2022-10-22 17:の再掲
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隆盛(栄華)を極めたエジプトの荒廃の予告 ~ 聖書
私は,エホバの証人ではありませんが,時々,
エホバの証人より配布いただいてる,「目ざめよ」誌・「ものみの塔」誌,パンフレット等
より引用の記事もあります。
(どこの宗教,宗派にも属していません)
*いろんな宗教にも交わりました(立正佼成会,創価学会,キリスト教のカトリック,
プロテスタント等)
その中で,聖書に忠実に教えてるのは,エホバの証人と思います。
エゼキエル 29章1~16節では,40年間続くことになっていたエジプトの荒廃が予告されています。その荒廃はネブカドネザルによるエジプト征服後に起きたのかもしれません。
幾つかの注解書は,ホフラの後継者アマシス(アハモセ)2世の治世を40年余にわたる非常に繁栄した時期として指摘していますが,その注解は主として,100年以上も後にエジプト
を訪れたヘロドトスの証言に基づいたものです。
しかし,ブリタニカ百科事典(1959年,第8巻,62ページ)がその時代(“サイス時代”)に関するヘロドトスの歴史について注解している通り,「彼の陳述は確認しようにもその当時から
の証拠はほんのわずかしかないので,完全に信頼できるというわけではない」のです。
F・C・クックの著わした聖書の「注解」は,ヘロドトスがネブカドネザルのエジプト攻撃に言及してさえいないことを指摘した後,こう述べています。
「ヘロドトスはエジプトで見聞きした事柄をすべて忠実に記録してはいるが,過去の歴史に関する情報をエジプト人の神官から受けていたことは周知の通りである。
彼は神官の話を盲目的に信じて受け入れたのである。……アプリエス[ホフラ]とアマシスに関するヘロドトスの話全体は,一貫性のない伝説的な事柄が余りにも混じり合っているため,
信ぴょう性のある歴史として受け入れることをためらうのはもっともなことであろう。
異国のくびきに服させられたという国家的に不名誉なことを神官たちが覆い隠そうとしても,それは決して不思議なことではない」。(132ページのB項。)
したがって,この預言の成就に関して,一般の歴史が明確な証拠を全く提供していなくても,聖書の記録が正確であることを確信して差し支えないでしょう。
『第十年の第十の月の十二日に、主(神)の言葉が私に臨んだ。「人の子よ,あなたの顔をエジプトの王ファラオに向け,彼とエジプト全土に対して預言し,語りなさい。
主なる神はこう言われる。エジプトの王ファラオよ,私はあなたに立ち向かう。ナイル川に腹ばう大きな鰐(ワニ)よ,あなたは『ナイル 川は私のもの私がこれを造った』と言っている。
私はあなたの顎に鉤をかけ,ナイル川の魚をそのうろこに付け,うろこに付いているナイル川のすべての魚と共に,あなたをナイル川から引き上げ る。
私はあなたとナイル川のすべての魚を,荒れ野に捨てる。あなたは野の面に倒れ,集められることも、葬られることもない。私は,野の獣と空の鳥に,あなたを餌食として与える。
こうして,エジプトのすべての住民は,私が主(神)であることを知るようになる。あなたはイスラエルの家にとって,葦の杖にすぎないからである。彼らがその手であなたをつかむと,
あなたは折れ,彼らの肩をことごとく傷つける。
彼らがあなたに寄りかかると,あなたは砕け,彼らの腰をこと ごとくよろめかせる。それゆえ、主なる神はこう言われる。私はあなたに対して剣をもたらし、あなたの中から人も家畜
も絶ち滅ぼす。
エジプトの地は荒れ果てて廃虚となる。こうして,彼らは私が主(神)であることを知るようになる。あなたが,『ナイル川は私のもの,私がこれを造った』と言ったからである。
それゆえ,私はあなたとあなたのナイル川に立ち向かい,エジプトの地をミグドルからセベネ,さらにクシュの境まで廃虚とし,完全に荒れ果てた地とする。
人の足はそこを通らず,家畜の足もそこを通らず,四十年間,住む者はいなくなる。私はエジプトの地を,荒れ果てた国々の中で最も荒れ果てさせる。
その町は,四十年間,廃虚となった町の中で最も荒れ果てる。私はエジプト人を諸国民の中に散らし,国々の中に追い散らす。主なる神はこう言われる。
四十年の終わりになって、私はエジプト人を,散らされていた先のもろもろの民の中から集める。私はエジプトの繁栄を回復させ,彼らをその出身地である上エジプトの地に帰らせる。
彼らはそこでみすぼらしい王国になる。それはどの王国よりもみすぼらしくなり、二度と諸国民の上に立つことはない。私は彼らを小さくし、諸国民を支配することがないようにする。
この王国は二度とイスラエルの家にとって頼みとはならず,彼らの後を追ったときの過ちを思い起こさせる。こうして、彼らは私が主なる神である ことを知るようになる」』。
(エゼキエル 29:1~16)