板の庵(いたのいおり)

エッセイと時事・川柳を綴ったブログ : 月3~4回投稿を予定

エッセイ:「処刑(23)」2018.11

2018-11-30 11:30:48 | エッセイ
エッセイ:「処刑(23)」2018.11


NHK大河ドラマ“西郷どん”がクライマックスを迎える時期になった。明治政府に対する士族による反乱が頻発、佐賀の乱(明治7年)では、大久保利通内務卿により急設された佐賀裁判所で、江藤新平の司法省時代の部下によりわずか2日間の審議で江藤ら11名が死刑を宣告され斬首、江藤は梟(さらし)首の刑にされ、反政府派への見せしめにされた。

西郷による「西南の役」が鎮圧された後、明治11年大久保は「紀尾井坂の変」(千代田区)で征韓論を主張し、佐賀の乱の処理を批判する石川県出身の島田一郎ほか6名の不平士族らによって暗殺された。
私見であるが、「安政の大獄」を取り仕切った井伊直弼大老の暗殺事件にも通じるように思える。

これより前、鳥羽伏見の戦いで敗走した新選組の近藤勇が千葉県流山で土方歳三の制止を振り切って偽名を使って出頭したところ発覚し斬首。アルコール漬けで京都に移送、鴨川三条が原で梟(さらし)首になった。
重い病のため江戸で療養していた沖田総司はその一か月後に息を引き取った。近藤の助命嘆願で江戸に走った土方歳三ではあるが、旧幕府軍の一員として会津、函館へ転戦し壮絶な死を遂げるのである。

関ケ原の戦いで敗れた石田三成は、敗走中に捕獲され半月後に京都六条河原で処刑される。“名を惜しんで切腹するだろうに、なぜしなかったか”の問いに三成は”諦(あきら)めたわけじゃない、チャンスを見つけて、家康を殺すつもりだったから“と答えたと。
また処刑場へ行く途中喉が渇いたという三成に柿を渡すと”俺は大事をなそう、という男である。不用意に柿を食わせて、もし俺が腹を壊したら,貴様、どう責任を取る積りか“と一喝したという。
もちろん後の創作であろうが、三成の生きざまを評価したのか、笑いものにしたのか?

石川五右衛門は安土桃山時代に出没した盗賊。都市部を中心に荒らしまわり、時の為政者である豊臣秀吉の手勢に捕えられ、京都三条河原で母親、子どもと処刑された。
盗む相手は権力者のみの義賊だったため、当時は豊臣政権が嫌われていたこともあり、庶民の英雄的存在になっていた。
秀吉の甥・豊臣秀次の家臣・木村常陸介から秀吉暗殺を依頼されるが秀吉の寝室に忍び込んだ際、千鳥の香炉が鳴いて知らせたため捕えられる。
有名な釜茹でについてもいくつか説があり、子供と一緒に処刑されることになっていたが高温の釜の中で自分が息絶えるまで子供を持ち上げていた説と、苦しませないようにと一思いに子供を釜に沈めた説(絵師による処刑記録から考慮するとこちらが最有力)がある。またそれ以外にも、あまりの熱さに子供を下敷きにしたとも言われている。
今年はオウム真理教の地下鉄サリン事件(1995年、死亡13名、負傷者6300名)を含む一連の事件に関与した麻原彰晃死刑囚ら7人の同時死刑執行がなされた。

どの法務大臣も死刑執行のハンコを押すのを一番嫌がるものであるが、現・川上陽子大臣の強い資質には改めて感心した。教祖である麻原彰晃(松本智津夫)が、宗教を隠れ蓑に日本を乗っ取って、自らその王として君臨することを空想し、それを現実化する過程で、世界各国での軍事訓練や軍事ヘリの調達、自動小銃の密造や化学兵器の生産を行い武装化し、教団と敵対する人物の殺害や無差別テロを実行した。
世界史的に見ても、アルカイダやISILによるテロを先取りした事件であるという。

ところで日本の歴史上では、平安時代(818)に嵯峨天皇が「死刑廃止」の宣旨(せんじ)を出してから、1156年の保元の乱(崇(す)徳(とく)上皇と後白河天皇の兄弟の争い)に至る300年以上も制度としての死刑はなかった。保元の乱で崇徳上皇は讃岐に流され、源為義と平忠正は後白河天皇の命令によって死刑になった。

この300年は、世界的にも稀有なことであるが命や人権を重んじてなされたことではないのだ。
貴族らは戦のような野蛮なものを「穢(けが)れ」として忌み嫌っただけである。死に関することに直接関係すると「身が穢れる」と考え、怨霊(おんれい)となって祟(たた)ることを恐れたまでだ。
11世紀に摂関政治で権威を振るった藤原道長の策略により遣唐使の廃止を進言した菅原道真は宰府に流され2年後に死亡した。そのころから道長は不調をきたし、次ぎ次に息子や娘が死ぬ不幸に見舞われたことなどから「菅原道真の祟り」と恐れおののいた。
古(いにしえ)の日本人は非業の死を遂げた人は怨霊となって世の中や他人に祟ると信じて非常に恐れたのだ。疫病や天災は祟りのせいだと考え、祭りを行ったり神社を作ったりした。

平安末期は治安が非常に悪く都にも盗賊が横行し、殺人事件も多かった。朝廷は犯人を捕まえても死刑にすることはなく都から追放する処分しか下さなかった。しかし地方では国司などによる死刑は普通に行われ、民衆による私刑もあったという。
朝廷は、300年も平和が続くと完全な平和ボケに陥り国を守るという考えが希薄になっていた。1019年「刀伊(とい)の入寇(にゅうこう)」(満州に住んでいた刀伊民族)事件が起きた。対馬、壱岐、北九州を襲い女性や農作物を奪ったのである。しかし驚いたことに朝廷が取った行動は武力を用いず、ひたすら祈祷をするばかりだったのだ。

それにしても、国際的には死刑が廃止される方向性にあるとされるが、現在も死刑制度を存置している国も少なくない。
世界の諸国の人口規模ランキングの上位10か国中の7か国、上位20か国中の14か国で死刑制度がある。世界の人口規模単位では50%以上の多数派になっている。
先進国を中心に139カ国もの国が、死刑制度を廃止・執行停止している。日本でもたびたび死刑廃止の議論が起こるが、遺族感情などが問題となり実現には至っていない。遺族感情は、非常に共感を得やすいものであり、死刑廃止は容易ではない。

各州が準国家とも呼べる権力を有するアメリカでは、死刑制度の有無も州ごとに異なる。「先進国で死刑制度を廃止していないのは日本とアメリカだけ」とよく言われるが、初めて州が死刑が廃止したのは1847年のことで、意外にもヨーロッパよりも100年以上早い。それ以来徐々に増えていき、2016年現在では廃止した州の数は20となった。

一方カリフォルニアやニューヨークを含む31州およびアメリカ連邦政府、軍隊では今も死刑制度がある。しかしDNA鑑定導入によって過去の死刑囚の冤罪(えんざい)が多数発覚したり、再審で判定が覆ったりする現状を踏まえ、死刑制度が現存していても長らく死刑制度を適用していない州も多い。死刑制度の問題は現在でも活発に議論されつつも、流れとしては死刑廃止の方向へ進んでいるといえるだろう。

日本でもかつての司法判決では冤罪が儘見られたように見聞する。しかし司法改革で裁判員制度が導入され、録音、録画が行われ、さらにDNAの鑑定が進歩している現状において死刑判決はそれほど冤罪のリスクが高いとは思えない。
日本は先進国の最後のガラパゴスと言われる日まで死刑制度を残してほしいと思うのは私だけだろうか。


エッセイ:「憲法改正案(22)」2018.11

2018-11-10 22:25:22 | エッセイ
エッセイ:「憲法改正案(22)」2018.11


明治時代入ってからは軍人、警察以外の銃刀類の所持は禁止された。さらに終戦時GHQは銃刀類所持取締法により日本軍の武装解除を徹底した。しかもこの法律により頻発していた暴力団抗争の抑止にも貢献することになったのである。

私の小学生のころ生徒は皆鉛筆を削るために折りたたみ式ナイフを筆箱に入れて持ち歩いていた。鉛筆だけでなくいろいろな工作物を作るのもこのナイフであった。今のこどもたちはナイフで鉛筆が削れないどころかリンゴの皮もむけないという。

当時は飛び出しナイフ(ジャックナイフ)まで持ってくる子供いたがさすがにそれは禁止された。石原裕次郎の「錆びたナイフ」の歌の影響でジャックナイフが流行ったからだ。

ところで、日本の憲法9条では自衛隊の海外派遣は難しいだろうと思われる場合でも政権が屁理屈(?)をこねて解釈・運用してきた。野党は猛反発してみせるがその本気度はわからない。解釈論で大体のことは間に合ってしまい、国民の方もそれほど熱くならず、まあどうでもいいやと納得してしまうから不思議だ。

日本国憲法は平和主義を規定し、第9条で「戦争の放棄」、「戦力の不保持」「交戦権の否認」を表明している。
ところが世界各国の軍事予算比較では日本は上位に入り、今や改良型の空母(鳳翔)まで保有する。さらに主力戦闘機F2に変わる後継機の開発をめぐり国産化か共同開発かで動きが激しくなっている。

まず面白いのが「自衛隊」という呼称である。他国からの侵略に対抗することが主たる任務とされている武装集団のことである。想像するに、おそらく日本はもう絶対戦争はしないと先の大戦の反省を込めて自衛隊という名称にしたのであろう。

しかし外国から見れば日本がいう自衛隊は正に軍隊なのである。それが証拠にかつて1991年の湾岸戦争では日本は派兵や物資輸送を求められたのだ。日本は立派な軍隊を持っているのだから協力してくれよと。

ところが日本では自衛隊は軍隊ではなく平和部隊(?)である。ましてや憲法によりそんな人殺しに加担することは不可能であると拒否した。その代わり130億ドルの資金援助と湾岸内の機雷処理や燃料補給で勘弁してもらったのである。

日本国憲法の平和の理念はまさに正しいと思う。しかし現実の国際社会が納得するかといったら独りよがりで難しいと言わざるを得ない。
血を流すことは他国に頼み、日本は自己中心(貿易で外貨をため込むばかり)で国際貢献をしない国だと非難され、その後の外交に深い爪痕を残したのだ。

太平洋戦争でおよそ350万人が犠牲になり、日本は焦土となり原爆まで投下されたのだから国民がトラウマになるのは当然であろう。
何のための誰のための戦争だったのか、また責任はどこにあったのかを反省を含めて問われてもいまだに応えられない。
この点を含めて、中国や韓国から歴史認識や閣僚の靖国参拝を非難されても内政干渉だとの一言では済まない部分があるように思う。

東京裁判で責任を追及された人が靖国に奉られる美学は日本の特有の文化である。何百年来、培ってきた“死者に鞭を打たず”や責任をチャラにする“切腹”の文化はこれからも生き続けるであろう。

さて、安倍総理が3期目をスタート、臨時国会の予算委員会で野党からの質疑応答では新任閣僚が情けない答弁で右往左往している。
確かに片山さつき氏の政治資金規正法や選挙法に触れる行為は追及されるべきものである。また桜田義孝オリ・パラ担当大臣がまともな答弁ができない資質はいかがなものか。総理の任命責任を問題にして “蛙の面に小便”のような相手を必要以上に深追いしても、野党側も“無駄な質疑をする同じムジナ”の誹(そし)りを受けかねない。

憲法の改正案を提出することは自民党の長年の悲願であり長期安倍政権の下で成し遂げられようとしている。
もちろん自民党を支持する多数の有権者さらには保守の“隠れトランプ”ならぬ“隠れ改憲派”も期待しているであろう。
安倍政権は選挙で改憲を目指すことを公約しそれに同調したのは有権者である。いまさら引き返すはずもないことで粛々と実行するのみであろう。



エッセイ:「ディベートとジャーナリスト安田純平(21)」2028.11

2018-11-02 23:04:47 | エッセイ
エッセイ:「ディベートとジャーナリスト安田純平(21)」2028.11

日本人の弱点の一つは他人(ひと)とのディベート(議論、討論)ができない、下手であるということ。自分の意見を主張し相手の意見に反論しなければならないからだ。これは日本人にとってはうっとうしいのである。
私もこのディベートに弱い一人である。会話力に乏しく冷静にうまく相手に伝えられず、時には後味の悪い結果になることもある。

男性は職場の会議等で充分経験を積んでいるのでディベートが得意だという人も少なくないであろう。それでも欧米人に比べたら決して上手とは言えないという。

欧米では幼いころから自己主張は当たり前、小学校からディベートによる授業が行われている。近年日本でも小学校の授業から取り入れられているようだがおよそ次元の違う景色である。週1~2時間の英会話をやるようなもので欧米と文化の違いがある以上やむを得ないことだろう。

欧米人がディベートで対峙しても仕事とプライベートを完全に分離させる文化の違いを見習うべきである。
日本では会議で誰かが自分の意見を否定してきたとき、その人に「攻撃された」と捉える傾向がある。自分の意見に反対してくる人は敵、賛成してくる人は仲間、と認識してしまいがち。そして、会議が終わった後も敵は敵のままということになる。

つまり、日本人は言葉にせよ、態度にせよ、自者を積極的に他者に対峙させること自体、とかく攻撃的なので良くないと考える傾向が強いのかもしれない。
本来、自者と他者の対峙は、論理的・建設的な議論の前提として必要でこそあれ、攻撃的であるか否かとは別物であるにも関わらず、である。

日本人は会議中にKY(空気が読めない)とみなされた者に対して極めて批判的である。暗黙裡に和を尊び突出は負の効果しかないので、突き詰めて議論(論を闘わせる)をしないとことも多いのではないか。

そして、会議の結論をあいまいにしては会議があたかもガス抜きのためだと言われてもしょうがない。これでは会議の体をなさないばかりか時間の無駄だとして昨今この手の会議をご法度にする企業も増えている。

1日朝、テレビ朝日のモーニングショー(羽鳥慎一)で元大阪市長の橋下徹氏とモーニングショーのコメンテイター玉川徹氏とによる約一時間にわたる激論を大阪と東京の中継放送で見た。
10月24日の放送で玉川氏がジャーナリスト安田さんを「英雄として迎えないでどうするんですか?」と発言したことが大きな波紋を呼んでいた。

 危険紛争地帯へ入るジャーナルストの取材活動は自己責任であることは論を待たない。しかし拘束されて命と引き換えに身代金などを要求されたら日本政府として自己責任だとして無視できるのだろうか。
 
こういう場合には欧米の国でも政府は身代金を一切支払わないということになっている。しかし一説によると、そういう毅然とした態度とは裏腹にいろんな方法で取引が行われていることが言われている。
フランスでも大統領が帰国した解放者をファッグして迎え英雄視扱いをするくらいにジャーナリストというものを評価しているのである。

 日本政府は、当然郷に入ればと中東地区ではしかるべき国に頼るしか方法がないのである。
 帰国した後、安田氏が国民や政府に一言も謝り、感謝の弁をしていないように思う。彼は自力で解放されたというのであろうか。
この段階での玉川氏が安田さんを「英雄として迎えないでどうするんですか?」発言である。
米国では、戦場で一兵士の間違った行動や個人のミスで拘束・捕虜になっても釈放帰国すれば英雄として賞賛されることを、玉川氏は引き合いに出している。
 
これに対して橋本氏は「PKOで紛争地帯に自衛隊が出かけて行って運悪く殉職した場合でも日本では英雄扱いなんかしませんよ」
「安田氏は自己責任で危険紛争地帯に行ったのです。重要なことは結果論で、ジャーナリストが危険紛争地帯に行って、国民がなるほどと言えるほどの内容の取材を掴んできたかにある。それがロイターなどすでに欧米で報道されているレベルでは意味があるのだろうか」と。

 私の印象では、二人の討論は全体を通じて橋本氏の方にやや分があったように思えた。しかしそのことよりも約1時間にわたり人気者の両氏によるディベートの本質を見た点であり見事であった。
 
 それに比し、臨時国会の与野党間の質疑応答はなんとお粗末なことか。議論がかみ合わない答弁や役人の作文を棒読みする答弁には呆れ果てるだけだった。