味だ。
漢族が四千年間ずっと中国文明を守り育ててきたかというと、そんなことはない。中国の歴史は、異民族が入れ換わり立代わり侵入・征服してはつぶれることの繰り返しであった。
そもそも、最初の「中国文明」自体、昔からそこに住んでいた人が築きあげたものではない。中国史家の岡田英弘氏は、「夏」は東南アジア系民族が、「殷」は北方狩猟民が、「周」は西方の遊牧民が、それぞれ中原の地にやってきて建てた王朝だとしている。ちなみに、「秦」も西方民族系である。
中国の学校で使用されている古代史の教科書では全て①夏王朝を中国最古の王朝と記述している。
さらに中国は4000年の歴史どころか、それ以上を吹聴し、民族の優位性をプロパガンダしているのである。ところが、この夏が実在したかどうか、現段階での日本の歴史・考古学では夏の存在は証明されていないと言うのが通説になっている。

漢字の原型(甲骨文字)を生んだ②殷(いん)王朝(紀元前16世紀頃~)に代わって、内陸部の周族が③周(しゅう)王朝(紀元前 11世紀頃~)をうちたてた。遊牧民から侵入をうけた周は、東方の洛邑(らくゆう)(現在の洛陽)に都を移し、それ以降を東周(BC770年)という。東周で諸侯の対立抗争が続いた時代を④春秋時代(BC770~403)と⑤戦国時代(BC403~221)に分けている。

戦国時代に農業の治水灌漑事業を重視して国力を高めた⑥秦王朝(BC221~BC206)
が中国を統一し、度・量・衡、通貨、文字などを統一した。 秦の始皇帝の死後、農民の不満が爆発、中国史上最大の反乱がおこった。
これに乗じた項羽や劉邦らにより秦は滅ぼされた。両者の覇権争いは人心を集めた劉邦が項羽に勝利し ⑦前漢王朝(BC202~BC25)を創設した。

前漢七代目・皇帝武帝(劉徹)は漢の全盛期を築き上げた。東アジア各地、北方、南方、朝鮮、チベット、雲南方面に遠征して、中国本土や隣接諸民族をも支配する大帝国を築いた。現在に至る中国民族を漢民族と称するのはそのためである。そのため輝かしい時代を書き残す機運が起こり、司馬遷の「史記」や班固の「漢書」などが書かれた。
漢の内紛に乗じて、皇帝の外戚である王莽(もう)が帝位を奪って⑧新(BC8~BC25)を建てた。その後の農民の反乱(赤眉の乱)を討伐した光武武帝により洛陽に⑨後漢王朝(BC25~AD220)が打ち建てられた。二世紀末には農民の大規模(黄斤の乱)が起こり、後漢は豪族の群雄割拠となり滅ぼされた。以降魏(ぎ)・蜀(しょく)・呉(ご)の⑩三国時代に入る。
 ここまで、中国史に疎い私の頭の中を整理する意味で、中国古代史を実に大雑把に纏めてみた。
中国の古代史はなかなか複雑怪奇で、中国四千年との関わり合いで理解に苦しむ部分も多々ある。

平成12年(2000年)、東大の植田信太郎、国立遺伝学研究所の斎藤成也、中国科学院遺伝研究所の王瀝(WANG Li)らが、中国で発見されている遺骨のDNA分析の結果を発表しました。
2500年前の支那大陸で、春秋戦国時代を築いていた集団は、現代ヨーロッパ人類集団と遺伝的に近縁な人類集団であった。すなわち、いまの支那人たちとは、まるで異なる集団であったということです。
 言いかえれば、2500年前から2000年前の500年間に、支那では大きな遺伝的変化が生じた。つまり、支那大陸では、大規模な人類の移動があったということです。

そもそも中国語と英語を含むヨーロッパ系言語では、文法や語順のなどが、非常に似通っています。たまたま文字が漢字であるため、見た目のイメージはまるで異なる言語にみえるけれど、語族として考えたら、日本語と中国語よりもはるかに支那語は、ヨーロッパ系言語に近い。
 しかも、ひとくちに中国語といっても、支那は広大な大陸です。さまざまな方言があり、外国語並みにたがいに言葉が通じない。文法や語順、あるいは基本的名詞に至るまで、まったく違うものもあり、もはやその言語は、互いに別な言語というほうが、はるかに正しいのだ。

フランス語と英語は、語順等は似ているけれど、母音の数がまるで異なり、当然異なる言語とされている。国籍も別です。
 支那にある諸方言を考えたら、これらをひとまとめに、同一言語であるとみる方が、むしろ異常です。中国四千年の歴史なる言葉は、そもそもが、三皇五帝(さんこうごてい)なる支那の神話伝説時代の帝王からきている言葉である。
 三皇は神、五帝は聖人で、それらは支那の伝説の時代である「夏」の時代(紀元前2070年頃 - 紀元前1600年頃)よりも古い時代の皇帝だというのだけれど。

さらにいえば、いまある支那共産党の中華人民共和国などは、まさに中国共産党王朝ともいうべきものでしかありません。
なにせ、支那に十五億いる人々の中の、わずか7千万人の共産党員が、我が物顔にのさばり、党員以外の人々から酷い収奪をする。
 中国人とひとくちに言っても、民族も様々、言語も様々、文化も様々。要するにその中で、中国共産党という名称の「民族」が、設立わずか60年の絶対君主制の帝国主義王朝を築いているというのが、いまの支那です。

 そして支那の歴史は、民族同士が互いに殺戮しあい、生き残りのためには誰も信用することができず、民族浄化とホロコースト(大量虐殺)を続けてきた歴史です。
 とてもじゃないが、四千年の歴史などと呼べるものではない。中国四千年の歴史というのは、支那の大地の中で、異民族同士が、互いに絶滅を賭して殺し合い、強姦しあい、騙しあってきた、殺戮と暴力の嘘と虚構の歴史です。

王朝末期には新しい王朝による大量虐殺は付き物のようですが、その中でも毛沢東による虐殺が歴代王朝のなかで最大と言われています。 大量虐殺の後には必ず大飢餓があり、毛沢東による「大躍進時代」の飢餓も筆舌に尽くし難いものがあったようです。

殷-周-秦-漢-晋-隋-唐-北宋-南宋-元-明-清-中華民国-中華人民共和国が支那の歴史です。
 為政者の人種も文化も異なれば歴史が断絶していると言うことだ。建物は残るでしょうが文化は切れています。
なお、五胡十六国の諸国や北朝、あるいは隋・唐は、清や元などと同じく異民族王朝であるが、明確な征服行為を欠くため「征服王朝」とは呼ばれず「浸透王朝」という用語で定義される。
別の事情としては、「漢書」「後漢書」「三国志」「晋書」…という、中国王朝の公定歴史書(正史という)の存在がある。これは、「現王朝は前王朝から中国を支配する資格を受け継いだ正統王朝です」ということを証明するために前王朝の歴史を書く、というのが大前提となっている。
そのために、今日の我々からみれば王朝だけが連綿と交替する印象を受け、断絶があることを見落としてしまう。かように、中国における「歴史」は政治的性格を持っているので、かの国が「歴史問題」を持ち出すときには注意が必要である。
 こう考えると、「中国四千年」というキャッチフレーズにも、なにやら政治的な思惑があるのではないかと勘ぐりたくもなる。

世界で最古の日本で最古の企業の創業は、大阪・四天王寺の建造・修復にかかわってきた「金剛(こんごう)組」の1450年である。578年に聖徳太子に百済から招かれた宮大工の一人(金剛重光)が創業した。現在でも金剛組は資本金3億円、売上は60億円で宮大工は100名を擁するニッチ企業である。
 中国と異なり、日本の政治が安定し、継続できたからこそ「金剛組」が存続できたのである。従って匠(たくみ)によるモノづくり精神が経済大国への道にも生かされたのではないだろうか。

 2009年のエコノミスト(英)の調査(「あなたは○○人であることにどれくらい誇りを感じますか」)結果では、世界33カ国中、自国に対する誇りが最も低いのが日本で、なんと100点満点中56点であった。
2012年、BBC放送(英)の世論調査(20カ国、数万人)で「世界に良い影響を与えている国」として、最も高く評価されたのが日本だった。
世界の人々は日本に最も好意を寄せているにもかかわらず、当の日本人は日本のことを良く思っていない。どうやら日本人は日本のことが好きでないらしい。日本を肯定的に捉えているのはわずか41%に過ぎない。どこかおかしいと思わざるを得ない。

 日本は国連に対する拠出金が米国に次いで2位の16.6%の額である。にもかかわらず、国連(3万千人)に占める日本人職員数のシェア―はわずか2.4%である。国連が望ましいとする職員数の四分の一である。今年、国連の6機関が合同で日本人の採用を増やしたいとして、日本での採用説明会に担当職員を派遣している。国連で日本の存在感を高めるためにも、ぜひ若者にはチャレンジして欲しいものである。


“国を愛する”ことに必要以上にナーバスになり過ぎると、そのうち変な政治家にとんでもない愛国心へ誘導されかねない。老い先も短くなり、家族を愛し、社会を愛し、そして私を育んでくれた国家を愛する懐の広さを求めてやまないのである。



エッセイ:「九十九里海岸での真剣勝負(28)」2013・10

2013-10-12 11:13:01 | エッセイ
エッセイ:「九十九里海岸での真剣勝負(28)」2013・10

男性の多くは女性に比べて勝負事が好きである。それは何十万年をかけてDNAが生存本能として与えたものであろう。人は誕生するとすぐ体重計に乗せられる。体重が軽い子用に“小さく産んで、大きく育てる”なんて言葉をつくりだし、ここからすでに人生他人との競争が始まるのだ。
過去、読者のみなさんは意識をするしないにかかわらず毎日が競争、真剣勝負の連続であったわけである。長い間さんざん競争に明け暮れたサラリーマンであれば、定年退職を迎えて少しはのんびりするのかと思えばさに有らず。

賭けごとや勝負事は、喫煙と同じで止めたいと思ってもそう簡単にはいかない。マージャン、パチンコ、競馬などの賭けごとは金銭を掛けるから的中させる醍醐味やスリル感が大脳にモルヒネのような快感を与えるのかなかなか忘れられないのだ。
さらに囲碁、将棋などは個々の勝敗に一喜一憂する刺激があり、また効率良く努力すれば技量は向上し自己満足が達成できるのである。
太陽の下、自然と戦うスポーツの代表格であるゴルフはこれも仲間との序列競争であり、テニスも然りである。
ランニングやウォーキング、水泳、ジム・スポーツなどは、一人でもくもくとやり、自分の意志との戦いがなくしては成り立たないものである。

つまるところ、男性がこの勝負事を好むということは、例えば蒸気機関車を走らせるのに上り勾配、下り勾配でいかにして釜に入れる石炭の量を調節し、効率よく蒸気を発生させるのに似ていないだろうか。

ところが女性は、男性のように賭けごと勝負事に夢中になることは少ない。それどころか、亭主の賭けごとに不平・不満を募らせている女性は多いのではないだろうか。
 楽しみのギャンブルが昂じて依存症になり、家庭を省みなければ離婚沙汰にもなりかねない。いずれにしても、趣味が昂じた挙句人生をつまらないものにし、汚点を残すようなことだけは避けたいものである。

 ところで、サラリーマンをリタイアして七面倒くさい人間関係とオサラバ出来てホットしたと思っている人も多いのではないだろうか。これからは自分の興味のあること、さらに気が合い関心がある人との付き合いに絞って楽しく暮らせていけたら最高であると。
しかし、多くの人は自らの町内では近隣の人の名前も顔も知らない自分に唖然とするのである。永年所属する組織だけで人間関係を構築してきた人は、地域社会においては人間関係がほとんどないに等しいのである。それにいち早く気がついた人は、過去の栄光を捨てて(振りをして)、地域で市民大学、サークル活動や同好会活動、町内活動などを通して人間関係を一から構築するのである。この人間関係の構築に成功した人の顔は生き生きとし、第二の人生が順調にスタートしているかに見える。

さて、当市のコミュニティセンター内で囲碁を楽しむシルバー・メンバーが増えている。囲碁打ちはタバコをブカブカ吸って、対戦相手を前に無精ひげを生やした高齢者という、一般人からは暗いイメージに見られているのかもしれない。
しかし、それはハッキリ言って正しいイメージではない。40名ぐらいのメンバーの中でタバコを吸う人は5~6名、吸える場所は屋外である。メンバーはリタイア後の60歳台以上の高齢者であるが、女性も5~6名おり毎週石音も高く頑張っている。

この度メンバーの協力で名簿を作成したが、趣味の欄を見ると、囲碁はもとよりエレキギター、スキューバダイビング、サイクリング、テニス、ゴルフ、水泳、ダンス、地元の史跡調査、鉄道、雅楽、中国語、絵画、エッセイ、家庭菜園、錦鯉、火縄銃、どぶろく造り、釣り、旅行など多彩である。

煩わしいので、対戦者個人にあまり立ち入りたくないと言う人もいる。しかし大方の人は相手のことをもっとよく知りたいと思っているのだ。コミセンで10年以上が経ってようやく、忘年会や暑気払いなどの懇親会をメンバーが求めるようになった。やってみると普段では分からなかったお互いの個性を発見して実に楽しい。

昨年、初めてこの囲碁仲間で草津温泉に旅行に出かけて意を強くした。今年は10月に千葉県九十九里海岸のホテルで一泊4食付き、送迎バス付で8、800円という安い企画で行ったが食事の内容も素晴らしく好評であった。
ホテルは窓越しに砂浜を超えて太平洋を望む風光明美な地である。穏やかな海辺であるが、東日本大震災の際には津波で犠牲者が出たと聞く。

囲碁打ちであるからには、旅行は囲碁大会が主な目的である。会費の中から“賞金”を捻出したのでメンバーの真剣度がヒートアップした。今までやってこなかったスイス方式対戦処理も取り入れて、当日の夕食前までに3番、翌日の午前中に2番の計5回戦をこなす。いつもとは違い参加者全員が無言で対局、普段見せている顔つきとはおよそ違う真剣な勝負士の顔になりきっていた。
残念なことに、やはり優勝者、準優勝者は普段の序列に従う順当な結果になってしまっ
た。                   了

エッセイ: 「 “さようなら”  には別れの意味はない (25) 」 2013.10

2013-10-05 23:00:11 | エッセイ
エッセイ: 「 “さようなら”  には別れの意味はない (25) 」 2013.10

日本語は省略の多い言語なのだそうだ。漢字は少ない文字数で多くの意味を表現できる上に、さらにそれを省略してしまうところに言語としての特徴があるのだと。

 周辺には省略語がはんらんしており、「ワンセグ」とは「ワンセグメント」、「キムタク」といえば木村拓哉、「アメフト」は「アメリカンフットボール」のことだ。デジタルカメラはデジカメ、地上波デジタルは地デジ。エンターテインメントはエンタメで、メールアドレスはメルアド。

新聞でもよく省略語が多く使われる。「参院選」は「参議院議員選挙」、「文科省」は「文部科学省」はその一例。
 
 英語ではこのような略しかたはまずない。リモコン」は「リモートコントローラー」、「エアコン」は「エアーコンディショナー」なども通じない。カタカナ言葉なのでうっかりして英語で使ってしまうと、ネイティブに「?」という顔をされて赤面するのがオチ。          
もちろん、英語でも言葉を省略する。頭文字をつなげてVery Important PersonはVIP、Most Valuable PlayerはMVPと略される。                     
 どうして日本はこんなに言葉を省略し、短縮するのだろうか。            
漢字の例でいえば、時間短縮は時短、仕事先から直接家に帰るのは直帰。電卓は元の言葉(電子式卓上計算機)すら忘れるほどである。厚生労働省を略して厚労省、文部科学省を略して文科省、中央教育審議会は中教審、不当な労働行為を監督する労働基準監督署は労基署など。役所関係の名称はほとんど省略形が使われていると言っても過言ではない。
 
つぎにカタカナ言葉での省略形がある。例えばエアコン、パソコン、コンビニなど、すでに省略形であることすら忘れるほど、日本語として通用している言葉はたくさんある。
 「インフラ」はインフラストラクチャーがもとの言葉で、長いこともあるが日本語でも簡潔に表しにくいためであろう。
「セクハラ」もセクシャル・ハラスメントが。ブレイン・ストーミングの略語に「ブレスト」がある。簡単に言いたいのなら、「意見を出しあって議論しよう」とでも言えばいいではないか。

同じカタカナでも、若者言葉として生まれた略語としてのセブンイレブンは「セブン」、ファミリーマートは「ファミマ」で、ミスタードーナツは「ミスド」。
 おもしろいのは地域によっても省略の仕方が違うこと。マクドナルドは、関東圏では「マック」、関西圏は「マクド」は有名だ。ケンタッキーフライドチキンは「ケンタ」などのほかに、「ドチキン」と言う地域があるが、なんだこれは、である!。
飲食店で「お召し上がりですか、お持ち帰りですか」ときくところがある。どっちにしたって「召し上がる」には違いないだろうに。つまり「こちらでお召し上がりですか」というところの「こちらで」が省略されているのだ。レストランで「お水、大丈夫ですか」などときかれることがある。これは「お水がなくなっていないか、大丈夫ですか」と言いたかったところを、間を抜いている。

どうしてこうも省略が進むのだろうか。一つには、つぎつぎと英語で言い表される言葉が社会に登場していることと関係があるようだ。英語をそのままカタカナで表記したのでは長くなるのでカタカナで省略してしまう。

もう一つは、時代が簡易さやお手軽さを求めるからではないだろうか。とくに若い人は正式なものが嫌いなのはいま始まったことではない。社会でも、くだけて簡単に言い表すことが親しみを表していると思われている。少し、かしこまったことを言うと「堅苦しい」などと忌避される。これも家庭や学校、あるいは会社でも気軽な人間関係を反映しているのかもしれない。

「さようなら」に別れの意味はない
 
「さようなら」、略して「さよなら」は、今や世界中に広く行き渡るようになった日本語です。 ペルーの世界遺産マチュピチュの麓には「サヨナラ少年」がいて、日本人のみならず、世界中の観光客に、「サヨナラ、サヨナラ!」と叫びながら山から駈け下りて来ることで知られています。どうして彼が「グッバイ」や「アディオス」ではなく「サヨナラ」を選んだか、その理由は残念ながら聞き忘れてしまいました。
 
「さようなら」は日本人の美しい別れの挨拶のことばです。「さようなら」を別れの時に遣うのはなぜか?「さようなら」ということばにはいったいどういう意味があるのか?    結論から言えば、「さようなら」ということば自体には本来、別れの意味は含まれていません。
 
もともと、「さようならば」という接続詞なのです。前から続いていた話に一区切りをつけ、「それならば」「しからば」「そういうことでしたら」という結論へいたるための導入の接続詞です。すなわち、「さようなら」だけでは別れの意味はなく、「左様ならば」といったん話を打ち切って、「これにて失礼いたします」と挨拶語を述べるのが本来の正しい別れの挨拶のことばなのです。
 
最近ほとんど遣われなくなっていますが、「さらば」も同じです。「それならば」「それでは」という意味の接続詞です。「さらば、いかがしたらよかろうか」などと昔は遣っていました。「さようなら」を遣わなくて、「それでは」とか「それじゃあ」、あるいはもっと略して「では」と言って別れる人もいますが、それも同じ接続詞から来たことばなのです。
 
「さらば」は卒業式などでよく合唱した『仰げば尊し』(明治17年〈1884年〉)に「今こそわかれめ いざさらば」と末尾で「さらば」が遣われています。友との別れが「さらば」ということばで締めくくられる心地よさを味わったものです。「さらば、友よ」――いい響きでしょう。
 
こうして見てきますと「さようなら」という別れの挨拶語も元は接続詞で、別れの意味を含まず、当然、その後に続くはずの「これで失礼します」という別れの挨拶語が省略されているのです。
 
日本語には後に続く肝心なことばを省略してしまう癖があります。たとえば関西の商店で買い物をすると、店の人から「おおきに」と感謝されます。この「おおきに」は副詞で「はなはだ、非常に」の意。「ありがとう」につけて強調して「おおきにありがとう」ということばになるはずだったのに、いつの間にか「ありがとう」という肝心のことばが省略され、「おおきに」だけになりました。
 
英語では感謝のことば「サンキュー」を強めると「ベリー・サンキュー」となりますが、それを「ベリー」だけで切ってしまったようなものです。「ベリー」という副詞だけではなんの意味もありません。論理的には間違いなのですが、そうした省略が日本語に多く見られるのです。
 
日常の挨拶語も同じです。「こんにちは」や「こんばんは」も、元々「今日は、よいお日柄で」とか「今晩は、よき穏やかな晩です」という、後に続くはずの挨拶語が略されているのです。
  主語が省略されたり、肝心なことばが略されたり、日本語は言語学的に見ても欠陥だらけで未成熟言語のように思われるかもしれません。その点、英語は主語・述語・目的語がはっきりしていて、主張すべきことを論理的によどみなく展開できる構造になっています。日本人が外交などでいつも自己主張ができないと言われるのも、こうした言語上の欠陥があるからだと指摘する人もいます。
 (中略)
 

東南アジアのある国の学生がアメリカに留学し、偶然、祖国の学生と出会えたので、久々に母国語を話せて心安らぐ時間を過ごし、その後、お互いに勉強している専門領域の話題になると母国語ではまったく語れず(使えず)、泣きながら英語で話し合ったという気の毒な話を聞いたことがあります。
 
早稲田大学の構内には有名な大隈重信像のほかに小野梓という人の銅像があります。この人がなにをしたかといえば、大隈と協力して東京専門学校(のちの早稲田大学)を創立しました。だから銅像があるのでしょう。
しかし彼の功績は、外国の教科書を使って外国語で教えるのでは学問の独立はないと批判し、日本語による講義を提唱したことにあると思います。そのためには、外国の教科書や最新の文献は即、邦訳して日本語で講義する、というスタイルを確立しなければなりません。江戸時代から、オランダ版の『解体新書』を若狭小浜藩をスポンサーにして藩医・杉田玄白や中川淳庵らが日本語に翻訳する、という知的好奇心にあふれる日本人が市井に少なからずいたとはいえ、国家が制度とするにはそれだけの覚悟がいります。
 
しかし、日本人には覚悟や技術(翻訳力)に先立って熱意と知的好奇心がありました。その結果、世界でも希有なほど、最新の外国文献でも日本語で読めてしまう、という翻訳文化を確立しました。アジアの国々で高等教育などすべての講義を母国語でまかなえる国がどれほどあるか、考えてみてもそれがわかります。一方、日本人が英語を苦手にするのもそのせいかもしれません。
自国語でほぼすべてがまかなえる国であるありがたさ。ことばは文化であり、ことばは民族の誇りなのだ、ということを日本人はついつい忘れがちです。大森亮尚(あきひさ:古代民族研究所代表)より

今回のエッセイ「さようなら」には、分かれの意味がないと言われてビックリ、ガーンと後ろから頭を殴られた思いである。大事に育ててきた我が子が取り違えられたあかの他人と判明する「父になる日」福山雅治の映画のようだ。
しかし、興味がない方には、別にそれを知ったからといってどうと云うこともない程度の話だが。