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板の庵(いたのいおり)

エッセイと時事・川柳を綴ったブログ : 月3~4回投稿を予定

エッセイ「」つかの間のキャンプ

2011-12-27 16:49:24 | エッセイ
エッセイ:「つかの間のキャンプ」
板井省司  2011.08

夜8時過ぎ、これからシャワーを浴びてゆっくりしようかなと思っていた矢先に、ピーンポーンとチャイムが鳴った。誰だろうと思って玄関先へ出てみると直ぐ近くに住むN氏だった。「今晩は、Nです。今、公園のテント中で酒飲んでいるんだけど飲みに来ない」、私が「誰と飲んでいるんですか」と聞くと、N氏が「いや、俺一人だよ」、私がもぞもぞしていると、N氏が「いいから来なよ」と云う。
私はわざわざ呼びに来てくれたこともあり、妻に状況を話して私の家の斜め向かいにある小さな公園に行った。

暗がりのテントの中、電池式カンテラでまあまあ明るい。N氏は私を見ると「まあ中に入って座ってよ」と勧めるが、私が胡坐をかいて座れないというと、彼は自宅に帰って折りたたみの椅子とビールを持ってきた。
N氏とは町内の防犯パトロールで一緒になる程度でこんな形で話すことも、飲むこともなかった。前日の昼ごろN氏の発案により道具一式を彼が揃えてこの場所で防犯員有志が集まって会費千円のバーベキューやったのだ。その時すでにこのテントが張られていた。N氏は毎日朝夕やっている小学生の登下校のスクールガードの子供たちの遊び場にでも、と云っていた。

テントの中に入ってみると大人4~5人は大丈夫な広さであった。N氏はここにテントを張ったいきさつや、当地に引っ越してきて30年ぶりにテントを引っ張りだしてきたことなどを話し始め、例によって年寄りの昔話に落ち着いた。その中で彼の年齢は私と同じだということも分かった。

外に人の気配がしたと思ったら、N氏の奥さんがくし刺しの焼き鳥を電子レンジで温めて追加のビールと一緒に持て来てくれた。奥さんを無理にテントの中に通しビールを薦め飲み始めると今度はN氏が外に出て行っていなくなった。
すると奥さんは「うちの主人は子供っぽくて困りますよね。こんなテントの中に板井さんを呼び出してお酒を飲むんですから。」「主人がいろんなお節介をして皆さんにもご迷惑をおかけし済みません」と盛んにN氏のことを弁解する。

私は、「人間、声をかけられているうちが華、私ごときに一緒に飲もうよと言われて有難いことですよ。」「ご主人みたいな人が町内には必要なのです。他人のことに無関心、余計なことには口出ししない、これでは町内は殺伐としますよ。」
「ご主人を含めて数名のお節介好きがおられるから、我が町内はこんなに住みやすいいい街になっているのですよ、道で会えばあいさつもするようになったし。」「わたしは身体の自由が利かない身ですが、精いっぱいの理解者ですよ」と散々誉めちぎっていたらN氏が自宅から戻ってきた。

「板井さんの奥さんに電話でテントまで来るようにと言ってきたから」と云うではないか。うーん、奥さんの言うように確かにN氏はお節介なおっさんだなと改めて思った。と云うのも妻はこの手の付き合いが苦手なのだ。

そうこうしているうちに、妻が駆け付けてきた。私と妻はN氏の奥さんには改めて「はじめまして、よろしく」の挨拶から始める間柄であった。我が家からは10軒先で数十メートル離れたN氏の自宅がある方向にはまず行かないのである。それと20戸単位の隣の班であるため回覧物も別で付き合いも少ない。一戸建て住宅とはいえ30年間も住んでいて近隣の人間関係はこの程度なのである。

妻が来てからの会話はさすがに女性同士だ。狭いテントの中で場がすっかりなごみ延々と話が続く。四人ともアルコールが入って声が大きくなり、笑い声も高くなる。思い出したようにご近所にご迷惑になりますのでと自嘲するのだが元の木阿弥だ。

この手の会話で打ち解けてくると子供や孫の話に入りたくなるものだ。相手の家族構成が不明の場合にこれを切り出さないことが大原則であると思っている。子供がいない、いてもまだ結婚していない、結婚していても孫が誕生しないケースがあり、場の雰囲気を壊しかねないのである。相手から話を切り出されて大丈夫だと分かればこれほど場を和める話題もないのであるが。

もう10時になるからお開きにしましょうか、とN氏に言われるまですっかり時間を忘れていた。

リーダシップの在り方も上は総理大臣から下々までさまざまであろうが、我々は他人とのかかわり合いの中で生きている。リタイアすると何かのサークル活動をやっていなければ酒を一緒に飲める人間関係もだんだん狭まってくる。        
善意のお節介はむげに断らずに有難く受けておくものだということを実感した次第である。

私にとっては何時やったか記憶にもない「つかの間のキャンプ」であった。




エッセイ:「男はつらいよ」

2011-12-27 16:43:23 | エッセイ
エッセイ:「男はつらいよ」
 2011.09

社会的にどんなに出世をし、えらそうに振る舞い、また評価を得ようともひとたび家庭に帰れば、だだの“しがないオヤジ”という落差が男には付きまといがちである。ましてや組織を離れOBとなった場合にはそれが顕著にみられるのが平均的な男性像のような気がするである。

それに引き換え昨今の日本の女性の元気のいいこと、目を見張るばかりだ。特に子供も育て終え時間的に余裕が出て来たせいか中高年になると男女のその差は如実である。

あれほど嫌日だった韓国の日本に対する反応も日本のおばさん族の韓流ブーム(2005年からの韓国大衆文化・ドラマなど)に火がつくとウソのように治まってきた(竹島問題は別)。日韓の親善大使は何を隠そう「追っかけ韓流」のおばさん族ではなかったのだろうか。

また日中間のギクシャクした関係を修復しようと韓流ブームにヒントを得た訳じゃないないと思うが、中国政府はビップ待遇でSMAPのコンサートを開催する新たな試みをしてきた。正面から日本との外交を推し進めようとすると人民の反発が予想されるからだと言われている。

漫談家の綾小路きみまろのキャラクターは過去の常識を打ち破るものだ。特にそのネタのかなりの部分が中高年のおばさん族を対象にしている。
デブ、ブス、のろま、ずうずうしさ、顔の皺などこれまでは女性客に対してタブーとされていたどぎつい言葉を使いながら女性客から笑いをとるのだ。
女性客の方も話の内容に“自分のことではなく他人ごと”として腹を抱えて笑っているから綾小路きみまろの話術は大変なものである。さらに女性の世間体、見栄と現実主義のギャップにも驚くのである

歴史を見ても縄文時代は女系社会だったと言われている。何かを生み出す力を女性は持っているということに対して崇拝、尊敬された。縄文時代は戦争や紛争がなかったのである。女性は戦争にむかないし女性中心だったので戦争がない時代が1万年以上続いたそうである。

しかし、弥生時代になると小国間の争いが起こり始めた。2~3世紀には人々は戦乱をおさめるために卑弥呼を女王にしたという「後漢書」魏志倭人伝に記載されている邪馬台国の出現である。記録上日本で唯一女性が初めて国(小国)を治めたのである。
余談であるが、この時期の戦いは相手を完全に屈服させる必要はなかった。守る側も堀の中に立てこもり、相手が引き揚げて行くのを待つ。攻める側も、敵を包囲し、相手が音をあげて降伏して宝物を差し出すのを待つ。このようなかたちの戦闘が一般的であったろう。

と云うことで、世界平和を実現する早道は女を中心とする女系国家の育成と云うことになる。
したがって国連の安保理も紛争のゴタゴタにばかりでなく、男社会や暴力社会を追放することにも大いに首を突っ込むことが必要であるのかもしれない(ジョーク)。

ところで面白いことにミツバチやアリの社会ではオスは「タダやるだけ」しか甲斐性がない。仕事もしない厄介者として社会から抹殺されるようだ。

ハチやアリではコロニー(巣)の中には普段はメスしかいない。働きバチや働きアリもみんなメスだ。女王もメスで、オスの王はいない。アリの一部には体が大きく、戦闘や限られた仕事に特化した「兵隊アリ」と呼ばれる大型のアリがいる種があるが、もちろん兵隊アリもメスだ。

アリやハチの世界は完全な女系社会で、ミツバチの世界を舞台にした「みなしごハッチ」や「みつばちマーヤの冒険」と云ったアニメでは門番は男だが、そんなことは実際にはないのだ。

ミツバチのオスは新しい女王と交尾を行うごく短い期間だけに現れる。女王と交尾をすると交尾器の一部を女王バチの体に残して地面に落ちて直ぐに死んでしまう。
女王バチとの交尾に失敗していき残っているオスは働きバチから疎んじられて羽をかじられたり、追いかけまわされたりと厄介者扱いをされる。
そして1カ月余りの生涯ですることと云えば女王蜂を追っかけまわすぐらいで働きバチからエサを貰うか、巣の蜜を横取りし他はうろうろと走り回っている。
一方女王バチは20~30匹のオスバチから受け取った精液を体の中で生かし続けることができ、長い一生の間ずっとその精液を卵の受精に使うたくましさを持つのである。

これは家庭の中で居場所がなくなった男性を見ているようで身につまされる。家庭で掃除、洗濯、炊事は一切できないというよりチャレンジをしようともしない。せめてオスバチみたいに奥さんの尻を追っかけているなら存在感はみとめられるかもしれないがこれも面倒な話である。言ってみれば粗大ゴミ扱いされることを自ら宣言しているようなものである。

最後に、私は「働かないアリに意義がある」長谷川栄祐著を読むまで恥ずかしい話であるが、働きバチや働きアリはオスだとばかり思いこんでいた。男が働かなくてどうするちゅうの。私はもう一度生まれ変われるなら、今度は女に生まれるのもいいかなと思うが皆さんはいかがですか。




エッセイ:「シルバーの気概」

2011-12-27 16:40:44 | エッセイ
エッセイ:「シルバーの気概」
 2011.09

昨今TV放送でも涙の出るような話がいろいろある。加齢とともに私の涙腺のパッキンが摩耗してきたらしい。今朝(9/15)のNHK・TVの二つの報道でもほんとにうれしくて泣けた。政治もダメ経済もダメと言われる日本にあって、シルバー(高齢者)の気概と果敢な挑戦であり、他人様や社会のために役立ちたいと願う人が潜在的にいることを改めて知り嬉しく思うのである。

その報道の一つ:二歳の女の子が5階の高層住宅の窓から転落し、奇跡的にケガもなく助かったと。何が奇跡なんだ、視聴者としては早く結論を教えろという気持であるが、番組はマイペースである。関係者を登場させてストーリー通り順番に説明していくのである。
地面の回りに植え込みがありその上に落ちて、植え込みがクッションになって助かったのだろうと早合点をする。しかし画像からはクッションになるような植え込みも、砂場もないのだ。

インタビューに登場するのは72歳の男性である。彼は落ちた女の子が住んでいる向かいの棟に住んでいる。女の子の母親の大きな悲鳴を聞いて向かいの棟を見ると女の子がトイレの窓桟に両手でぶら下がって今にも落ちそうになっている。
男性はとっさに自分の奥さんに救急車を呼ぶように伝え、そして5階から階段を一目散に駆け下り反対側にある出口から現場の下に走った、その距離200メートル。
誰かが投げ落としてくれていたらしい布団が目に入った。近くに大人の女性が一人いたので布団の端を持ってもらいトランポリンのように広げたところに女の子が落下してきたと。
もう秒単位の対応であり男性が上を向いて女の子の位置を確認する暇もないうちに落下してきたと。女の子は落下すると直ぐに「お母さん」と泣いたのを聞いて男性は助かったのだと放心状態になったそうだ。
女の子は母親がうたた寝をしているすきにトイレに行き、ドアにカギがかかって出られなくなって、窓から身を乗り出したらしい。

体重11キロの子供が5階20メートルの高さから落下すると1トンの衝撃があるそうだ。布団のおかげで100キロぐらいになったのではないかと専門家は言う。

しかしこの72歳の男性の機転の早さ、体力はただならぬものがある。子供が桟にぶら下がって何秒持ち堪えられるか、せいぜい30秒ぐらいであろう。200メートルの平地でも普通の70歳代では30秒では走れないはずだ。しかも5階の階段を駆け下りての話である。
彼は走って行って何をしようとしていたのだろうか。下で落下してきた子供を受けとめようとしたのであれば一トンの衝撃で彼の命もなかったかもしれない。もしそこに布団がなかったら、相手の女性がいなかったら、悲惨な結果となっていただろう。ちなみに布団の持ち主は一枚ではダメだと思って追加の布団を自宅まで取りに帰っていたと。
よく「火事場のバカ力」と云うことが言われるがこれは当事者の話であり、他人の危機に際してそれ以上の行動を見事にやってのけたのである。

男性はホノルルマラソンなどに出場し、現在でも週に2~3度7~8キロを走っているそうだ。これらの努力によって72歳にして人生最高の大仕事をやり遂げたのである。本当に驚きであり敬意を表したいと思う。


その報道の二つ:福島第一原発の事故対応の長期化が予想される中、元技術者の山田恭暉氏(72歳)が発起人となって、収束作業に当たる「行動隊」結成を呼び掛けいる。建屋内の作業も念頭に置いているが、既に524人が参加を表明している。
「次の世代に負の遺産を残さないため」として原則60歳以上で現場作業に耐えられる体力、経験を条件に志願者を募った。そして「被爆の危険性が比較的少なく、技術も分かる自分達のような退役組こそ適任」という。

東大名誉教授、元自衛官、大型クレーン運転手、元溶接工、とび職など多彩な人材が名乗りを上げてきた。中には現役時代に各地の原子炉の施工、管理などに携わって、内部作業は手に取るように分かる人も参加している。
政府や東電から行動隊の計画が認められれば、実際の作業に備えて防護服などを着用して訓練をするという。

「シルバー原発行動隊」に参加する彼らは、先ず孫子の世代に付けを残したくない、一刻も早く事故収束を図るため現場に立ちたいという。残る余生を自分の持っている技術を役立てたいという意志を固め家族に伝えたのである。
その家族のさまざまな反応の中で本人の決意は変わらず、家族の理解を得たうえで参加しているのである。

もちろん日本は中国や北朝鮮とは違うので政府や権力者の意向は一切ない。ましてや、シルバーはのんびり年金暮らしをしていても誰からも後ろ指をさされないのである。いくらシルバーとはいえ放射能汚染された現場では取り返しがつかない結果を招く可能性は大いにあるのだ。しかも山田氏の呼び掛けに対してこれほど多くのシルバーが集まるのだ。映像でみている限りインタビューでも恐怖心や暗さは全くないどころか、やりたいことを待つ心境で生き生きとしている。

人間と云うのは不思議なもので誰かにやらされるという義務感ではこの表情は出ないと思う。シルバーと云えば太平洋戦争で焦土と化した日本の復興に身を粉にして頑張り世界の経済大国に押し上げた世代である。その彼らが今度は命を張って原子炉建屋に入って若者ばかりに苦労はかけられないと名乗り出たのだ。今回の東日本大震災は物心ともに多大の犠牲を出した。しかしながらこの不幸をもとにこれまでの日本を見直す前向き思考に捉えなければ問題の解決にならないと考えるがいかがだろうか。 
日本は活力を失った、若者には閉塞感が漂う、政治(家)はご覧の通り口ばっかりのアホばかり、せめてもの救いがシルバーの気概だろうか。




エッセイ:「真っ向勝負」

2011-12-27 16:37:25 | エッセイ
エッセイ:「真っ向勝負」
  2011.10

私はスポーツでもなんでも柔よく豪を制すとか、小男が大男をやっつけたりする人やチームが好きである。世間で言うところの覇者の常連や金銭でいい選手を抱え込むようなのはどうも好きになれない。
これまでどうもならなかった人が這いあがってくる、またはカムバックしてきた者に拍手を送りたい。
日本もこれだけ失速し、閉塞感が漂うとチョットいい話を聞いたりすると涙腺が熱くなったり、嬉しくなったり、元気を貰ったりするナーバスな今日この頃である。

朝日新聞(9/30)のコラムで読売会長の渡辺恒雄氏(85歳)のコメントがあった。「(交渉で)最初から妥協したらダメ」「大リーグとケンカしても、(出場を)やめるならやめてもいい。WBCに日本が付き合う必要はない。」とあった。                
そのコラムのコメントでは話の全容がつかめない。「何だろうな?」と眼をやるとコラムの最後に“→オピニオンコーナー”と記載があり内容を理解する。

WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)は2013年に第3回が28カ国の参加で開催される。日本など12カ国は予選が免除される。もちろん大リーグの傘下会社WBCIの運営である。

日本側は、日本代表チームのスポンサー料がそっくりWBCIに吸い上げられるという不平等な条件を飲まされておりこれに反対しているのである。第二回のWBCの大会総収益は1800万ドル、そのうち半分が日本のスポンサー料とみられている。総収益は各国に配分されているが、米国66%に対し、日本は13%に過ぎない。

サッカーであれば日本代表が受け取るスポンサー料が国際サッカー連盟に流れることはなくおかしな話である、としている。
もちろんWBCI側の言い分もそれなりにあるがここでは触れないでおく。

WBCIの9/30返答期限に日本側が読売の渡辺氏のツルの一声で「大リーグとケンカしても良い。WBCに付き合う必要はない」と返答したことはすごいこと、画期的なことだと思うのだ。今日本人でアメリカ相手にこんな言葉がはける腹の据わった日本人はまずいないだろうと思う。

戦後アメリカに洗脳されて政治、外交、安全保障、経済、文化、教育など骨の髄までしゃぶられ、無理難題を飲まされた日本である。

私は野球や新聞のなど読売の最高責任者としての渡辺氏の言動にはあまり好印象は持っていない。真偽のほどは分からないが、与野党大連立構想の立役者だったとも言われてきた。

1995年の日米自動車交渉を例に出して、通産省秘書官として携わったみんなの党の江田憲司氏は言う。米国は制裁をちらつかせながら、米国部品を何%使え、日本に米国車のディラーをこれだけ増やせと市場原理に反する数値目標を押しつけて来た。国際交渉では日本人特有の「謙譲の美徳」や「阿吽の呼吸」は通用しない。自らの言い分をストレートに主張することが大事であると。結局ハードルを高くしてきた米国がベタ下りして決着した。
そしてWBCの件は今後の対外交渉のモデルになるかもしれないという。

確かに日本人は生真面目、正直すぎるのであろう。交渉事でも相手に対しハードルを高くして吹っ掛けられず、また相手の吹っ掛けて来た条件の値踏みにも甘いと言われてきた。私の理解では交渉事でWIN-WINと云う言葉を使うようになったのも最近のような気がする。日本人は人の弱みに付け込むことが悪だと考えているのかもしれない。

大阪と違って(大阪のことは知らないがよく言われること)東京の人間は一般的に商品を買う際に値切ることをしない。売り手の側がディスカウントするのであって買い手の側が交渉で値切ることはしないのがほとんどである。
デパートで値切るなんて野蛮人のすることだとでもいうのであろうか。そういう私もデパートで値切ったことも、値切っている現場を見たこともない。デパートいうところは外商部が上得意の客には何%か割引をする程度の話であろう。

ところで9/2の朝日新聞で「スズキvs.独VW」「やらまいか」遠州人の気概―の見出しの記事を見つけた。インターネットで調べると「やらまいか」は誘うこと=やろう、という意味らしい。
「もう一緒にいてもお互い幸せになれない。別れよう」と云ったのだ。2009年に提携したスズキがVWに提携関係の解消を宣言している問題である。

鈴木修会長(81歳)は、VWも提携当初はスズキの独自の社風を理解していたが、次第に干渉の度合いを強めて来た。将来スズキの経営の足かせになるとしている。そして彼は「他社との提携は今回で懲りた」という。
一方VW側はスズキがフィアットからのエンジンを調達したことを契約違反であるとしている。
 
日本人はお人よしで契約・交渉事に弱いと言われてきた。何かしら面と向かっては自己主張が出来ないような気がする。私自身も気が弱くてとんとダメである。本音を言い腹の内を見せたくないのかもしれない。阿吽の呼吸で世の中が回っていれば問題ないのである。世界がグローバル化した現在ではもはやそれは許されない。うっかりそれをやれば命取りにもなりかねない。

黒船到来により、1858年日米修好通商条約を幕府は締結。そしてアメリカに治外法権、領事裁判権を認め、また「関税地自主権を日本が持たない」ということになった。そしておなじ条件で英、蘭、仏、露とも条約を結ばされたいわゆる「安政五ケ国条約」である。その後日本はこの不平等条約に苦しむことになるのである。そんなことになろうとは夢にも思わず幕府は締結したのであろうが。

皆さんもご存じの国連分担金は、2009年(米国22.0%、日本16.6%、独8.6%、仏6.3%、中国2.7%、ロシア1.2%、) 2011年(米国22%、日本12.5%、独8.0%、仏6.1%、中国3.3%ロシア1.6%)となっている。
日本はこれだけの分担金約400億円を支払いながら、国連での評価、存在感は一体何なのか。常任理事国の一方の雄として君臨する中国、ロシアの額の少なさは一体どういうことなのか。
経済力が基準になっているのであろうが、世界中にばらまいても余りある核兵器を所有し、宇宙開発でも有人衛星はおろか偵察衛星を打ち上げこし淡々と世界制覇を狙っているロシア、中国である。

たまには国連に対し不公平な基準を修正すべく支払い中止を含めて日本の立場を強く注文をつけたらいかがかなと素人なりに思うのである。

いずれにしても、交渉では当然のことながら腰が引けたら勝ち目はない。WBCにしても一回、二回の優勝国日本の不参加によるダメージが大きい。またスズキのVWとの提携解消にしても毅然と自己主張出来るためには自らの経営基盤がしっかりしていなくてはならない。これからのインド市場は中国並みに競争が厳しくなる。そこでスズキは自動車市場の40%を確保しているから強気で」出来るVWとの離別である。

渡辺恒雄氏、鈴木修氏は80歳を超える年齢である。世界の巨人=大リーグ、VWと「真っ向勝負」で渡り合っていくその気力と判断力に私は小気味良さを感じるのである。また言わせて頂くが、それに比べどうにもならないのが税金泥棒と云われてもしょうがない日本の政治家である。





エッセイ:「帰ってこーいよ」

2011-12-27 16:37:13 | エッセイ
エッセイ:「帰ってこーいよ」
 2011.10

私のエッセイを読んで下さる方で、米国よりロシア(旧ソ連)の方が好きだという方はおそらくいないだろう。それくらい日本人のロシアに対するアレルギーが根深いのは何に起因するのだろうか。
ロシアと日本の付き合いは江戸時代末期からで、ウラジオストックを根拠地とする東洋艦隊は冬には長崎に来航して将兵を休ませるのが慣例であった。厳冬のシベリアから見ると彼らは日本を「温暖な緑の楽園」と思ったに違いない。

明治に入りロシアの満州から朝鮮半島への南下政策に対峙して日露戦争(1894-1895)が勃発した。日露戦争は日本が戦勝国でもあり、ロシア・アレルギーの原因とはならないはずだ。むしろNHKの大河ドラマ「坂の上の雲」に取り上げられたように現在の国民にとっては近代日本を象徴する痛快な出来事であろう。

しかし、太平洋戦争では日本はこのソ連(ロシア)と戦い敗戦国となった。ソ連は戦ったというよりも日本の降伏のドサクサに紛れてやりたい放題やったのだ。
1945年8月9日(長崎原爆投下)に日本に宣戦布告(日ソ中立条約の破棄)、9月2日に日本が降伏文書に署名して戦争が正式に終結するまで約1カ月の間に満州国、朝鮮半島、南樺太、千島列島全域を占領した。
挙句の果てに公称76万人の日本兵や民間人を捕虜としてシベリア、モンゴル方面に抑留した。過酷、劣悪な環境と強制労働で捕虜の一割以上が死亡したと言われている。

私が小学生のころ、ラジオのスイッチをひねるとのべつくまなく、この抑留帰国者名簿が放送されていたのを思い出す。1947~56年にかけて47万3千人が帰国、抑留生活は最長11年に及ぶものだった。

ところで、日本とロシアは未だに日ロ平和条約が締結されておらず、形式上は戦争状態のまま放置されているである。
何がそうさせているのか、それは北方領土の返還の問題である。現在ロシアに占領されている北方四島(国後、択捉、歯舞、色丹)を日本は自国領土であるとして返還を求め、国後、択捉は千島列島(クリル)に含まれるロシア領だとする両国の対立である。
結論から言うと1951年サンフランシスコ講和条約では国後、択捉は千島列島(クリル)に含まれるか否かが曖昧なままであったことに起因する。

戦後ロシアとの北方領土問題交渉は一歩も前進していない。日本人は本気で四島の返還を望んでいるのだろうかと思ことがある。当たり前だよ、国民感情として誰もがそれを望んでいる、と言ってしまえばそれまでだが、私にはそう思えないのだが。

当時四島に住んでいた住民は生きていても超高齢になっている。望郷の念はあっても今さら島に移ってどうなるものでもないだろう。とすると島の利用価値としては当面は観光事業か漁業基地であろう。国境線が広がるわけだから漁業資源は豊かになる。天然資源の埋蔵はおそらく期待できないだろう。

それではロシアが国後、択捉の2島は千島列島であり自国領土だと言うものを日本が力づくで取り返せるものなのか。いや、出来るか出来ないかはやってみなきゃ分からないよ。まあこんな無責任な議論(あったか、なかったか?)が戦後70年間近く続いているのである。

ロシアと四島一括返還交渉を長年続けた結果が現在だ。これから何十年やっても結果は同じではないかと素人の私には思える。領土の帰属に関してはどちらの国民も「わが領土」と云うのは当然ではなかろうか。
韓国との竹島問題がいい例ではないか。あちらは岩礁ばかりの小さな島で、島そのものには何の価値もないと思える。しかし互いにわが領土であり、これに対して弱腰外交をすれば即座に首が飛ぶ。領土問題と云うものはことほど左様にナーバスなものである。

ロシアは歯舞、色丹の2島は直ぐ返還すると意志表示をしている。ならば返してもらえばいいと思う。しかし日本領土である国後、択捉の返還も引き続き話し合うことが前提だ。日本政府としては2島返還でロシアに「北方領土問題は決着済み」で逃げられるのを心配するのだろうが、そんなことを言っていたら未来永劫に歯舞、色丹さえも戻らないだろう。先ず2島返還をやってみて、ロシア国民にそれほどのリアクションがなければ次のステップへの道筋がつくのではないだろうか。それが現実を見据えた政治、外交交渉と云うものではなかろうか。

にっちもさっちも前に進まないロシアとの北方領土交渉、業を煮やして手を打った者がいた。それは二島先行返還論(歯舞、色丹)を推し進めた東郷ロ大使等である。
しかし、その後日本政府の四島一括返還方針に反して二島先行返還の二元外交を行ったとして東郷ロ大使らが処分された。それまで硬直化し進展しなかったこの問題に対し、鈴木宗男が介入し始めた1990年以降外務省がさまざまなアプローチを行った。それが2001年日ロ首脳会談でプーチン大統領による1956年の日ソ共同宣言の確認―平和条約締結後の歯舞、色丹の返還につながったことは間違いない。

日本の外務省がアプローチをしてくればロシアでなくても日本政府の意志だと思うのは当然であろう。そしてこの一件でロシアは日本の原則論ばかりでの対応に失望と疑念を抱いたことは間違いなく北方領土問題は振り出しに戻ったのである。

案の定、メドベージェフ大統領は2010年11月に北方領土・国後を訪問したのだ。日本側の強い抗議にもかかわらず実に冷たい反応を示しただけであった。すなわち、ロシア側が領土交渉の着地点としてきた歯舞、色丹の2島引き渡しまでも取り下げた可能性がある。

大統領は「日本はロシアとクリル諸島(千島列島)に対する理解を見直す必要がある」と語り、領土問題で原則論を繰り返す菅政権をけん制したのだ。

私は北方領土問題がつまずいてもいたくもかゆくもない立場の人間であり、
「ああ、そう」で済ませられる一国民である。しかしロシア、メドベージェフの動きに何が起こったのか、知りたいと思っていたところ、以下のような情報を得てこのエッセイを書くに至ったのである。

朝日新聞(10/4)の「ニュースを読み解くウエッブサイト」に元外務省主任分析官・佐藤優氏のコメント「プーチンが大統領に戻る理由」が例の大きな目の写真付きで掲載されていた。佐藤氏はロシア外交では右に出るものはいないと言われる人脈を含めてのロシア通である。

氏によるとこういうことだ。「統一ロシア」は党大会で2012年の大統領選挙でプーチンを大統領にメドベージェフ氏を首相に推薦すると述べた。すなわち現在の立場が入れ替わるということだ。この半年メドベージェフ氏とプーチン氏の間で深刻な権力闘争が展開されてきた。メドベージェフ氏はその闘いに敗れた。その理由は側近政治とポピュリズムに依拠した政治を行ったからだと。

その端的な例が昨年11月の国後島への訪問だ。国民やマスメディアは領土ナショナリズムに訴えるこの手法を歓迎した。日ロ関係を不必要に悪化させるポピュリズム外交に危惧を持ち彼は指導者として力不足だと言う認識が政治エリート(官僚、国会議員)、知的エリートに共有されたという。

プーチン氏が大統領に返り咲けば歯舞、色丹の返還交渉が具体化する可能性がある。また、日本への液化天然ガス(LNG)供給量を増大させる意向も表明している。日本が対ロ外交の態度を構築すれば、北方領土、経済の両面で来春以降、日ロ関係が急速に発展する可能性がある。と云うことである。

佐藤氏の言うようになれば日本人としてこんなうれしいことはない。また私達が存命の間に歯舞、色丹が帰ってくれば、人口減少、高齢化、経済失速などによる閉塞感を吹き飛ばしてくれる起爆剤の一つになるのではないかと期待している。
北方領土!「帰ってこーいよ」


* ポピュリズム(ラテン語、衆愚政治:複雑な政治的争点を単純化して、いたずらに民衆の人気取りに終始し、真の政治的解決を回避するもの)