エッセイ:「つかの間のキャンプ」
板井省司 2011.08
夜8時過ぎ、これからシャワーを浴びてゆっくりしようかなと思っていた矢先に、ピーンポーンとチャイムが鳴った。誰だろうと思って玄関先へ出てみると直ぐ近くに住むN氏だった。「今晩は、Nです。今、公園のテント中で酒飲んでいるんだけど飲みに来ない」、私が「誰と飲んでいるんですか」と聞くと、N氏が「いや、俺一人だよ」、私がもぞもぞしていると、N氏が「いいから来なよ」と云う。
私はわざわざ呼びに来てくれたこともあり、妻に状況を話して私の家の斜め向かいにある小さな公園に行った。
暗がりのテントの中、電池式カンテラでまあまあ明るい。N氏は私を見ると「まあ中に入って座ってよ」と勧めるが、私が胡坐をかいて座れないというと、彼は自宅に帰って折りたたみの椅子とビールを持ってきた。
N氏とは町内の防犯パトロールで一緒になる程度でこんな形で話すことも、飲むこともなかった。前日の昼ごろN氏の発案により道具一式を彼が揃えてこの場所で防犯員有志が集まって会費千円のバーベキューやったのだ。その時すでにこのテントが張られていた。N氏は毎日朝夕やっている小学生の登下校のスクールガードの子供たちの遊び場にでも、と云っていた。
テントの中に入ってみると大人4~5人は大丈夫な広さであった。N氏はここにテントを張ったいきさつや、当地に引っ越してきて30年ぶりにテントを引っ張りだしてきたことなどを話し始め、例によって年寄りの昔話に落ち着いた。その中で彼の年齢は私と同じだということも分かった。
外に人の気配がしたと思ったら、N氏の奥さんがくし刺しの焼き鳥を電子レンジで温めて追加のビールと一緒に持て来てくれた。奥さんを無理にテントの中に通しビールを薦め飲み始めると今度はN氏が外に出て行っていなくなった。
すると奥さんは「うちの主人は子供っぽくて困りますよね。こんなテントの中に板井さんを呼び出してお酒を飲むんですから。」「主人がいろんなお節介をして皆さんにもご迷惑をおかけし済みません」と盛んにN氏のことを弁解する。
私は、「人間、声をかけられているうちが華、私ごときに一緒に飲もうよと言われて有難いことですよ。」「ご主人みたいな人が町内には必要なのです。他人のことに無関心、余計なことには口出ししない、これでは町内は殺伐としますよ。」
「ご主人を含めて数名のお節介好きがおられるから、我が町内はこんなに住みやすいいい街になっているのですよ、道で会えばあいさつもするようになったし。」「わたしは身体の自由が利かない身ですが、精いっぱいの理解者ですよ」と散々誉めちぎっていたらN氏が自宅から戻ってきた。
「板井さんの奥さんに電話でテントまで来るようにと言ってきたから」と云うではないか。うーん、奥さんの言うように確かにN氏はお節介なおっさんだなと改めて思った。と云うのも妻はこの手の付き合いが苦手なのだ。
そうこうしているうちに、妻が駆け付けてきた。私と妻はN氏の奥さんには改めて「はじめまして、よろしく」の挨拶から始める間柄であった。我が家からは10軒先で数十メートル離れたN氏の自宅がある方向にはまず行かないのである。それと20戸単位の隣の班であるため回覧物も別で付き合いも少ない。一戸建て住宅とはいえ30年間も住んでいて近隣の人間関係はこの程度なのである。
妻が来てからの会話はさすがに女性同士だ。狭いテントの中で場がすっかりなごみ延々と話が続く。四人ともアルコールが入って声が大きくなり、笑い声も高くなる。思い出したようにご近所にご迷惑になりますのでと自嘲するのだが元の木阿弥だ。
この手の会話で打ち解けてくると子供や孫の話に入りたくなるものだ。相手の家族構成が不明の場合にこれを切り出さないことが大原則であると思っている。子供がいない、いてもまだ結婚していない、結婚していても孫が誕生しないケースがあり、場の雰囲気を壊しかねないのである。相手から話を切り出されて大丈夫だと分かればこれほど場を和める話題もないのであるが。
もう10時になるからお開きにしましょうか、とN氏に言われるまですっかり時間を忘れていた。
リーダシップの在り方も上は総理大臣から下々までさまざまであろうが、我々は他人とのかかわり合いの中で生きている。リタイアすると何かのサークル活動をやっていなければ酒を一緒に飲める人間関係もだんだん狭まってくる。
善意のお節介はむげに断らずに有難く受けておくものだということを実感した次第である。
私にとっては何時やったか記憶にもない「つかの間のキャンプ」であった。
了
板井省司 2011.08
夜8時過ぎ、これからシャワーを浴びてゆっくりしようかなと思っていた矢先に、ピーンポーンとチャイムが鳴った。誰だろうと思って玄関先へ出てみると直ぐ近くに住むN氏だった。「今晩は、Nです。今、公園のテント中で酒飲んでいるんだけど飲みに来ない」、私が「誰と飲んでいるんですか」と聞くと、N氏が「いや、俺一人だよ」、私がもぞもぞしていると、N氏が「いいから来なよ」と云う。
私はわざわざ呼びに来てくれたこともあり、妻に状況を話して私の家の斜め向かいにある小さな公園に行った。
暗がりのテントの中、電池式カンテラでまあまあ明るい。N氏は私を見ると「まあ中に入って座ってよ」と勧めるが、私が胡坐をかいて座れないというと、彼は自宅に帰って折りたたみの椅子とビールを持ってきた。
N氏とは町内の防犯パトロールで一緒になる程度でこんな形で話すことも、飲むこともなかった。前日の昼ごろN氏の発案により道具一式を彼が揃えてこの場所で防犯員有志が集まって会費千円のバーベキューやったのだ。その時すでにこのテントが張られていた。N氏は毎日朝夕やっている小学生の登下校のスクールガードの子供たちの遊び場にでも、と云っていた。
テントの中に入ってみると大人4~5人は大丈夫な広さであった。N氏はここにテントを張ったいきさつや、当地に引っ越してきて30年ぶりにテントを引っ張りだしてきたことなどを話し始め、例によって年寄りの昔話に落ち着いた。その中で彼の年齢は私と同じだということも分かった。
外に人の気配がしたと思ったら、N氏の奥さんがくし刺しの焼き鳥を電子レンジで温めて追加のビールと一緒に持て来てくれた。奥さんを無理にテントの中に通しビールを薦め飲み始めると今度はN氏が外に出て行っていなくなった。
すると奥さんは「うちの主人は子供っぽくて困りますよね。こんなテントの中に板井さんを呼び出してお酒を飲むんですから。」「主人がいろんなお節介をして皆さんにもご迷惑をおかけし済みません」と盛んにN氏のことを弁解する。
私は、「人間、声をかけられているうちが華、私ごときに一緒に飲もうよと言われて有難いことですよ。」「ご主人みたいな人が町内には必要なのです。他人のことに無関心、余計なことには口出ししない、これでは町内は殺伐としますよ。」
「ご主人を含めて数名のお節介好きがおられるから、我が町内はこんなに住みやすいいい街になっているのですよ、道で会えばあいさつもするようになったし。」「わたしは身体の自由が利かない身ですが、精いっぱいの理解者ですよ」と散々誉めちぎっていたらN氏が自宅から戻ってきた。
「板井さんの奥さんに電話でテントまで来るようにと言ってきたから」と云うではないか。うーん、奥さんの言うように確かにN氏はお節介なおっさんだなと改めて思った。と云うのも妻はこの手の付き合いが苦手なのだ。
そうこうしているうちに、妻が駆け付けてきた。私と妻はN氏の奥さんには改めて「はじめまして、よろしく」の挨拶から始める間柄であった。我が家からは10軒先で数十メートル離れたN氏の自宅がある方向にはまず行かないのである。それと20戸単位の隣の班であるため回覧物も別で付き合いも少ない。一戸建て住宅とはいえ30年間も住んでいて近隣の人間関係はこの程度なのである。
妻が来てからの会話はさすがに女性同士だ。狭いテントの中で場がすっかりなごみ延々と話が続く。四人ともアルコールが入って声が大きくなり、笑い声も高くなる。思い出したようにご近所にご迷惑になりますのでと自嘲するのだが元の木阿弥だ。
この手の会話で打ち解けてくると子供や孫の話に入りたくなるものだ。相手の家族構成が不明の場合にこれを切り出さないことが大原則であると思っている。子供がいない、いてもまだ結婚していない、結婚していても孫が誕生しないケースがあり、場の雰囲気を壊しかねないのである。相手から話を切り出されて大丈夫だと分かればこれほど場を和める話題もないのであるが。
もう10時になるからお開きにしましょうか、とN氏に言われるまですっかり時間を忘れていた。
リーダシップの在り方も上は総理大臣から下々までさまざまであろうが、我々は他人とのかかわり合いの中で生きている。リタイアすると何かのサークル活動をやっていなければ酒を一緒に飲める人間関係もだんだん狭まってくる。
善意のお節介はむげに断らずに有難く受けておくものだということを実感した次第である。
私にとっては何時やったか記憶にもない「つかの間のキャンプ」であった。
了