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板の庵(いたのいおり)

エッセイと時事・川柳を綴ったブログ : 月3~4回投稿を予定

師走・川柳(2011・総集編)

2011-12-29 13:54:13 | 川柳(時事)
師走・川柳(総集編)
 2011.12

2011年の出来事(私流)
・越年のチュニジアのジャスミン革命がエジプト、リビア、シリア等に飛び火。
・大相撲もあぶり出された八百長相撲で謹慎、本場所中止に。
・未曾有の東日本大地震と原発事故。後手に回る政府の対応に批判。
・盛り上がりのない都知事選、五輪を掲げた石原氏4選。
・原発事故放射線汚染が深刻に。避難、風評被害、観光事業、農・魚業。
・原子力安全保安院・電力会社のヤラセ問題が飛び火、佐賀、鹿児島等。
・米軍がビンラディン殺害。
・生肉ユッケ中毒が多発。
・国会息詰まる。法案より菅総理退陣時期が先と。
・「なでしこJ」ワールドカップ優勝で明るさ取り戻す。
・中国の高速鉄道転覆事故。日本の新幹線技術のパクリ。
・震災の対応のまずさ、菅内閣は何人もの閣僚辞任と強気の小沢切りが首を絞め、さらには鳩の糞口害や内輪の退陣コールで幕。
・自称泥鰌の野田総理大臣誕生。
・アナログ放送が幕下ろす。
・リビアのカダフィを殺害。
・消費税、TTPは不退転で望む宣言の野田総理。
・イラク戦争終結で米撤兵、米兵4500人死亡。イラク人20万人死亡。
・タイの洪水で日本メーカー大打撃。
・円高が進行する。
・ユーロがピンチ。
・またぞろ、韓国従軍慰安婦問題持ち出す。
・金正日死去

1月:
* クフ王も逃げるが勝ちと手招きし
追い詰められたムバラク大統領
* こうも違う直人次第で明るさが
菅直人より伊達直人(タイガー・マスク)
2月:
* 触れ太鼓白状しろと急きたてる
大相撲八百長調査委員会
* シェパードもゴジラに変えて上手くいく
新妨害船「ゴジラ」で調査捕鯨が中止に
3月:
* いい夢も余震に消され飛び起きる
    余震に2度、3度目が覚め
* 乳児より長生きしたい老人いる
ヨウ素汚染で水を買占める老人
4月:
* 後手後手は終戦の時もそうだった
 原爆投下で目が覚める、政治
* レベル7大本営もこうだった
    強気から最後はギブアップ
5月:
* キリスト国手前勝手な仇打ちし
キリスト教米国ビンラディンを仇打ちに    
* 生ユッケ通ぶるもほどほど命がけ
好物のユッケ食中毒  
6月:
* 物分かり良すぎた知事の底がばれ
佐賀県知事、交付金目当て、やらせ
* 蓮坊の滑った口の“へ”を“一”に
    スパコン世界一奪還
7月:
* なでしこが卑弥呼に見える日本国
頼りない男社会
* 幕引きの速さが危険の赤信号
    中国の高速鉄道事故対応
8月:
* 笑売人汚いギャグで荒稼ぎ
    暴力団と癒着の紳介引退
* ムハマンド(モハメット)おぼれた犬を棒で打ち
    中東の狂犬カダフィ
9月:
* あり得ないアインシュタイン舌を出し
日本で発表、光より速い素粒子
10月:
* 行楽はデパ地下試食立ち読みに
食欲と読書の秋
* 疑えば反省までもヤラセかな
    九電の「ヤラセ」反省
* 勝負手はダブル選挙で歩(府)と(都)金に
    橋下知事の勝負
11月:
* マラソンへ猫まっしぐら笑い取り
    カンボジア国籍で五輪出場狙う、猫ひろし
* ウサギ年地震洪水に足とられ
    内外での日本の製造業
12月:
* 鳩の糞日米ともに大弱り
    鳩山元総理の軽口尾を引く
* 4度目はナマズでも一向に構わない
    誰がなっても

以上









エッセイ:原発雑感「失われた20年」

2011-12-28 19:03:19 | エッセイ
原発雑感「失われた20年」
  2011.08

「おれたちがガキのころ、クーラーがなかった。頭も悪かった。ケータイもなかったけど。夢があった(「ファンタはあった」が原文でファンタの広告)。
そう、今はクーラーを買い、頭も良くなり(?)、ケータイも手に入れ、おまけに原発までたくさん持つようになったけど、代わりに何か大切なものをなくしてしまったんじゃないか。」(朝日新聞8.3 CM天気図 天野祐吉から)

「日本の失われた20年」というのがある。嫌な言葉である。この20年間の経済成長率は年平均1.1%。一人あたりのGDPは対米国でピーク時の85%が2006年には72%に低下。日経平均株価の時価総額は20年前の水準の1/4に落ち込んだ。認めたくないが日本は間違いなく衰退の一途をたどっているように思う。

では国民にとって何が一番の幸せか、満足をもたらすものは何か、その答えを誰もが出せないでいる。おそらく経済的な豊かさはそれらを求めうるものでもなさそうだ。そう、それは巻頭の言葉の中にヒントが隠されているような気もする。
振り返って65年前、我々は何もない焼け野原の社会からスタートした。皆が貧乏でありガキは鼻をたらしていた、しかし夢があり、希望があった。それが今はどうだろうか。

東日本大震災の津波で瓦礫以外全て失い、その上大切な肉親、知人を失ってしまった多くの被災者。福島原発事故で放射線から身を守るため何時戻れるとも知れぬ避難に明け暮れる人々。我々は「がんばれ東日本」を合言葉に未曾有の危機の中で日本人全員が忘れかけていた何かを思い出そう、取り戻そうとしているのかもしれない。

ペリーの黒船来航以降、日本植民地化の危機をわずか15年で乗り切り、近代日本の礎を築いたのは当時20歳代、30歳代のヤングである。今の時代では考えられないことである。
種々の政見の衝突、派閥の対立を調整しながら、尊王開国という路線を決断した中心人物は、下級武士・下級公家の岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允らであった。
彼らには欧米の植民地化からは何としても日本を守らねばならぬ、と自らの命を張ってもという大きな気概、夢があったのであろう。

原発推進派により核の平和利用すなわち原発の安全神話を大部分の国民は何の疑念もなく信じ込まされて来た、というよりダマサレてきたと言った方が良いのかもしれない。
フクシマ原発事故発生の惨状の真っただ中にあっても、推進派は性懲りもなく脱原発になると深刻な電力不足を来たし日本経済を失速させ、企業は海外へ逃げていく、雇用不安が心配になる云々という。
私から見ると「バカも休み休みに言え」と言いたい。そのようにならないようにやるのが日本人の知恵であり、政治ではないかと。30%以上の発電を担う原発を直ちに辞めて日本国が成り立つわけがない。そんな脅しみたいな、子供じみた話が大真面目に議論されているのである。

7月31日、女優の吉永小百合さんが広島の原爆記念会議場での詩の朗読会で「原発はなくなって欲しい」と切々に訴えた。これからは原発立地近隣に住む人々だけでなく、一般市民が参画する原発反対市民運動に広がりを見せていくのだろうか。また8月6日広島原爆記念大会で松井広島市長があいさつで言ったように、国民は「信頼を失った原発とは共存は出来ない」ということになるのであろうか。

玄海原発の再稼働に関し古川佐賀県知事が、海江田経産相と会談し、原発の安全性を確認し国からのお墨付きを取り付けたので再稼働を了解したいと記者会見で発表した。
私は随分物分かりが良く安請けをする知事だなと思った。またしゃべり方、表情・目つきなどからこの人はペテン氏的な面があるのはないかと思ったくらいだ。直感的に胡散臭い話が出てくるのではないかと期待(?)していたところ案の定ヤラセに関与していたと。

さらに国主催の原発シンポジウムで経産省の安全・保安院が電力会社(中部、四国)にヤラセを求めていたというとんでもない事件までも発覚したのである。
これは車のバック時にブレーキとアクセルを踏み間違えて駐車場から転落する事故に等しい錯覚である。
国民はもうこれでは何を信じていいのか、バカにするのもいい加減にしろと言いたくなるのも当然であろう。

政権運営に四苦八苦の菅総理大臣は、原発事故の対応が最後の砦であると並々ならぬ闘志を見せていた。そして不信感を強めていた経産省の3首脳を突然に更迭・交代に踏み切ったのである。しかし自らの閣内でさえ意のままにならぬ総理は海千山千の高級官僚の敵ではなかった。
経産省に取り込まれた海江田大臣が省内主流派を起用する順当人事を発表する。菅総理の言ったセリフは「欲を言えばきりがない」と、無欲も時と場合によりけりだ。二言目には改革だと言っていた総理だ、これにはさすがの私も愛創がつきた。 
菅総理の出である市民運動派と云うのは本来融通のきかない一徹家ではなかったのか。ケツをめくって男らしく戦うのかと思っていたらなーんだ、腹も座っていないし、腰砕けじゃないか、命なんか全然かけていない。ましてや明治維新を成し遂げた若き獅子どもとは比較の対象にもならない。

好き勝手に言いたい放題を言わせてもらった。最後に、日本の失われたこの20年、総理大臣の数は17代(13名)に上る。仮に日本は世界ナンバー1の総理大臣数を輩出する国であるとギネスブックに認定されても喜んでいられる国になるのであろうか。そうであるとすると、次は「日本の失われた30年」と云うことになろうか。





エッセイ:「大相撲八百長」

2011-12-28 10:59:48 | エッセイ
エッセイ:大相撲八百長
板井省司  2011.07

私は最近大相撲にはさほど興味がなくなり好んでTV観戦しようとも思わなくなった。ところが妻はそれほど相撲のことは分かりもしないのにTV観戦をするのが好きである。
妻の一番好きな力士が琴欧州、高見盛でどちらもコロコロ負ける気の弱い力士である。高見盛にあっては今場所元気がなく負け越しになり、私がそろそろ引退かなと云うと妻もそうかなと否定しない。
横綱白鳳については余りの強さとその精神的な安定感にただ妻は唸るだけである。白鳳との一番には相手がだれであろうと、「またコロリーンとやられるんだろうね、何でもいいから白鳳をやっつけてみろて云うんだ」と嘯いているのだ。別に白鳳が嫌いと云うのではないのだけど他の力士がふがいないから言うのだと思う。
  
昨日11日目(7/20)、何故か妻は結びの一番の白鳳vs琴奨菊をTV観戦していなかったので、相撲が終わったあとで私が「今日は白鳳は負けたよと」言ったらきょとんとしていたので、「白鳳がやられたんだよ」と云うと「本当、イヤー、後でニュースを見なくちゃ」と喜ぶことしきりである。
ついでに私が、「しかしね、俺の目から見ると、白鳳の片八百長だね、違反じゃないけど、俺の目はごまかせないよ」と云う。妻はニュースで確認するとやっぱり琴奨菊がすごかったと私の説を否定した。

11日目に大関魁皇がついに突然引退を表明した。長年お世話になり尊敬する大関の引退を聞いた白鳳、その心中に動揺が起こったとしても不思議ではない。
対戦相手は琴奨菊、今場所の成績いかんでは来場所には大関昇進である、魁皇引退で日本人の大関は一人もいなくなる。仕切りを繰り返す白鳳に迷いや普段の集中力がわかないのも無理ではない。
日本人以上に日本的で日本や相撲を愛し、先輩元横綱の朝青龍とは全く違ったタイプの素晴らしい横綱である。

琴奨菊との取り口は右上手が取れず、巻き替えをすることもまわしを斬ることもできずにガブリで寄られた。負けた瞬間の表情もいつもの厳しさ、悔しさはなく、琴奨菊の健闘を喜ぶかのように見られた。また土俵上で遠くを見る視線にはこれで良かったのだ、自分に納得させるかのようだった。“自分は片八百長をやってはいない”と。(私のこの見方に反論する方も大勢おられることは当然である)

翌朝たまたまTVのワイドショーを見ていたら、ゲストの元NHK大相撲中継のアナウンサーであり、現在相撲評論家の杉山氏が微妙な言い回しで私と同じようなことを言っていたので、私の読みがまんざらでもないと一人でご満悦であった。
さらに朝日新聞朝刊スポーツ欄の白鳳のコメントでは「ファンには申し訳なくて、途中から勝手はいけない雰囲気になりましたからね」と強がったが、(琴奨菊が大関になる力は)あると思う」と実力を認めた、とある。

これらを総合すると、白鳳は負けるべくして負けたのであり決して八百長ではないが、敢えて言うならば片八百長になってしまったのではないだろうか。

私が相撲に対して興味が薄らいだのは八百長問題とは関係がなく加齢とともに気力がなくなってしまった性かもしれない。大相撲の八百長は以前から言われていたし、私もさもありなんと思っていた。

2000年、私と同姓の元小結の「板井圭介」が現役時代の八百長を認め、八百長にかかわった横綱・曙以下20名の力士の実名を週刊現代に公表した。相撲協会は板井に謝罪を求める書面を送付したが、最終的に「板井発言に信ぴょう性はなく、八百長は存在しない。しかし板井氏を告訴もしない」という形でこの問題を決着させた。

わたしがまだ会社務めをしている頃であり、会社の同僚達との会話の中でこの話が出ることもあったが、話題としては面白いがほとんどの仲間が「板井」と云う男は胡散臭い人間だな、と云うのが印象であった。私は「世間からも相撲協会からも自分が抹殺されかねないこんな大問題を興味本位や僅かの原稿料で捏造するバカな人間はいないはず」と半信半疑ではあったが信じていた。

2005~2007年、週刊現代は「横綱朝青龍の八百長を告発する」という記事において朝青龍が白星を80万円で買っていたのではないかと云う疑惑が浮上。15回の優勝のうち実に11回分の優勝はカネで買ったものだとした。相撲協会は講談社と記事ライターに対し民事訴訟を起こした。

また、同年5月週刊現代は2006年名古屋場所の千秋楽で綱とりのかかった大関白鳳の師匠・宮城野が朝青龍から300万円で星を買ったという旨の証拠音声を入手したと報道、同誌のウェブサイトでその音声の前半部を公開している。

2011年大相撲八百長問題は、2010年に発生した大相撲野球賭博問題における捜査で警視庁は力士の携帯電話のメールを調べていたが、10数名の力士が八百長をうかがわすメールのやりとりをしていたことが判明した。警視庁が文部科学省に説明したところでは取り組の結果はメールのやり取り通りになったとされる。

相撲の八百長については江戸時代、力士の多くが大名のお抱えだったせいも有り、力士当人や主君のメンツを傷つけないための星の譲り合いや四つに組みあって動かず引き分けたり、物言いの末の預かりの裁定なども多かったようだ。

観客としては大名の意地の張り合いによる八百長相撲には腹にすえかねていたようだが、落語の「谷風の人情相撲」など美談としての片八百長、いわゆる「人情相撲」には寛容だったようだ。

なお、現在でいう意味での個人による八百長疑惑が取りざたされるようになったのは大鵬と柏戸の一戦(1963年9月、4場所連続休場だった横綱柏戸が大鵬に勝って全勝優勝を決めたが、場所後石原慎太郎がスポーツ紙上の手記で八百長として糾弾、告訴問題になり和解)の疑惑が取り沙汰された頃からである。

生身の人間が行う大相撲でなにがしかのインチキや情が入って勝負がつくのを防ぐことはおそらく出来ないだろう。それが携帯電話で行われてばれない積りでいたのが、野球賭博の捜査上で皮肉なことに別件で上がってしまったのである。大相撲ファンが本当に注射なしのガチンコでやられていたとまじめに考えていたとすると少々滑稽な気がするのは私だけでしょうか。






エッセイ:「まさか」と「やっぱり」

2011-12-28 10:56:31 | エッセイ
エッセイ:「まさか」と「やはり」
  2011.07

「天声人語」の表現を借りると、同様な事件、事故ことが起こっても、相手により「まさか」「やはり」の違いで表わされると。ノルウエーのテロの場合には世界の人々は「まさか」を使い、中国の高速鉄道事故の場合には「やはり」となるそうだ。

“中国高速鉄道が脱線4両転落、43名死亡” の7月25日の朝刊一面に目を奪われた。また追突した車両(日本CRH2仕様の中国製)が高架橋から下に突き刺さるように寄りかかっている。その脇に重機で大きな穴を掘り地面に落ちた先頭車両をショベルカーで粉砕して埋めようとしている写真を見て私は驚愕した。後の報道では列車に生存者や死亡者がいるかどうか確認もしないで解体し埋めたということである。

こんなことが現実にあるのか、実況見分も原因究明もされずに事故の翌日には鉄道当局の一存で衆人環視の中で堂々と行われているのだ。
これは鉄道当局の責任逃れのための証拠隠し以外の何物でもなかろう。記者会見で鉄道当局は「事故の隠蔽ではない、世界が見ている中でそれは出来ない。事故現場の地盤が軟弱で、邪魔だったから」と釈明した。日本であれば原因究明のため、事故車両は相当の期間保存されるものである。

そして中一日置いた25日には営業を開始し事故現場の上を高速鉄道は通過したのである。もともと人命軽視の国柄であるが世界のマスコミが注視している中で堂々とやるその無神経さに空恐ろしささえ感じた人は多いのではないか。

26日の報道によると中国の人民やマスコミからの抗議(過去にはあり得ない強いもの)や怒りに急遽当局は埋めた列車を掘り起こす(した)と云うこと。     また遺族賠償は死亡者には奨励金を含めて50万元(600万円強、中国国民    平均年収の25倍)で合意したと発表した。事故発生後3日ぐらいで話はそこまで進んでいるのだ。これはウシやブタの競り市のようで人間の命を扱う話ではないのではないか。
事故原因の究明はおろか裁判もやらずに、一方的に当局(党)の方針に沿った処理である。

この僅か数日の間に起こった事故やその対応をつぶさに見てみると、現代中国の政治、文化、人権等が凝縮されているように思う。

私の脳裏をかすめたのは毛沢東の中国共産党が行った革命の中で中国人同胞を大量に殺した事実である。虐殺された人が掘られた穴に無造作に放り込まれた数々の悲惨な事実である。
ギネスブックには、人類史上最大の大量殺人は1949~65年に毛沢東の支配する中国で行われた中国人2630万人の殺害、虐殺といわれる。ギネスブックは根拠のないことを認定することはしないし、この記述に中国政府が抗議して記載取り消しを求めたという話も聞いたことがない。したがって事実に近い数字だと思うが恐ろしい大量殺人である。
殺された同胞と現代の人命を預かる高速鉄道がまさに同じ運命をたどっているのだ。

中国共産党は現在に至るまで政治犯を国家転覆罪の汚名の下にいとも簡単に殺してしまう権利を有しているのである。
中国では死刑執行件数は公表しておらず正確な件数は明らかとなっていない。
しかし故意殺人のような生命を侵害する犯罪に限らず、故意傷害、放火等の凶悪犯罪、麻薬販売、公務員の賄賂授受・横領、金融詐欺、通貨偽造、売春や性犯罪、文化財密輸、でも死刑が規定されている。また一部の犯罪に関して死刑判決に執行猶予が付された規定がある。
 
中国を旅行や仕事で滞在する日本人は、ことほどさように中国の命に対する認識が日本と違うことを理解して行動しないといつ何時濡れ衣を着せられて死刑の判決受けるやもしれない。

犯罪の多い中国では死刑を犯罪撲滅に対する効果があると司法当局が確信している。このため、死刑の適用が多用されている。例えば2001年には「厳打」キャンペーンが行われた結果、4月から7月の4カ月間だけで2960人に死刑判決が下され、1781人に対し死刑が執行されたという。

政府のこのようなキャンペーンで死刑判決が増えたりすることは我々の民主主義の国の常識では考えられない。日本では死刑確定者の冤罪が認められ無罪となり、死刑執行のサインをためらう法務大臣がいたりすることはある意味平和で幸せな国の象徴であろう。

話は元に戻るが、日本や外国からの高速鉄道技術を取り入れて僅か4~5年、自前の高速鉄道に向けてひた走る。世界最高速度を達成して高らかに日本の新幹線技術を超えたと豪語し、製造技術の特許を5カ国・地域(米国、ブラジル等)で一括出願しこれらの国にセールスをしていることを明らかにしている。
 高速鉄道では速度、快適さと同時にその絶対的な安全性が求められる。今回の事故は種々のトラブルが発生し中国国内でも安全性が心配されていた矢先であった。
落雷や地震等で列車が停車するのは当たり前、こんなことで追突事故になるような高速鉄道には恐ろしくて乗りたくないだろう。グローバル時代で中国訪問の外人にとっても中国の安全軽視を見過ごせないのではないか。

先の尖閣諸島での中国漁船の巡視船に体当たり事件でも、中国は国内世論の突き上げに呼応、自己を正当化し常軌を逸した態度で日本を非難した。幸か不幸か海上保安員による衝突VTRが不正流出したことによりインターネット上で事件の真相が世界中を駆け巡って以来、この問題についてはさすがの中国側も口をつぐんでいる

経済成長の著しい中国は世界の牽引車としての自信とうぬぼれがいろんなところで表れ始めている。軍事力の増強、南沙諸島の領有権争い、レアーメタルの輸出制限、人民元の切り上げ、人権など国内問題 等である。 
中国が世界に君臨するに国家足りうるにはグローバルな価値観を共有することにある。「まさか」がトレードマークになる日が来るのか。「人権に始まり、人権に終わる」遠い道のりである。




エッセイ:「蜥蜴(トカゲ)」

2011-12-28 10:43:13 | エッセイ
エッセイ:  蜥蜴(トカゲ)

                      2009.05 

ある日、妻が「パパ面白いものを見せるから早く来てよ!」と言った。私は夕方5時からの町内会防犯パトロールに出かける準備をして蛍光緑色のベスト、帽子などを身につけたばかりであった。
何事かと思って行くと、食堂の窓越しに3メートル先のブロック塀の踊り場を見ると、写真(添付)のような格好で4匹のトカゲの親子が日向ぼっこをしているではないか。それが何とも長閑(のどか)でユーモラスな光景に見え、すぐに2階の部屋からデジカメを持ってきて、彼らを驚かさないように窓越しにズームレンズでシャッターを切った。
パトロールの時間もなかったので、「この写真を見せたら子供たち(二人の孫)が喜ぶぞ」と言い残して機嫌よく出かけた。
この2~3日前に尻尾が切れている一匹のトカゲが庭の水道の近くで何かを加えているのを見つけた。良く見るとダンゴムシのようであり、それは自分の頭ほどの大きさであった。どのようにして食べるのかと興味を持って見ていたら、約15分掛けてヘビがえさを呑み込むのと同じ方法で見事に呑み込んでしまった。さも満足そうにしばらくじっとしていたがそのうち居なくなった。
我が家の庭には6~7年前に二匹のトカゲが住み着くようなった。トカゲ嫌いの私は彼らが目の前に現れるとドキッとして身構えたものである。ほうきか棒で殴り殺そうか、殺しても後始末が厭だな、などといろいろ思案が続いていた。
庭でトカゲを見る機会が増えるにつれて私のトカゲアレルギーも徐々に薄らいできた。そのうちにトカゲは私が近づいてもそれほど警戒する様子もなく、のんびり散歩をする風だった。外観にはほとんど模様もテカリもなく土色一色で私の感情を高ぶらせるものではなかった。
夏には狭い庭ではあるが花壇にミニトマト、キウリ、ナス、ニガウリなどを植え食して楽しんでいる。従っていろいろの害虫も着きやすいし蚊も発生するので、トカゲがいれば多少駆除してくれるかなとの期待で、よっしゃトカゲと共存しようと心に決めた。
2~3年前の夏の頃だったと思うが、夜たまたまリビングのドアを開け外に目をやったところ、軒下のコンクリートの上で一瞬身の毛がよだつ異様な光景が目にはいったのである。暗がりで私には何が起こっているのか判断できなかった。直観として目が光っているしマムシのような小さなヘビが獲物をとらえて丸呑みをしかかっているのではないかと思った。私は庭ボウキを持ち出してきたが逃げる風でもないので力いっぱい叩いたが、すぐには逃げない、もう一度叩くとやっと離れて逃げ出した。そこにはトカゲの切れたしっぽが残されていた。すなわち交尾の最中だったのである。すさまじい絡み合いであったので私には全体像が掴めていなかった。後で考えるとあれは雄と雌の濃厚な絡み合いだったのかと納得した次第である。人間様にはアダルトビデオのシーンでもあそこまで強烈な交尾はできないのではないか。

それから、秋になった頃だったか、当然のことながら子供のトカゲがちょろちょろと庭を走り回るのを見るようになった。そして今年になって気がついてみると4匹のトカゲが走り回るようになった。爬虫類の多くは体内受精で卵を産むのであるが、中には胎児性のものもあるという。

突然に妻が「どうして来ないのだろうね!」と私に言うから、「誰が来ないんだ」と聞き返すと、妻は「トカゲが今日は踊り場に二匹しか集まらないのよ、なぜだろうね」と言うので私は呆れてしまった。我が家にとっては当分の間このトカゲで盛り上がる日が続くのだろうか。まさか愛犬家が可愛い犬を「うちの子」と呼ぶように、トカゲを「うちの子」と呼ぶんなんてことはなしにしてもらいたい。

ヘビやミミズ、ムカデ、トカゲなど長くてクネクネした動物を好きだの可愛いだのという人はそんなにはいないはずだ。しかし私はそれらの動物を見た瞬間に鳥肌が立ち心臓の動悸が高まり精神的にも興奮している自分の状態に気がつくのだ。この世にこんなグロテスクなものを神様はなぜ創造したのか、何か理由があるのだろうと考えるのであるが未だにその理由に到達しないでいる。


                  了


(補足)
ところがある種の人間はこんなグロテスクな動物を食用あるいは薬用として重宝しているのである。

本エッセイは我が家の庭に住み着いている四匹のトカゲについて記述してみたのであるが、私の大嫌いな動物についても少し書いておこう。

毒蛇のハブは沖縄県、鹿児島県奄美大島ではそれぞれ泡盛、黒糖焼酎の中に生きたまま丸ごと瓶詰にしたものが精力増強剤としてまた観光土産としても人気があるのである。グロテスクな姿で瓶詰になったハブ酒を飲めと言われても、私にはこればかりはと辞退するしかない。

ハブの特筆すべきものは
① ハブ毒は多数の分解酵素を含み、丸呑みにした生物を約一週間で骨まで溶かす消化力を持っている。
② ハブは摂食しないで水だけで一年も生きる生命力を持っている。
③ ハブは一対の性器を持ちその交尾は26時間も続く無類のものを持っている。
ことなどから人間はハブに肖(あやか)りたいとして精力源として珍重するようになったとか。

ミミズは一億2000万年前から生息しており、地球上に約3000種類生存している。例えば中国など一部の国では食用ミミズを乾燥させ漢方薬として珍重しているのである。もちろん粉末で利用するのであるが、乾燥した長いままのミミズを水に戻して食することもある。

ミミズの特筆すべきものは
① ミミズは雌雄同種で性染色体が存在しない。
② ミミズは環境汚染に強い。
③ 食用ミミズはインドでは男の精力剤として用いられている。
④ 漢方薬としての乾燥ミミズは熱さましとして煎じて服用されている。利尿効果は腎臓の血流改善によると考えられている。
⑤ 糖尿病は血流の改善によりホルモンの分泌が良くなってインスリンが産生される。
⑥ 血栓を溶解する酵素の存在が認められている。

ミミズの研究は、京大名誉教授鍵谷勤などにより発表がなされており、その効用は「ミミズされどミミズである」と言われている。

ムカデ(オオムカデ目等)は種によって異なるが、歩肢(足)の数は27対から173対まである。どの種も小動物を捕食し毒を有し、「つがい」で行動する。
韓国では干したオオムカデを鶏の腹に詰めて煮込む薬膳がある。漢方では平肝・止痙・解毒消腫の効果があるとされる。
「非常に兇暴で攻撃性が高い」ということで戦国時代には甲冑や刀装具等にムカデをデザインにしたり、旗差物にムカデの絵を染め抜いたものを用いた例もある。

トカゲは爬虫類の中で最も種類が多いグループで、世界中で3751種類(日本では10種類以上)が知られている。イグアナ、カメレオン、ヤモリなどもトカゲの一種である。

以上