ネトゲーでは一人で気ままにやるのが好きな人も確かにいる。
でもやっぱり、ネトゲーをやる以上は、何かしらの人間集団に参加して、
多かれ少なかれ、プレイする友達を作るもんだろうとは思います。それが普通だと。
最初は自分もそうだったんですよ。
友達に誘われて、友達のいる共同体の一員になってワイワイやってたんです。
私にもROで友達はいます。決して多くはありませんが。
多くないというのは、自分にも原因があります。
なんと説明しましょうか。石の上にも三年と言いますが、そういう過ごし方ができなかったせいというか。
ちゃんと人間関係を続ける努力をサボってきたせいです。人を好き嫌いし過ぎたのかもしれません。
些細なことでも居心地悪くなるタイプなので、そうこうしているうちに気付けば鞍替えしてるんです。
もしかしたらただ単に、「話の輪に入れなくて飽きた」という動機もあったかもしれない。
西花屋とか牛乳屋さんの近くとか、南の臨公広場とかとか。
思い返してみると、案外色々な溜まり場を転々としてきたものですね。
結果としてお世話になった方々に迷惑をかけたり、不快にさせてしまったことは反省しています。
謝ってもどうにもなりませんけど。
もうずいぶん長い期間、帰る場所=カプラ(補給基地)という感じの人生を送ってます。
慣れっこですよ。
交友関係は狭いですが、現状に不満はありません。
むしろ友人が増えすぎたら、狩りに誘う誘われるのやりとりが煩わしそうで。
少ない方が気楽でいいんじゃないかなと思ってます。
私のこの価値観は異常でしょうか。
もちろん私がソロ厨っていうのもありますよ。
PT人数がある一定を超えたあたりから、急に面白味が薄れるんです。
自分の力で戦ってるんだ、って気持ちになれないのかな?
イベントや交遊目的の狩りとかは別ですけど、
経験値を取りに行くつもりでそれなりに本気でとなると、多くて4~5人が楽しめる限界。
かつてLK時代に名無し臨も10回以上はいったはずですが、最後まで楽しいと思ったことはありませんでした。
もっとああしてこうして、貢献して、楽しめるようになれたらとは思ったのですが、ダメでしたね。
なんででしょう…?
自由に動けないのが嫌い。
たくさんのキャラやMobやエフェクトに、自分が埋もれて見えなくなるのも嫌い。
そしておそらく、用意された役を演じさせられる、というのが心理的に嫌いなのでしょう。
そもそも、臨公PTで求められることと自分のやりたいことが食い違っていたのが決定的だったんですよね。
端的に言えば、AGIパッシブでボコスカするか、誘導役と壁に徹するかというスタイルの違い。
思ってることを正直に言うと、他人に貢献するために、そしてその見返りのために、
やりたいことを諦めるよう強要されるのが嫌いです。
それだったら一人で自由に楽しくやる方がいいに決まってる。
ガンガンレベル上げたりとかは出来ないけど、そこまでレベルに執着しているわけじゃないし。
一見すると、自分勝手な俺様主義もいいところですね。
私にとっては、好きなキャラでやりたいことが出来るかどうかが全てであって、
レベルというのはそれを実現するための手段なわけです。目的ではないのです。
そういう思考の上で、Gvも好きではないからやらない、PTの鉄板になることにも魅力を感じない私は、
周りの人と比べて、そこまで高レベルにしなくても自分のやりたいことを達成できるわけで、
あまり経験値に神経質になる必要がない。
要は、効率と楽しさを天瓶にかけて、そのつり合い加減に自分が納得できればいいわけです。
こういう価値観に変化したきっかけは何だっただろう。
名無しを通過することになったのは、70台のVITバランス村正のソロの辛さゆえに経験値に目が眩んだからで、
VITバランス村正という無茶な型を選んだのは、そもそも村正が使いたくなったからで、
村正が使いたくなったのは、転生後のプランを考えた時に、
もはや神速騎士というアイデンティティが存続出来なくなっていて、
それに代わるコンセプトを模索せざるを得なかったからで…。
しかしながら、決定的な分かれ目はおそらく、村正に至る過程で、
『これからは誰にも頼らず、ずっとソロでも生きていける』
という予感が知らぬ間に芽生えていたからでしょう。
素騎士時代、いよいよ発光を目指そうと思った時、気づけば自分のいた家はすっからかんで、
(極たまに自分以外の人もいましたが)
誰かと話さず狩りだけしてログアウトする毎日の繰り返し…そんな期間が長過ぎました。
騎士のレベル上げが本当にしんどくなってきた時、
周りには頼れる人がいない、気分転換のために世間話する相手も普段はいない。
けれど、神速騎士だった時点で、もはや誰にも助けを求められそうにない―。
それを自分の力で成し遂げたことが、ゴールであると同時にスタートにもなったわけです。
でも、その時の周りの人は皆消えてしまったようでいて、何人かはちゃんとROにいたんですよね。
なんとも皮肉な話です。
知人友人、仲間達を大切にしてこなかった自分の非の大きさも計り知れません。
それともう一つ、大きな影響を与えているのが村正。
村正を手に取ったことで、生き方がだいぶ変わったと思います。
もし村正がなかったら、下手すれば私は騎士を転生させぬうちにROから手を引いたでしょうから。
R化によって呪いが消える前の村正は、正真正銘の妖刀でした。生き方さえ狂わせてしまいかねないのです。
なぜこんな些末なことを長々と書きあげたかというと、
今ある意味でROの節目に差し掛かっているような気がするからです。
今夜、予定通りにいけば、弓ローグが発光します。
4年くらいやってようやく二人目の発光。人に言ったら笑われるでしょうね。
欲しかった装備が値崩れしたり、システムが変わったりしたおかげで、
弓ローグがものすごく楽しいです。
ですが、その分だけ村正RKと葛藤が生じています。
本当に、村正RKが自分の本命だと言いきれるのか。
自分が本当にやりたいことは、むしろ今なら弓ローグでこそやり切れるのではないか―。
最近、漠然とそんな風に考えることがありました。
また見苦しいものをお見せしてしまい申し訳ありません。
この続きは、もしかして気が向いたらそのうちお話します。
でもやっぱり、ネトゲーをやる以上は、何かしらの人間集団に参加して、
多かれ少なかれ、プレイする友達を作るもんだろうとは思います。それが普通だと。
最初は自分もそうだったんですよ。
友達に誘われて、友達のいる共同体の一員になってワイワイやってたんです。
私にもROで友達はいます。決して多くはありませんが。
多くないというのは、自分にも原因があります。
なんと説明しましょうか。石の上にも三年と言いますが、そういう過ごし方ができなかったせいというか。
ちゃんと人間関係を続ける努力をサボってきたせいです。人を好き嫌いし過ぎたのかもしれません。
些細なことでも居心地悪くなるタイプなので、そうこうしているうちに気付けば鞍替えしてるんです。
もしかしたらただ単に、「話の輪に入れなくて飽きた」という動機もあったかもしれない。
西花屋とか牛乳屋さんの近くとか、南の臨公広場とかとか。
思い返してみると、案外色々な溜まり場を転々としてきたものですね。
結果としてお世話になった方々に迷惑をかけたり、不快にさせてしまったことは反省しています。
謝ってもどうにもなりませんけど。
もうずいぶん長い期間、帰る場所=カプラ(補給基地)という感じの人生を送ってます。
慣れっこですよ。
交友関係は狭いですが、現状に不満はありません。
むしろ友人が増えすぎたら、狩りに誘う誘われるのやりとりが煩わしそうで。
少ない方が気楽でいいんじゃないかなと思ってます。
私のこの価値観は異常でしょうか。
もちろん私がソロ厨っていうのもありますよ。
PT人数がある一定を超えたあたりから、急に面白味が薄れるんです。
自分の力で戦ってるんだ、って気持ちになれないのかな?
イベントや交遊目的の狩りとかは別ですけど、
経験値を取りに行くつもりでそれなりに本気でとなると、多くて4~5人が楽しめる限界。
かつてLK時代に名無し臨も10回以上はいったはずですが、最後まで楽しいと思ったことはありませんでした。
もっとああしてこうして、貢献して、楽しめるようになれたらとは思ったのですが、ダメでしたね。
なんででしょう…?
自由に動けないのが嫌い。
たくさんのキャラやMobやエフェクトに、自分が埋もれて見えなくなるのも嫌い。
そしておそらく、用意された役を演じさせられる、というのが心理的に嫌いなのでしょう。
そもそも、臨公PTで求められることと自分のやりたいことが食い違っていたのが決定的だったんですよね。
端的に言えば、AGIパッシブでボコスカするか、誘導役と壁に徹するかというスタイルの違い。
思ってることを正直に言うと、他人に貢献するために、そしてその見返りのために、
やりたいことを諦めるよう強要されるのが嫌いです。
それだったら一人で自由に楽しくやる方がいいに決まってる。
ガンガンレベル上げたりとかは出来ないけど、そこまでレベルに執着しているわけじゃないし。
一見すると、自分勝手な俺様主義もいいところですね。
私にとっては、好きなキャラでやりたいことが出来るかどうかが全てであって、
レベルというのはそれを実現するための手段なわけです。目的ではないのです。
そういう思考の上で、Gvも好きではないからやらない、PTの鉄板になることにも魅力を感じない私は、
周りの人と比べて、そこまで高レベルにしなくても自分のやりたいことを達成できるわけで、
あまり経験値に神経質になる必要がない。
要は、効率と楽しさを天瓶にかけて、そのつり合い加減に自分が納得できればいいわけです。
こういう価値観に変化したきっかけは何だっただろう。
名無しを通過することになったのは、70台のVITバランス村正のソロの辛さゆえに経験値に目が眩んだからで、
VITバランス村正という無茶な型を選んだのは、そもそも村正が使いたくなったからで、
村正が使いたくなったのは、転生後のプランを考えた時に、
もはや神速騎士というアイデンティティが存続出来なくなっていて、
それに代わるコンセプトを模索せざるを得なかったからで…。
しかしながら、決定的な分かれ目はおそらく、村正に至る過程で、
『これからは誰にも頼らず、ずっとソロでも生きていける』
という予感が知らぬ間に芽生えていたからでしょう。
素騎士時代、いよいよ発光を目指そうと思った時、気づけば自分のいた家はすっからかんで、
(極たまに自分以外の人もいましたが)
誰かと話さず狩りだけしてログアウトする毎日の繰り返し…そんな期間が長過ぎました。
騎士のレベル上げが本当にしんどくなってきた時、
周りには頼れる人がいない、気分転換のために世間話する相手も普段はいない。
けれど、神速騎士だった時点で、もはや誰にも助けを求められそうにない―。
それを自分の力で成し遂げたことが、ゴールであると同時にスタートにもなったわけです。
でも、その時の周りの人は皆消えてしまったようでいて、何人かはちゃんとROにいたんですよね。
なんとも皮肉な話です。
知人友人、仲間達を大切にしてこなかった自分の非の大きさも計り知れません。
それともう一つ、大きな影響を与えているのが村正。
村正を手に取ったことで、生き方がだいぶ変わったと思います。
もし村正がなかったら、下手すれば私は騎士を転生させぬうちにROから手を引いたでしょうから。
R化によって呪いが消える前の村正は、正真正銘の妖刀でした。生き方さえ狂わせてしまいかねないのです。
なぜこんな些末なことを長々と書きあげたかというと、
今ある意味でROの節目に差し掛かっているような気がするからです。
今夜、予定通りにいけば、弓ローグが発光します。
4年くらいやってようやく二人目の発光。人に言ったら笑われるでしょうね。
欲しかった装備が値崩れしたり、システムが変わったりしたおかげで、
弓ローグがものすごく楽しいです。
ですが、その分だけ村正RKと葛藤が生じています。
本当に、村正RKが自分の本命だと言いきれるのか。
自分が本当にやりたいことは、むしろ今なら弓ローグでこそやり切れるのではないか―。
最近、漠然とそんな風に考えることがありました。
また見苦しいものをお見せしてしまい申し訳ありません。
この続きは、もしかして気が向いたらそのうちお話します。