神は愛 白髪は美の冠 白髪は輝く冠 

聖書の音信、日々のニュース関連を書いています。

あなたも神と親しくなれます~聖書~

2019年01月30日 | 日記

 

「あなたも神と親しくなれます」

>>神と意思を通わせますか<<


親しい友人同士は,直接会ってであれ,電話やメールやビデオあるいは手紙によってであれ,
事情が許す限り頻繁に意思を通わせるものです。
ですから,神と親しくなるのにも,神と定期的に意思を通わせる必要があります。
では,どのようにしてそうできるでしょうか。

わたしたちは「祈る」ことによって神に話すことができます。
しかし,神への祈りは,仲間とのくだけた会話と同じようなものではありません。

わたしたちは,人間を創造した,宇宙で最も偉大な方に祈っている,ということを認識しなければなりません。
そういう認識があれば,「深い崇敬の念を抱いて」祈るはずです。

また,神に聞き入れていただくには,幾つかの条件にかなった祈りをささげる必要もあります。
そのうちの3つを挙げましょう。

第1に,祈りは,イエスや“聖人”あるいは像にではなく,神(ヤハウェエホバYHWH)にのみささげるべきです。

「あなたは自分のために刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの下は地にあるもの
また地の下の水のなかにあるもののどんな形をも造ってはならない。
それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神主であるわたしは
ねたむ神であるからわたしを憎むものは父の罪を子に報いて四代に及ぼす」
(出エジプト記 20:4,5)

聖書には はっきりと,「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、
あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい」と述べられています。
(フィリピ・ピリピ 4:6)

第2に,祈りは,神の子イエス・キリストの名によってささげなければなりません。
イエス自身が,「だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」と説明しているとおりです。
(ヨハネ 14:6)

第3に,祈りは,神の意志と調和したものでなければなりません。
「わたしたちが何事でも神の御旨に従って願い求めるなら神はそれを聞きいれて下さるということである」
(ヨハネ第一 5:14)
と聖書は述べています。

言うまでもなく,親しい人同士であっても,一方が話すだけで,もう一方が聞くだけなら,その関係は長続きしません。
神との関係も,友達同士が相互に意思を通わせるのと同じように,神に話していただくようにし,
その言葉に耳を傾けるべきです。
あなたは,神がどのように話してくださっているか,ご存じですか。

今日,神様は書き記させた言葉『聖書』を通して“話して”おられます。

「聖書はすべて神の霊感を受けて書かれたものであって人を教え、戒め正しくし義に導くのに有益である。
それによって神の人があらゆる良いわざに対して十分な準備ができて完全にととのえられた者になるのである」。
(テモテ第二 3:16,17)

なぜそう言えるか,例えで考えてみましょう。
親しい友人からの手紙を受け取り,それを読んだあと,興奮気味に他の人に,
「友達がこんなこと言ってる」と言うかもしれません。
とはいえ,そのコミュニケーションは声ではなく文字によるものでした。
同様に,あなたは聖書を読むことにより,いわば神(ヤハウェエホバ)に話していただくようにしているのです。





     




明石市長の「暴言」~聖書はどのように述べているでしょうか

2019年01月30日 | 日記

明石市長について


これまでとても市民よりで、子育てに力を入れていた市長

市長は、これまでの何年間、市民のために尽くしてきました

等々

擁護する人多いですが

 

聖書は、どのように述べているでしょうか

 

しかし、正しい人でも、その正しさから離れて不正を行い、悪人がするようなすべての忌まわしい事を行うなら、彼は生きることができようか。
彼の行ったすべての正義は思い起こされることなく、彼の背信の行為と犯した過ちのゆえに彼は死ぬ。
それなのにお前たちは、『主(神)の道は正しくない』と言う。聞け、イスラエルの家よ。わたしの道が正しくないのか。正しくないのは、お前たちの道ではないのか。
正しい人がその正しさから離れて不正を行い、そのゆえに死ぬなら、それは彼が行った不正のゆえに死ぬのである。
聖書(エゼキエル18:24~26)


さて、義なる者がその義を離れて、実際に不正を行なうとき、すなわち彼が邪悪な者の行なったすべての忌むべきことにしたがって事を行ない、
そして生きているとき、彼の行なったそのすべての義なる行為は何一つ思い出されることはない。
自分の犯した不忠実と自分の犯した罪とのために、そのために彼は死ぬであろう。
そして,あなた方は必ず言うであろう、「神(エホバ、ヤハウェ)の道は正しく調整されていない」と。イスラエルの家よ、どうか、聞くように。
わたしの道は正しく調整されていないのか。あなた方の道が正しく調整されていないのではないか。
義なる者がその義を離れて、実際に不正を行ない、それゆえに死ぬとき,彼は自分の行なった不正のために死ぬのである。
聖書(エゼキエル18:24~26)

 

 

わたしが正しい人に、『あなたは必ず生きる』と言っても、もし彼が自分の正しさに拠り頼み、不正をするなら、
彼の正しい行ないは何一つ覚えられず、彼は自分の行なった不正によって死ななければならない。
わたしが悪者に、『あなたは必ず死ぬ』と言っても、もし彼が自分の罪を悔い改め、公義と正義とを行ない、
その悪者が質物を返し、かすめた物を償い、不正をせず、いのちのおきてに従って歩むなら、彼は必ず生き、死ぬことはない。
彼が犯した罪は何一つ覚えられず、公義と正義とを行なった彼は必ず生きる。
あなたの民の者たちは、『主(神)の態度は公正でない』と言っている。しかし、彼らの態度こそ公正でない。
正しい人でも、自分の正しい行ないから遠ざかり、不正をするなら、彼はそのために死ぬ。
聖書(エゼキエル33:13~18)


わたしが義なる者に、「あなたは必ず生きつづける」と言うのに、彼が自分の義に実際に依り頼んで不正を行なうなら、
彼の義なる行為はどれも思い出されることなく、その行なった不正のために ― そのために彼は死ぬであろう。
また、わたしが邪悪な者に、「あなたは必ず死ぬ」と言うのに、彼が実際に自分の罪から立ち返って公正と義を行ない、
そしてその邪悪な者が質物を返し、奪い取った物を返還し、不正を行なわずに命の法令によって実際に歩むなら、彼は必ず生きつづけるであろう。彼は死なない。
彼が犯した罪はどれも彼に対して思い出されることはない。公正と義を彼は行なったのである。彼は必ず生きつづけるであろう。
そして、あなたの民の子らは、『神(エホバ、ヤハウェ)の道は正しく調整されていない』と言った。しかし彼らについては、正しく調整されていないのは彼らの道である。
義なる者がその義を離れて、実際に不正を行なうなら、彼も必ずそのために死ぬ。
聖書(エゼキエル33:13~18)

 

 

 

 

 

 

口から出るものは心から出て来るのであり,それが人を汚します。たとえば,心から,邪悪な推論,殺人,姦淫,淫行,盗み,偽証,
冒とくが出てきます
聖書(マタイ書15:18.19 マルコ書7:21.22)


舌も体の小さな部分ですが、大いに自慢します。ご覧なさい、ごくごく小さな火が何と広大な森林地帯を燃え上がらせるのでしょう。
それで、舌は火なのです。舌は、私たちの肢体の中で不義の世界をなしています。
それは全身に汚点をつけ、生まれついた人生の車輪を燃やし、自らもゲヘナ(ヒンノムの谷のヘブライ語::火の燃える場所)に、よって燃やされるのです。
人間は、あらゆる種類の野獣、及び鳥、はうもの、また海の生き物をならして従わせますし、実際従わせてきました。
しかし舌は、人類の誰もこれを従わせることができません。御しがたい、有害なものであって、死をもたらす毒で満ちています。
聖書(ヤコブの手紙3:5~8)

 

過去は過去、大事なのは現在(いま)