耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

“佐世保銃乱射事件”~何が問われているのか

2007-12-21 10:30:41 | Weblog
 またも痛ましい事件が発生した。当地では2004年6月、「児童殺傷事件」が発生し世間の耳目を集めたが、「どうして?」と言うしかない重大事件の続発ですべての市民がひどく狼狽している。明治の“富国強兵”策のもと「海軍の街」として栄えた佐世保は、戦後は事実上、米駐留軍の支配下に置かれ、原子力潜水艦や原子力空母の寄港地として、その激しい「寄港反対!」運動を通してあまねく知られてきた所でもあるが、考え及ばない事件の連発にはただ慌てるばかりである。

 今回の事件は、容疑者の自殺で犯行の原因が特定できていないが、ほぼ間違いないとされているのが「ストーキング」説である。「ストーキング」とは「特定の他者に執拗につきまとう行為」で、動機は「好意の感情」によるものがもっとも多く、全体の5割以上、「好意の感情が満たされなかったことに対する怨恨の感情」が3~4割を占め、さらに、被害者と面識のないものによる行為は全体の1割弱で、大部分は面識あるものによる場合が多い」という。

 参照:「ストーキング」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC

 ここには「ストーキングの様々なタイプ」が挙げられているが、今回の「乱射事件」の容疑者は「主に一方的な恋愛感情による“略奪型ストーキング”」の類型と言えるかも知れない。被害者女性の立場からは一種の「災難」とでもいうしかあるまい。ここまではほぼ推定できる犯行の背景だが、なぜ友人や居合わせた子どもまで巻き添えに殺傷しなければならなかったか、動機の解明はこれからのようである。

 容疑者の性格や不断の生活態度については周辺住民による様々な情報が流されているが、人それぞれの見方があって特定できるものではない。唯一つ、共通する証言として容疑者の「銃保持」への不安があげられている。最初の「銃」は、猟友会を脱会した近所の人から譲り受けたと言われているが、容疑者が居住する隣町の猟友会員Nさんとは、イノシシ駆除のため畑の上に「罠(わな)」を仕掛けてもらった仲である。前にも何回かイノシシに悩まされていることを書いたが、一頭捕獲したあと最近は出没しなくなったので、安心して畑に生ゴミを投入したらたちまちその生ゴミを食い荒らし、ついでにエンドウやソラマメ、タマネギなどが踏み潰されてしまったので、猟友会のNさん、Hさんに報告した矢先に「乱射事件」が発生したのであった。

 イノシシによる農作物への被害は深刻で、当地周辺では、登下校児童の安全も脅かされているといい、駆除にあたるのはNさん、Hさん二人だけで、今では農家だけでなく学校からも駆除の依頼があって対応に苦慮していると嘆いている。こうした状況から、駆除の協力者が一人でもほしい猟友会の人たちが、容疑者の「銃保持」にいわば好意的に対応したのではないかと想像されるが、迷彩服を着るなどマニアックな最近の容疑者の異様な行動は、猟友会会員規則に著しく逸脱したものであったと言うしかあるまい。

 問題は、こうした容疑者の異様な行動に不安を募らせた周辺住民が、たびたび警察に相談したにもかかわらず警察が適切な対応をとらなかったことだ。警察の新たな説明によれば、銃の作動を制約する部品を警察が預かることを本人に告げ了解を得ていたにもかかわらず、直ちにその措置が実行されることなく事件は発生した。
栃木県でも猟銃による痛ましい事件が発生し、ずさんな容疑者の「銃保持」認可をめぐって被害者が県と警察の責任を問い裁判に訴えて勝訴しているが、今回の事件はこうした前例があるにもかかわらず事件を防げなかったのだ。

 この痛ましい事件は、防ぐことができたとみるのが一般的な常識だろう。そこらに転がっている石ころでも凶器になりえるが、凶器としての「銃」は格別のものである。だからこそ厳重な規制下におかれ、日常の市民生活とは隔離された状態で存在する。安全を保障すべき警察がその任を全うしていないとすれば、由々しきことと言えるだろう。最近の行政一般に言えることだが、最近の警察も市民感覚と随分乖離した組織になったように感じるのは私だけではないだろう。昔を懐かしむのではないが、村や町の「おまわりさん」の方が市民感覚にずっと近かったように思うがどうだろうか。