アイ!サラマッポ in バギオ

フィリピン人介護者のケアを受けながらの、フィリピンでのインディペンデント・リヴィング…、心の赴くまま、ここに記します。

フィリピン残留日本人-今もなお戦争の爪痕が…。

2009-03-28 20:54:24 | フィリピン-バギオ

  25日「フィリピンの日系二世の方6人が、東京家裁の出した、日本の戸籍記載不許可決定を不服として東京高裁に抗告。」というニュースがありました。
 太平洋戦争以前の、平和でフィリピン社会の繁栄にも貢献してきたであろう日本人移民の父親と、フィリピン人の母親との法律上の婚姻関係を裏付ける証拠がない、というのが最大の決定理由だそうです。

 しかし、フィリピンには中国とはまた違った特別な事情と歴史的な背景があります。太平洋戦争前後の混乱で戸籍に記載されなかったことや、戦後も、旧日本軍に徴用された日本人、日系二世の人たちは、反日感情による日本人迫害、報復という極めて厳しい環境の中で、日本姓を隠し、日本人の血筋であることを証明する書類や写真等もすべて処分せざるを得なかった、そうしなければ生き延びることさえ難しかったのです。
 戦前、多くの日本人が移住し、地域社会に貢献していた平和な日本人コミュニティが存在したミンダナオ島ダバオ市、そしてここバギオ市においても、日系人二世、三世、四世…の人たちが、堂々と日本姓を名乗ることができるようになったのは、つい最近のことなのです。バギオ市のお祭りのパレードに、日系人や日本人の一団が参加すると、地元のイロカノ語で罵声が飛ばされた、ということもつい数年前まであったそうです。
 だから、戦後63年以上経過した今でも、フィリピンには歴史の中で取り残され忘却されつつある残留日本人の問題がくすぶっているのだと思います。

 今回の「子供の頃に覚えた漢字が書ける、日本の歌(小学校唱歌・愛国行進曲)も歌える…。」という日系二世の6人の方の訴えを、確たる証拠が必要…と杓子定規にとらえて判断されたこの日本戸籍記載不許可の決定は、東京高裁で覆されることでしょう。そうでなければ、あまりに悲しすぎる…。6人の方は、当然、皆かなり高齢です。今回のような不許可決定は初めてのケースだそうです。

 そうした、戦時中、戦後のフィリピン社会において、日本国籍未取得の日系二世の支援活動をされているのがNPO法人フィリピン日系人リーガルサポートセンター(通称PNLSC)」です。現地で活動されている方のお話を伺ったこともありますが、その当人のところに赴き、記憶も薄くなりつつある高齢の方の話を聞き、証拠となり得そうなものを探す…。それは、地道で根気のいる、大変な作業だと感じました。
 
フィリピンの日系人、残留日本人の歴史的経緯と実情の研究が大変詳しくまとめられています。↓(このページから)

 http://blog.livedoor.jp/japanese_pioneers/archives/27555011.html

  

 昨日はお昼過ぎから、久しぶりの豪雨でした。周囲の音もかき消されるほどの激しい雨が2時間ほども続きました。そして、「ドカーン」「ズシーン」といった鈍い雷の音も、すぐ近く…というより周囲の至る所に響き渡っていました。
 日本では思わぬ春の寒波の到来に桜の花も戸惑っているようですが、天気予報では、ここバギオでも、この時期には珍しいまとまった冷たい雨が2、3日続きそうです。



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