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板の庵(いたのいおり)

エッセイと時事・川柳を綴ったブログ : 月3~4回投稿を予定

エッセイ:「村の掟・おきて(23)」2016.10

2016-10-10 16:00:19 | エッセイ
エッセイ:「村の掟・おきて(23)」2016.10



 この歳になって、人間の醜さ・をいやというほど目の前で見せつけられている。テレビのスイッチをひねれば都庁幹部職員の恥も外聞もない責任逃れの実態を報道している。まるでテレビの推理ドラマを見ているようだ。

 最もの悪い手法は、嘘をでっち上げて設計業者や外部の委託委員会に責任をり付けようとする責任転嫁である。その嘘のでっち上げがばれると、確信犯であるのにも関わらず、勘違いで間違であったとしゃーしゃーと訂正する。あろうことか、バレばれの新たな嘘でさらに誤魔化をろうとする、嘘が嘘を呼ぶのである。
 いみじくも今回は、責任をり付けられそうになった相手側からの反論により嘘が露見した。しかしことから、役人の世界では日常茶飯事であることがうかがい知れるのである。

 役人は責任を絶対に取らない、すべて責任は他人に押し付けるという話はよく聞いていたが、現実にそれを目の当たりにして驚いた。
 議事録や報告書のでっち上げは、馬脚を表さないように見事なまでのテクニックを駆使する。彼らに必要な情報開示を求めても個人情報にあたるなどとして真っ黒「」にして隠してしまう。
 一旦ことがばれそうになると、彼らは見事なまでに防衛本能が働き、皆が口車をあわせ、とぼけるのである。ほんまにトカゲの尻尾きりが上手な人種である。
 
 こんなところに飛び込んだ小池知事であるが、本来なら彼らは頼りにしたい部下のはずである。実際には退職者を含めて何らかの懲戒処分をするという。「情けない」「無責任」「開いた口が---」と言わざるを得ない知事は「無念」の気持ちだろう。

 小池知事が「何時」、「誰が」、「何の目的で」やったのかを調査させた結果は不明であった。おそらく「流れの中で空気のように」進んでいったのではないかとした。
 
 これは日本が太平洋戦争に突入していった経緯と類似しているとも言われる。しかし東京裁判では東条英機他のA級戦犯が戦争犯罪人として罰を受けたのである。
 豊洲市場の件も、実際にピンポイントにあたる人物を関係職員は特定できているはずである。

 日本人は、世間体、体面といったことを非常に気にする。時には、そのことにとって死さえ選ぶこともある。日本人は人に恥をかかせること、責任を取らせることには手を貸したがらない。手を貸せば回りまわって自らに火の粉が降り注ぎ、居心地の悪いことになることを危惧するからだろう。
 
 ルース・ベネディクト(「菊と刀」)は「日本は恥の文化、欧米は罪の文化」と表現した。日本人・都庁(役人)は、「恥」というものを根本に、西欧人は「罪」と「罰」を根本に善悪を判断するという。
 欧米の「キリスト文化」では、神との約束を守ること、契約社会であるから契約を
守ることが原則となる。破れば「罪」になり「罰」を受ける訴訟社会で成り立っている。要は善悪がはっきりしているのだ。
 
 一方、日本・都庁(役人)という村・社会では、他人に笑われたくない、恥をかきたくない、これが日本人の行動を規定する。正しいかどうかで行動を決めるのではなく、世間や組織がそれをどう思うかで、自分の行動を決めている。裁判でも示談などの和解例が多く争いごとを避ける。
 
 であれば、都知事が「何時」、「誰が」、「何の目的」で実行したかをピンポイントで探すことを内部調査に求めることは非常に困難と言わねばならないのではないか。

 極端なことを言えば、都職員は豊洲問題はたまたま小池知事によってもたらされた災難だとぐらいにしか思っていないかもしれない。舛添知事が継続していれば、あるは増田知事が実現していれば何の問題にもなりえなかったことだと。
 都知事の言う「都民ファースト」などと反省に浮かれていてはならないというのであろう。何といっても都職員の本音は、この村・社会の中で従来通り大過なく働き、かつ生活を守りたいだけだと。

 話がよれてしまったしまったようだ。


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