我が胸の
燃ゆるお思いいくらぶれば
煙は薄し桜島山
15年くらいぶりに鹿児島市へ行きました。
ぼくが小、中、高校時代に住んだ街です。
桜島を見ながら、爆発で降る火山灰を浴びながら大きくなったぼくですが、
この桜島、最近はあまり爆発はしないそうです。
変わっていました。
駅が、街が、変わってました。
鹿児島中央駅(旧西鹿児島駅)は新幹線がつながり、大きな駅ビルができ、
駅近くの僕の住んでい木造の家は駐車場になってた。
小さいころに走り回った西口の変わりようといったらすごく、
新幹線がまっすぐ伸び近くの山に突き刺さってます。
駅に隣接しているJR九州ホテル鹿児島に泊まって、部屋の窓から見下ろすと、
ちょうどぼくの育った駅の裏が見えて、、、
昔の記憶に残る景色と、今の新幹線と新しく建ったビル郡が重なって、
ワイキキも変わったが、この田舎とバカにしていた鹿児島がこう変わり、
浦島太郎の話しはやっぱり実話だろうと実感したのでした。
それこそ何十年ぶりに親子水入らずの2日間を過ごしたかあちゃんが
実家の志布志から市内(鹿児島市)へ行こうと言ってくれて、
かあちゃん、ありがとう。
ホテルのチェックイン時、フロントのお姉ちゃんがくれた部屋、
駅裏側全望のホテル最上階(といっても10階くらいなもの)の最高の部屋で、
ぼくがこんなに感動したなんて、知る由もないでしょう。
フロントのお姉ちゃんありがとう。
大きく変わった鹿児島中央駅(ぼくにとっては西駅)に変わってないもの発見。
こむらさきというラーメン屋さん、
小さい頃から母が連れられてきていた、こむらさき。
天文館にあるお店だけでなく、この駅ビルにできたアミュプラザというテパートに支店を出してました。
綺麗な内装、都会のラーメン屋さんに変身していました。
昔は家族でやってたような感じだったけど、この支店のスタッフはアルバイトのような若いコばかり。
でも、味は昔のままだった。
美味しかった。「もう一杯」といいたくなった。
でも、血圧上がるかなと思いやめました。
食べ終わって、後ろの厨房を覗くと、
若いスタッフの中に、30年前も同じ手つきで麺の水を切ってたあのおばちゃんがいた。
おばちゃんはおばあちゃんになって、若者に麺をゆでる指導をしていました。
「あ、かあちゃん見て。味がかわらんはずやっど!あのおばちゃんがまだおっどぉ。」
そんなことを言いながら、となりの母を見ると、
皿にラーメンがまだ半分以上残ってます。
小さい頃、ぼくが半分も食べないうちに母はもう皿を空にして、
待ってる次ぎの客に悪いと、さっさと席を立ってしまうほど早かったのに、、、。
こんなにゆっくりラーメンを食べるようになったんだね。かあちゃん。
でも時間かかっても全部食べた。
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aloha