弁護士美和のブログ つづりまとめ

 弁護士 美 和 勇 夫

帰らざる青春  “ 同期の桜 ”

2021-09-22 16:17:30 | Weblog

先の岐阜県弁護士会の会報8月号で、靖国神社参拝

知覧の特攻平和会館について書きました。

原稿を友人の平井弁護士に見せたところ、「私は、同期の桜の歌は嫌いです」と言われてしまいました。

 

平井先生には先生なりの嫌いな理由があるのでしょう。

 

 

 

                                                                                 江田島(えたじま)海軍兵学校

                      と 夕焼けの空

 

 

しかしながら私は詩人、西條(さいじょう)八十(やそ)が作詞した

同期の桜」三番

 

  “貴様と俺とは同期の桜

   同じ航空隊の庭に咲く

 

     仰いだ夕焼け

      南の空に

       いまだ還らぬ一番機”

 

の歌詞が好きである。

歌っていると胸にせまるものがあり、ジーンとくるのです

 

♢   ♢   ♢   ♢   ♢   ♢   ♢

 

特攻機」というのは、飛び立ったら敵艦に体当たりするのが使命ですから、この歌の「未だ還らぬ」一番機は特攻機ではありません。

 

兵学校というからには「江田島(えたじま)海軍兵学校」のことでしょうが、

通常「一番機」は航空作戦編隊のリーダー機です。

 

それが敵艦隊か敵編隊機に撃墜されてしまったのか、祈る気持ちで南の夕焼け空

を仰いでも帰ってこない。

 

 

私は昭和16年12月16日「戦艦大和」が広島県、呉(くれ)の港に竣工(しゅんこう)した日に

生めよ、増やせよ、皇国の兵士のために」生まれました。

 

生まれるのがもう少し早かったら、(運動能力は人一倍あったことゆえ)

青雲の志をいだいて

「七つボタン・予科(よか)練(れん)の歌」にほだされて、

 霞ヶ浦(かすみがうら)(茨城県)の海軍飛行予科練の飛行場に入ったと

 思います。

 

お国の為に「特攻隊」要員とされれば敵艦めざして突撃していたであろうし、

空中戦にあっては、まっ先に、敵陣営に突っ込む「一番機」を志願していたであ

ろうとおもわれます。

 

だから、時がうつった今であっても、「一番機」に乗りこむ男の気持は痛いほどよくわかります。

 

 

 

 

「帰ってきてくれ」と祈る、の一番機が、仰いだ夕焼けの空に未だ帰ってこない。

友を思うそのせつせつたる気持はこの歌から伝わってきます。

 

これは、『逝った同期』を偲ぶ歌であり、『帰らざる同期』の青春を悼む歌でもあるのです。

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