先の岐阜県弁護士会の会報8月号で、靖国神社参拝と
知覧の特攻平和会館について書きました。
原稿を友人の平井弁護士に見せたところ、「私は、同期の桜の歌は嫌いです」と言われてしまいました。
平井先生には先生なりの嫌いな理由があるのでしょう。
江田島(えたじま)海軍兵学校
と 夕焼けの空
しかしながら私は詩人、西條(さいじょう)八十(やそ)が作詞した
「同期の桜」三番
“貴様と俺とは同期の桜
同じ航空隊の庭に咲く
仰いだ夕焼け
南の空に
いまだ還らぬ一番機”
の歌詞が好きである。
歌っていると胸にせまるものがあり、ジーンとくるのです
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
「特攻機」というのは、飛び立ったら敵艦に体当たりするのが使命ですから、この歌の「未だ還らぬ」一番機は特攻機ではありません。
兵学校というからには「江田島(えたじま)海軍兵学校」のことでしょうが、
通常「一番機」は航空作戦編隊のリーダー機です。
それが敵艦隊か敵編隊機に撃墜されてしまったのか、祈る気持ちで南の夕焼け空
を仰いでも帰ってこない。
私は昭和16年12月16日「戦艦大和」が広島県、呉(くれ)の港に竣工(しゅんこう)した日に
「生めよ、増やせよ、皇国の兵士のために」生まれました。
生まれるのがもう少し早かったら、(運動能力は人一倍あったことゆえ)
青雲の志をいだいて
「七つボタン・予科(よか)練(れん)の歌」にほだされて、
霞ヶ浦(かすみがうら)(茨城県)の海軍飛行予科練の飛行場に入ったと
思います。
お国の為に「特攻隊」要員とされれば敵艦めざして突撃していたであろうし、
空中戦にあっては、まっ先に、敵陣営に突っ込む「一番機」を志願していたであ
ろうとおもわれます。
だから、時がうつった今であっても、「一番機」に乗りこむ男の気持は痛いほどよくわかります。
「帰ってきてくれ」と祈る、の一番機が、仰いだ夕焼けの空に未だ帰ってこない。
友を思うそのせつせつたる気持はこの歌から伝わってきます。
これは、『逝った同期』を偲ぶ歌であり、『帰らざる同期』の青春を悼む歌でもあるのです。
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