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アンドレイ・ブキン氏インタビュー・その2

2015年08月29日 | ステブキだばーい
アンドレイ父さんのインタビュー第2弾です。ワーニャの子どもの頃の話がたくさん!

A: アンドレイ・ブキン

あなたはそうしたことについて、息子さんと話したことがありますか? 彼に、金メダルはそれに値する物だと説明したことがあるでしょうか? それとも、多くのフィギュアスケーターのように、自分の子どもには競技をしてほしくないと思っていましたか?

A: 正直なところ、フィギュアスケートは最初、息子自身にとっても、私と妻のレーナにとっても苦役でした。スケートは全くやりたがらなかったのです。けれども彼のおばあちゃんが、私たちの反対にもかかわらず、彼にフィギュアスケーターになるようにと言ったのですよ。

イワンは練習に行かなくてすむよう、あらゆることをやりましたね。プールへはすっ飛んで行くというのに、スケートリンクに行く時間になると、たちまち頭やお腹や喉が痛くなってくるのです。最初に改善が見られたのは、私たちが皆いっしょにラトビアに合宿に行った時でした。ワーンカは10歳でしたが、練習のときに突然、全てのダブルジャンプを跳ぶことができたのです。フィギュアスケートの基準では、これはとても遅いです。男の子たちは10歳にもなれば、もう全てのトリブルジャンプを跳んでいますからね。けれどもそんなことは問題ではありませんでした。彼が興奮しているということが、その瞳から見て取れました。彼はその達成感が好きだったのです。この時から、息子は練習にもっと熱心に取り組むようになりました。

もう一つの問題は、彼がそもそもシングルスケートには向いていないということでした。転倒するのを怖がり、そのために難しいジャンプに進むことができなかったのです。もっと正確に言えばジャンプを跳びはしたのですが、回転不足で両足着氷になっていました。けれどもアイスダンスでは、彼はうまくやることができたのです。彼の最初のコーチだったアンドレイ・オレコフは、最初から基礎をとてもよく教えてくれていました。基礎を教えるのは難しいことで、ジャンプの習得を急いではいけないのですよ。けれどもそのおかげで、ワーンカはジャンプは得意ではありませんでしたが、いつもとても速いスピードで滑ることができたのです。

そのため、イワンをレーナ・イリニフと組ませる話を頂いた時に、私たちはすぐに承諾したのです。このような申し出は二度とないかもしれないと思っていました。女の子に対してどのような態度を取ればよいのかも分からず、まして触ることなど考えられないような男の子が、あのように素晴らしいダンスパートナーと組めるなんて、とね。イリニフは10歳の頃から、凄いパートナーだということが明らかだったのですよ。

最初、私が3ヶ月ほど2人と練習していたのですが、レーナの母親が私のことを気に入らなかったのは分かっています。彼女は私が彼女の娘に注意を払っていないと思っていたのです。けれどもその当時、私がイワンに一生懸命教えようとしていたのは「パートナー」になるということ、ただ顔を赤くしたり青くしたりしながら女の子の前に突っ立っているのではなく、彼女と一緒にスケートをしてエレメンツをこなすことができるようにすること、だったのですが。
イリーナ・ジュークとサーシャ・スヴィーニンがレーナとワーニャを彼らのグループに入れてくれて、2人をペアに仕立ててくれたことに、私は今までずっと感謝しているのです。

2人はなぜ解散したのですか?

A: レーナの母親はいつも、コーチが2人に十分な注意を払っていないと思っていました。実際、それは普通のことです。イーラとサーシャはトリノオリンピックに向けてヤナ・ホフロワとセルゲイ・ノビルキーの準備をしているところで、彼らとの練習にほとんどのエネルギーを注いでいて、ジュニアのための時間はあまり残っていないというのは明らかでしたからね。けれどもリーリャ(イリニフの母親)は他のコーチへの変更を言い出したのです。レーナとワーニャの2人一緒にね。私たちは断りました。率直に言って、より好ましいコーチの「選択肢」があるとは思えませんでしたから。私がジュークとスヴィーニンの仕事ぶりを常に気に入っていたのは言うまでもありません。

それで、息子さんに別のパートナーを探さなければならなかったのですね。

A: そうです。それは思ったより難しいということが分かりました。レーナが離れたのは9月16日です。イワンの誕生日なので覚えているのですがね。そしてサーシャがやってきたのは2月でしたから、数ヶ月もの間、パートナーを探していたことになります。その時はサンクト・ペテルブルクの友人から電話をもらって、ちょうどいい女の子を知っていると言われたのです。彼は私たちにステパノワを見てみるようにと言いました。




練習に行きたくなくて仮病を使うとか、ジャンプで転ぶのが怖いとか、女の子に慣れていなくてドギマギしっぱなしだったとか、ワーニャ少年かわいすぎる(笑)。
それはそうと、お父さんに練習見てもらっていた時期もあったんだ!




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