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アンドレイ・ブキン氏インタビュー・その1

2015年08月28日 | ステブキだばーい
バイツェホフスカヤさんによる、アンドレイ父さんの長い長いインタビューが来ました!
ご自身の現役時代の話から最近のアイスダンスシーンについて、それからもちろんご子息のイワンくんのことなど
興味深い話がいっぱい!

とても長いので、ちょっとずつ載せて行こうと思います。

(A: アンドレイ・ブキン)

アンドレイ、あなたはキャリアを通じて世界チャンピオンに4回、ヨーロッパチャンピオンに5回なり、サラエボ五輪では銀メダル、カルガリー五輪では金メダルを獲得しています。それでも以前私に、競技よりもショーのほうがわくわくすると言っていましたね。

A: それは本当ですよ。

メダルの他に、競技から得たものは何でしょう?

A: 人生における最大の教訓は、競技自体からではなく、タチアナ・アナトリエヴナ・タラソワと一緒に仕事をしたことによって得られたものですね。彼女がいなければ、私のスケートのキャリアは1976年に終わってしまったかもしれません。ナターシャと私は毎日10時間も練習していました。毎日練習が終わると、ほとんど倒れそうになっていましたよ。その時に私が学んだのは、まず第一に忍耐、そして自分のエネルギーをもっとも合理的な方法で配分するということでした。ショーの仕事は1989年からやっていますが、今まで私が氷の上でやってきたことはすべて、以前と同様に練習であり、基礎なのです。
その基礎がなければ、私は自分の芸術におけるキャリアをずっと昔に終えてしまっていただろうと思います。もちろん、私の脚は昔と同じではありませんが、それでも今も動いているでしょう? 私は、人々がショーに来てくださるのが好きですし、プロフェッショナルな人々と一緒に仕事をするのも好きなのです。そもそも、私は自分の仕事を喜んでやっている人たちを見るのが好きなのですよ。残念なことに最近では、演技や競技を楽しんでいると言えるスケーターはあまりいませんね。

あなた自身は、ベステミアノワと滑っていたとき、楽しんでいたのですか?

A: キャリアの終盤のころには・・・はい、と言えますね。最初の頃は、何事もいっぱいいっぱいでした。

現役の頃、なぜこんなことをしているのだろうと自問したことはありますか? 厳しい練習、痛み、ストレス、時には侮辱されることさえありますが、これらは何のためなのでしょう?

A: 1位になるためですよ。

タチアナ・アナトリエヴナがいつも意識していたのは誰でしたか?

A: 彼女も私もナターシャも、全く同じ考えを持っていました。私たちがようやく国内第3位のチームになろうかという時には既に、自分たちがジェーン・トーヴィルとクリストファー・ディーンから大きく遅れてしまっているということを意識していましたね。彼らと戦うことを考える以前に、私たちは国内から抜け出すために、あまりにも多くのエネルギーを使ってしまっていたのです。




「ショー」という言葉を使いましたが、元々は「театр(劇場)」と言っています。ベステミアノワ&ブキン組が彼女のご主人のボブリンさんと一緒にやっているショーは、各スケーターが自分の持ちプログラムを滑るパートと、ストーリーのある作品を演じるパートとの2部構成になっていて、まさに氷上の「劇場」。「白鳥の湖」とか「スパルタクス」とかをレパートリーに持っているのだと聞きました。もちろん「カルメン」も!
韓国へはほぼ毎年ツアーに来てますよね・・・昔は来日公演もあったそうですが。
何年か前に麗水で万博があった年にはステパノワちゃんブキンくんとヤグディンさんとがゲストに来ていたので、万博を口実にしてこっそり行ってしまおうか・・・と割と真剣に検討したこともありました(笑)。結局実現しませんでしたけど。

それにしても、元生徒さんたちがタラソワさんに向ける感謝の言葉にはほっこりさせられます。







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