つまるところ、光秀は信長を討つことに場当たり的に成功し、三日後には安土城を占拠したものの、
その後の政権の構想が たてられておらず、だれも光秀に付かなかった。
頼みの「細川藤高」にも逃げられたし、信長打倒の黒幕といわれている「朝廷」「幕府」など、だれも
『光秀の天下どり構想』に加担していない。
ということは、光秀の一人相撲だったことになる。
結局、十数日の「天下とりそこない」でおわり、秀吉が漁夫の利を得ただけとなった。
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