主人が認知症であることは前々から何回か書いたことがあります。もしこれが昔のように「痴呆症」という病名であったら私も安易に他人には言わなかったことでしょう。
現在のように「認知症」という言葉に改めることに力のあった長谷川一夫先生には感謝・感謝です。
先生はご自分の認知症を公表することで、世間一般の認知症に対する理解を深めることが目的であったそうです。
私も主人の認知症には物忘れがひどいことや、記憶力や判断力が衰えてきたことで気が付いていました。私自身も同じような状態ですから人の事は言えないのですが・・・・・。
私たちが居住する施設にいられる先生に「主人は自分が認知症だって気が付いていないのですが・・・・」 「あたりまえだよ」と先生。
長谷川先生がご自分の事を客観的に判断できるのは、長年の研究結果や冷静な判断力と知識の賜物だと思います。
認知症について読む方の人間としては、学識だけではなく経験に基づいての説には十分に納得できます。
とにかく認知症の状態を理解しようと努めていますが、本人が何を感じ何を思っているかについてはまだよくわかりません。
傷つけないようにだけ気遣ってもっぱら観察だけ。 現在のところは重症(家族としては軽傷と思いたいところです)ではないでしょう。
時々物忘れのひどさには驚かされます。そのうちに「君は誰?」と聞かれるのでは!
ただ恵まれているのはケアは十分にやっていただき、栄養のバランスも取れており、本人は思い煩うことから解放され、むしろ一般居住者より5,6歳は長命のケースが多いそうです。
私もエゴの強い人間ですから出来るだけ負担を感じたり不満の無い様に暮らすことを心がけています。その結果は呑気になって肥りました。
未亡人になっている方が「主人が亡くなったら本当に寂しいものよ。だから大事にしなさい」と言われます。
TVを見ていても一緒に笑ったりできない、一人で壁に向かって味わう侘しさ、何事にも共感を求められない、心から自分の味方になってくれる存在etc.etc.
ふーん、現在のところ私は全く寂しくない。もしかしたら部屋中に主人の描いた油絵が飾ってあるのでそのせいかもしれません。
私のプリザーブドフラワーやアートフラワーも飾ってあります。
下の粘土細工は主人のお手製。 二人とも色々と手作りのものをたくさん作りました。 これからは整理をしなくては・・・・。
死の準備です。