エッセイ:「アフリカと黒人パワーに関する雑感(30)」2012.11
18回オリンピック東京大会(1964年)でマラソンのエチオピアのアベべ選手がローマ大会に続き連覇をするまでスポーツとアフリカがそれほど結びつかなかった。
当時はアフリカの選手が、オリンピックに出場して勝てる種目などほとんどなかった。アベべ選手が活躍し始めた頃以降、ブラックパワーが少しずつ注目されるようになる。
近年では、アフリカ・チームの台頭が著しく、W杯やオリンピックでも好成績を残している。アフリカ人の選手は元来身体能力が優れているとよく言われる。NBA(バスケット)、メジャーリーグ、世界陸上などブラック・ピープル(黒人)の出場しない試合を想像出来ない。
日本国内においても、東京箱根間往復大学駅伝競走あるいは全国高校駅伝大会などでも優秀な成績を上げる学校は外人選手(黒人留学生)の走りに負うところが多い。黒人選手の走は凄まじく、正にゴボウを引きぬく様そのものである。これが同じ人間、同じ高校生(大学生)かと思うぐらいに力の差があり、日本人としてお手上げである。
ところで、アフリカの黒人選手の陸上の成績を見ると面白いことが分かる。ナイジェリア、セネガル、カメルーンなどアフリカ西部出身の選手は短距離に強く、エチオピア、ジプチ、タンザニア、ケニアなどアフリカ東・北部出身の選手は中・長距離で好成績を残しているのである。
カナダ・ラバル大学がスポーツ選手の筋肉組織を調べたところ、アフリカ西部出身の選手は白人選手に比べて、速筋が多いことが分かった。速筋は白筋とも言われ、色が白い筋肉線維である。白人の選手59%に対して黒人は67%もあった。速筋は瞬発力を高める。つまり短距離競走に理想的なからだなのだ。
一方、アフリカ東・北部の選手を研究したのは、スエーデンの運動生理学者サルティン博士。激しい運動をしても血中乳酸値が上がりにくいことが分かった。遅筋は赤筋とも言われ、色が赤い筋肉線維である。有酸素運動で持久力が高いのである。激しい運動をしても疲れにくい体質といえるのである。
同じアフリカでも、民族的なルーツが違い、それぞれ異質の「身体能力」を持っているのだ。さらにアフリカ東・北部のケニアの選手は標高2千メートル以上の高地の出身者で、子供のころから日常生活そのものが高地トレーニングだったわけで、もともと持っている“身体能力”を絶えず磨いてきたと言える。
アフリカもグローバル化が進み経済力を身につけてよい環境でトレーニングが出来るようになった。あと20年もしたらアフリカのチームに勝てるスポーツはなくなるかもしれない。
日本人の多くが抱いてきた、 “アフリカのイメージ”とはどんなものだろうか。北アフリカではサハラ砂漠をラクダに乗った隊商が行き来し、アフリカ南部のジャングル(密林)には大蛇、ワニなどが、また大草原にはライオン、キリン、シマウマなどの動物が生息している。そして裸の土人・黒人(ブラック・ピープル)が槍をもって狩りをする。まさに子供の頃に見たカッコいい“ターザン”の 映画がイメージの原点にあるような気がする。
一般の日本人から見ると、アフリカは経済的に発展しつつあるとはいえ、未だ未開発の地が多く貧困・飢餓やエイズ、マラリア等に苦しみ、さらには部族対立による混とん、紛争という、いわゆるネガティブというイメージが強いのではないか。
しかし、53カ国と9億人の人口を持つアフリカ大陸は、21世紀になってその豊富な鉱物資源の埋蔵量はがぜん注目され始めた。欧米先進各国ともアフリカ各地の支援に乗り出してきた。中でも中国、ロシアなどでは資源開発・獲得に的を絞った首脳外交を強力に展開している。
ちなみに戦後、日本の総理大臣でアフリカを訪問したのは、森元総理と小泉元総理の二人だけでだそうで、アフリカ外交には極めて関心が薄かったようだ。
資源の代表格は石油、天然ガスであるが、アルジェリア、リビア、ニジェール、ナイジェリア他では世界の産出量の10%以上を占め、多くはパイプラインで欧州へ輸出されている。
またルワンダ、タンザニア、ザンビア、ボツワナに抜ける「資源回廊」と呼ばれる国々では、金、銅、プラチナ等やレアメタルなど種々の鉱物資源の発掘ラッシュが起きている。まさに“希望の大陸”と呼ばれる様相になってきたのである。これまでのような欧米による資源争奪の植民地主義化を排除し、自らの国で権益を守り自立に力を入れてきている。
アフリカは全人口の41%が15歳未満の世界で最も若い地域である。インド33%、ブラジル22%、中国20%で日本はわずか14%である。
昨今アフリカの若者世代を「チーター世代」と呼ぶことがある。彼らは親の世代と異なる価値観を持ち、民主主義と透明性、汚職の根絶を求めて、かってない早さで前進して行こうとすることからだそうだ。
アフリカの最大のテーマは教育であるが、道は遥かに遠いと言わざるを得ない。一部の国ではパソコンや情報通信技術を駆使した教育システムも導入されつつある。南アフリカでは、高等教育へのニーズの拡大に伴い、最貧困層の学生でもビジネススクールで学べるような独創的な大学も生まれている。
気の早い人が「21世紀はアフリカの世紀」だと期待する一方、現状ではとてもそれは無理という反論である。
アフリカ大陸は奴隷貿易と植民地支配に数百年に渡って苦しめられてきた。また独立後も、独裁政治が続き、経済的には植民地支配が継続してきたのだ。これらの負の遺産を将来へのバネにする可能性がどれだけあるかに掛かっている。いずれはASEANのように世界経済の牽引する役割を担えるようになるだろうが、それはいつのことになるのだろうか?
欧米の比較基準では、6大陸のうちで最も政治・経済、文化等が遅れているのがアフリカ大陸である。
現生の世界は西洋文明が世界を席巻している。自然を征服するのが西洋の文明なら、自然と共存するのが東洋の基本思想である。
人類の単独繁栄により他の生物は乱獲されたり、生存場所をせばめられて急速に数を減らしている。同時に70億人にも達する人類における貧富の格差は道徳的にも許容できない水準にまで拡大している。
私にはアフリカが西洋文明を求めてグローバル化されて欲しくないという願望がある。今の世界はこのままでいいのだろうかと思う。世界が弱肉強食に凝り固まっている。強い国、強い人間、富める者だけが勝ち残っていく。経済力最優先ではなく、もっと人間らしい生き方を求めていくアフリカであって欲しいと思うのだがそれは無理であろうか。
了