「皇室問題INDEX」設立準備室

マスメディアによる皇室の偏向報道、ネットに流れる東宮家への誹謗中傷を検証しています。

■検証:雅子様叩きに使われる「美智子様はご実家と疎遠だった」は本当?

2013-05-09 22:07:47 | 日記
 オランダ公務を終えた雅子様をねぎらい労わるどころか、さっそくバッシングを始めたマスメディア。叩きネタは、ご両親とわずか3時間半ほど滞在中のホテルでお茶の時間を持ったということなのですから、呆れるほかありません。

 雅子様とご実家の交流は必ずバッシングされ、そのとき必ず引き合いに出されるのが、美智子様です。「美智子様はご実家と交流を絶ち、ご両親は遠くから美智子様を見守った」というのです。このことは、TVの皇室特番でも週刊誌でも繰り返し報道されているため、ほとんどの国民はそう思い込んでいるはずです。しかし、本当なのでしょうか?

 このトピックでは、美智子様は「ご実家と疎遠だった」ことが本当なのかどうか、検証したいと思います。この件について、あなたの情報・ご意見をお寄せください。

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【参考記事】週刊文春5月16日号(5月9日発売)

○記事タイトル
雅子妃が「小和田雅子」に戻られた夜/ご両親に完全無視され凍りつく報道陣…

○本文(P26より抜粋)
 ベテラン宮内庁担当記者もこう話す。「いくら娘とはいえ、皇室に嫁がせた親族の控えるべき”一線”というのがあります。皇后さまのご実家である正田家は、頑なにその作法を墨守してきました。あれは昭和61年、まだ皇太子妃だった皇后さまの誕生日の会見のことです。『ご両親や兄弟と水入らずで会う機会はあるか』という質問に、『両親、それから兄弟も、どちらかというと遠くからいつも見守っていてくれます』『節度を守っていきたいという家族皆の気持ちを、寂しくても大切にしなくてはなりません』とお答えになっています。皇太子妃というお立場は、そういうものなのです」

 別の千代田関係者はさらに手厳しい。「今回、雅子妃殿下はご両親と会い、”小和田家の娘”に戻る時間をお持ちになったわけですが、正田家は、皇后陛下が嫁いでからは身を慎み、特に父の英三郎氏は世間の目を引くような会合に出席されることさえ控えるようになりました。それが『けじめ』だとお考えになったからでしょう。オランダに来たときくらい会えば良いという声もあるようですが、東宮御所でも頻繁にお会いになっているし、昨年9月には馴染みの高級中華料理店で、小和田夫妻の金婚式の御祝いの会もなさっていると聞きました。妃殿下と長く”途絶状態”にある両陛下よりもその距離は近いのです」
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Unknown (auxilia)
2013-05-09 22:52:02
「美智子妃」 河原敏明 著  講談社 刊

(昭和62年10月12日 第一刷発行)



120 p

附属邸は海ぎわながら細長い庭にはスロープがある。
その木立に三脚を立て、キャンパスに絵筆を揮ったり(時には父栄三郎と並んで画策を立て)、

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これは、智子妃がブドウ胎児の処置なども重なりノイローゼになり、葉山御用邸で静養していた時の話です。

天皇家の人間しか使用できないはずの御用邸に、正田栄三郎という、実父であれ、一般民間人が足を踏み入れ、皇太子妃と共に過ごす事ができていたのですから、美智子妃が実家と全く交流が無かったとは言えないのではないでしょうか。







「美智子皇后」   河原敏明 著   講談社 刊

平成2年10月20日 第一刷発行
(平成4年11月5日 第十三刷発行より書き出す)



267p

ただ年に1回七夕の織姫と彦星のように、わりと無礼講に楽しめる日があった。
正田家の別荘に、東宮ご一家が来られるのだ。
警察や侍従、女官たちがいるから完全な団欒とはいえないが、この日ばかりはジジ、ババとしてお孫さんたちを抱きしめ、用意の玩具で遊んだり絵本を読んであげられた。
孫が長じては話相手になり、スポーツに興じることもできた。


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この話からも、正田家と美智子妃は滅多に会えなかった、とは言えないのではないでしょうか。
七夕は一日しか会えないけれど (Dianthus)
2013-05-09 23:22:17
河原さんは、悲劇的な書き方をしているけれど、美智子様が、半ば御用邸のように定宿にしておられた千ヶ滝プリンスホテルには、毎年夏になると1ヶ月ほど滞在。

あまりに滞在期間が長いので?アーヤとサーヤは軽井沢の地元の保育園に通っておられました。


★秋篠宮さまや、黒田清子さん(紀宮さま)も通われたことのある、軽井沢町大日向地区の
「聖ヨゼフ保育園」が、今年度末で閉園することになった。
(以下略)
*+*+ YOMIURI ONLINE 2010/09/08[22:51:09] +*+*
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20100908-OYT8T00367.htm


1ヶ月も滞在しているのですから、一年一日ではなく、何日も気兼ねなく交流されていたのではないかと思うのですが。
一日しか会えない七夕になずらえるのは、ちょっと大げさすぎだと思います。

また、東京に戻られても、ちゃんと交流はなさっていたようです。

サーヤの幼稚園の授業参観に出席する美智子妃と正田富美子さん
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/03/614563c916ba81756ce6005f62e8502f.jpg
(アンチサイトより拝借)


むしろ、愛情細やかな交流こそが皇室の伝統のようですね。
Unknown (auxilia)
2013-05-09 23:57:01
>父の英三郎氏は世間の目を引くような会合に出席されることさえ控えるようにな
りました。



昭和35年10月7日 朝日新聞

羽田空港には、天皇皇后両陛下のお使いとして三谷侍従長が出向くほか、各皇族、ご親戚や正田英三郎夫妻、池田首相以下閣僚、外交団代表など約100人がお出迎えされる。

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本当に控えていれば、このような場所には出て来ないのではないでしょうか。



Unknown (auxilia)
2013-05-11 10:10:22
新版  「天皇家のお茶の間」
河原敏明 著   イースト・プレス 刊
1993年2月20日 第1刷発刊



152p.

皇太子の幼いころ、誕生日に東宮御所から招かれると、富美子さんは鉄腕アトムの人形などをプレゼント、皇太子を大喜びさせた。


==========

毎夏、軽井沢にある正田家の別荘で、明仁皇太子一家と正田夫妻は過ごすことができた。

浩宮さまのお誕生日には、招かれて東宮御所を訪問した。

正田夫妻と美智子妃は、少なくとも年に2回は会っています。

Dianthusさんのお話を加えれば、年に3回は会っています。


正田家と美智子妃は全く交流できなかった、というのは語弊があるのではないでしょうか。


雅子様とご実家を叩きたいだけの「千代田関係者」 (FUJI)
2013-05-12 00:48:20
このトピのテーマとはずれますが、”手厳しい「千代田関係者」”のコメントの矛盾や意地悪さが気になります。

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オランダに来たときくらい会えば良いという声もあるようですが、東宮御所でも頻繁にお会いになっているし、昨年9月には馴染みの高級中華料理店で、小和田夫妻の金婚式の御祝いの会もなさっていると聞きました。妃殿下と長く”途絶状態”にある両陛下よりもその距離は近いのです。
*********

★雅子様とご両親は「頻繁に会っている」?

そもそも「頻繁に」とは、どういう頻度を指すのでしょうか。オランダに住む小和田夫妻が「御所で頻繁に会っている」とは思われず。滞在先のホテルで3時間半を一緒に過ごしただけで、複数の雑誌を使って大バッシングされる状態で、そんなことが可能でしょうか。昨年9月に会っていることは確かだとして、半年以上前ですよ。

★金婚式の御祝いを叩きの材料にする意地悪さ

両親の金婚式のお祝いで食事をしたことを叩きの材料にするとは、いつの時代の小姑かと思います。わざわざ「馴染みの高級中華料理店」と言うのにも、下品な小姑根性を感じます。

★「妃殿下と長く”途絶状態”にある両陛下」という嘘

 皇太子ご夫妻は、4月に少なくとも2回、両陛下にお会いして食事を共にされていますね。

・「女性セブン」2013年4月25日号(同4月11日発売)
記事タイトル:「皇太子妃雅子さまオランダご訪問「極限決断」に外務省の冷眼
本文より:皇太子ご一家は、4月7日に御所を訪問されている。両陛下から”お昼を一緒に”とお誘いがあったため。

・「女性自身」2013年4月30日号(同4月16日発売)
記事タイトル:雅子さま涙の闘い! オランダご訪問へ 奮起の決意を阻んでいた「宮内庁の姑息」
本文より:4月10日は天皇皇后両陛下のご成婚54周年の記念日で、東宮御所でお祝いの夕食会が開催された。

★結論: ”手厳しい「千代田関係者」”というより、”皇太子妃とそのご実家を叩きたいあまり平気で嘘もつく「千代田関係者」”でしょう。

皇太子妃を守らなければならない立場のはずの「千代田関係者」が、皇太子妃を叩くために、嘘までついて週刊誌に悪口を書かせるとはどういうことなんでしょう。

「関係者」という書き方は巧妙で、千代田そのものなら役人としての責任を免れないところ、逃げていますね。

宮内庁は、この「関係者」がいったい誰なのか突き止めて、相応の処分をすべきではないですか。こうした怪しい「関係者」を野放しにするのは、皇太子妃殿下のご病気悪化を望んでいるとしか思えません。
正田英三郎さん御夫妻の結婚記念日 (鈴蘭)
2013-05-13 00:07:18
週刊文春2013年5月16日号で、雅子さまが小和田恒さん御夫妻の金婚式に出席した件を非難しています

でも美智子さまも出席しています
ブログ「Mrs Oakley Fisher の台所から」の過去記事で、雑誌記事(画像)中、「美智子さまは正田英三郎さん御夫妻の結婚記念日などに行っている」旨の記述がありました
確か「明仁さま御一家が、日清製粉の中央研究所を見学した記事」に書かれていたと思います

ブログは過去にパスワードを取得した人のみ閲覧可なので私は現在、閲覧できません
どなたか閲覧できる方、雑誌名・号数を書き出していただけないでしょうか

ブログには正田英三郎さんと明仁さま美智子さまが写った別記事もあり、それは「軽井沢静養前の明仁さま美智子さまが、正田英三郎さんに案内されて日清製粉の記念館?工場?を見学」というものもありました
(すぐに軽井沢で正田家の方と会えるのに)「なかなか会えない」という説明がついていました
Unknown (れみ)
2013-05-13 13:59:52
美智子様とご実家の交流は下の記事を読んでもマスコミが報じてきた以上に結構頻繁にあったようですよね。

★ 新証言「母・富美子さんと密会のとき」 文藝春秋五月特別号 1

美智子妃のご成婚前から正田家に仕えて来た澤田喜一郎氏(仮名)がいまはじめて語る。
大宅荘一のいう「格子無き牢獄」にいる美智子妃を富美子さんはただ見守るだけだったのか。
澤田氏は「そんなことはありません」とこれを否定した。
「両殿下は御忍びでよく正田家にお見えになりました。
皆さんが思っている以上に来られています。
そのたびに私は『手伝いに来てくれ』と呼ばれるのです。私の役目は、侍従とか女官の相手をすることでした。
お母さまは、お二人が見えられるとほんとにうれしそうなお顔をされていましたね。
夕食はわりと中華料理が多かったと思います。
就寝時間があるのか、食事をすませると、お子様だけ先にお帰しになり、そのあと、
両殿下はゆっくりとすごされました」
美智子妃と富美子さんは思うように電話もできなかったといわれたが、
婚約発表の直後、正田家に引かれた東宮仮御所との直通電話が、ご成婚後は富美子さんの部屋に移され、 その後も使われていたという。
「お部屋にお茶を運んでいくと、お母さまがよく電話されていました。美智子様と
お話されているときはすぐわかるんです。にこにこされていますから」(お手伝いさん)
電話だけですまないときは、その足で東宮仮御所に向かった。
「仮御所には正田家の車で行っていました。あの頃はBMWだったかな。その前はオペルでした。
仮御所へはお一人で行かれることが多いのですが、ときどき英三郎さんと一緒のときもありました」(澤田氏)
とくに頻繁に訪れるようになるのは、浩宮を出産した頃だったという。
「赤ちゃんができると、いろいろ相談したいことがあったんじゃないでしょうか。女官には
頼めないものもあったようで、たとえば『これ、買っておいてね』と、頼まれたこともあったようです」(澤田氏)
「軽井沢の別荘」は、お忍びでよくいらしていました。
東京にある日清製粉のテニスコートを使うこともあったという。
「社員のための施設ですが、あのテニスコートは、生垣がびっしり茂っていて、外から
見えないんです。お忍びでテニスをするにはちょうどいいんですね。
殿下はテニスをしたあと、お風呂にはいって帰られました。五、六人ほど入れる湯船でしたね」(澤田氏)
それから正田家は鎌倉にも別荘があったので、両殿下は葉山に行かれたら、 帰りには鎌倉の別荘に立ち寄られたそうです。お母さまは週末から行っておられたとか。
英三郎氏と富美子さんのお墓は鎌倉霊園にある。


 これだけでなく美智子様が清子さんを柿の木坂幼稚園に通わせたのは妹の家に近かったからとか(これも交流があったのでしょうね)
国民には知らされないご実家との交流は相当あったと見受けられます。
 個人的には皇族であってもご実家との交流をされてもいいと思うし批判される程の事ではないと思いますが、
雅子様への強烈なバッシングを考えるとダブルスタンダードも甚だしいのではないかと疑問です。
 それと黒田清子さんが目白で何年もお見掛けしない、皇居に出戻っているなどという噂があるのですが
それが事実ならば皇族の立場を離れた人が税金で暮らしているという話になりこちらの方が大問題になるのではないでしょうか?
 親子であっても皇族と平民はケジメをつけた接し方が必要だと言うなら、清子さんについてもマスコミは言及するべきだと思います。
美智子様ご実家と皇室(当時の皇太子ご一家)の交流 (INDEX)
2013-05-13 22:35:02
鈴蘭様

ブログ「Mrs Oakley Fisher の台所から」の過去記事について、管理人様のご許可を得て、ご指摘の記事を、転載させていただきます。

(1)「美智子さまは正田英三郎さん御夫妻の結婚記念日などに行っている」旨の記述。確か「明仁さま御一家が、日清製粉の中央研究所を見学した記事」に書かれていた。

(2) 正田英三郎さんと明仁さま美智子さまが写った別記事もあり。「軽井沢静養前の明仁さま美智子さまが、正田英三郎さんに案内されて日清製粉の記念館?工場?を見学」というものも。

まず、(1)について、台所ブログ(2012/05/11)から転載します。「」内が雑誌記事からの引用で、地の文は管理人のオークリー様のコメント(歯切れよい!)です。
(2)については、この後のコメントで。

なお、コメント欄に画像を貼れないため、新トピのほうに関連画像を貼りました。そちらも、どうぞご参照ください。

■娘は皇室にさしあげたもので、もう正田のものではございません2012/05/11 (Fri)
資料本 美智子妃関係 FOCUS 1983年4月15日発行 新潮社

「英三郎氏の古希の祝いや、夫妻の結婚記念日には、やはりご一家揃って正田邸を訪問なさっている。正田氏側も、浩宮様の誕生日などで、東宮に招かれることが、ままあるようだ」

今回、西尾幹二がいい加減なことを吠えてる週刊新潮、おんなじ出版社なのよね。ホントにその時その時で好きなように書いてる(つまり捏造記事)ということがよくわかるわ。

「美智子妃の里帰りは全部でわずか十数回、親兄弟を交えて水入らずで賑やかに過ごす機会はほとんどなかった」

「吹上御所で天皇・皇后両陛下から会食の宴に招かれたことがついに一度もなかったという事実は、今日に伝えられていまさらのように驚かされる話である。」

正田夫妻の結婚記念日なんか1年に1回あるんだし、孫の誕生日は年に3回あるんだし、それでお互い行き来しているんだからいいんじゃない?

この他、小坂井先生の「浩宮の感情教育」は、先生たちを東宮御所に招待する時にもこの夫婦が来ていて「孫がお世話になりまして」と頭を下げるところから始まる。
西尾幹二に言わせると、その上で、さらに昭和天皇・香淳皇后は息子の嫁さんの親を一席設けて歓待しないのはけしからん、ということになるが?

どっちにしても、いい加減に「正田家はご遠慮してご立派」「小和田家は好き勝手にしてけしからん」のウソはやめなよ。

小和田氏が好き勝手に出来るようなら、雅子さまは適応障害なんかにならないよ。

むしろ、日清製粉が娘を皇室に嫁がせているという事実は、英三郎氏が銀座で省庁の役人や経団連のお歴々をご接待しなくても、やっていけたということなんだから。

アメリカの農務省の小麦販売担当は、アメリカの小麦戦略という本の中で、正田英三郎氏と知己を得たことで、アメリカ余剰小麦の販売成功の鍵を握ったって言ってますぜw

笹川良一が日清製粉の株買い占めをした時、当時の富士銀行会長岩佐氏(銀行協会会長だったと思うが)が仲裁に乗り出して、株を返させたんだよ。(だれもあの競艇のドンがタダで返したとは思っておらんけどねw)
護送船団方式で大蔵省の睨みが効いた頃だから出来たんだと思うよ。
しかし、こんな生臭い話を聞くと、小和田氏が国家公務員で良かったよ。

敬宮殿下も小和田のお祖父様の案内で国際司法裁判所を見学される機会がありますように。

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転載は、以上です。
ほんとうに、愛子様が、小和田のお祖父様のご案内で、オランダの国際司法裁判所を見学される日が来てほしいです。
すばらしい国際親善になるでしょう。なぜ、そういう配慮がなされないのか不思議です。
配慮がなされないどころか、意図的に忌避されているのではないかと思えます。
小和田氏が国際司法裁判所長という要職にあられたときも、ほとんど意図的に無視されていた気がします。
Unknown (auxilia)
2013-05-13 22:40:37


「美智子皇后」    河原敏明 著  講談社 刊

平成2年12月20日 第1刷発行
平成4年11月5日 第13刷発行


267p.

新年の拝賀と各宮さまの御誕生日だけ



269p.
美智子妃は殿下のご理解のもと、おしのびのお見舞いをつづけていた。


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美智子妃と正田家との交流が少ないと、悲劇的な文体で書かれています。

でも、今になって読み返すと、美智子妃は、雅子妃よりも遥かに実家と交流していたと判断しても良いのではないでしょうか。
日清製粉工場に栄三郎氏を訪ねられた美智子様と明仁様 (INDEX)
2013-05-13 23:10:08
鈴蘭様

先にご指摘いただいていた次の記事ですが、

(2) 正田英三郎さんと明仁さま美智子さまが写った別記事もあり。「軽井沢静養前の明仁さま美智子さまが、正田英三郎さんに案内されて日清製粉の記念館?工場?を見学」というものも。

お台所からお借りした写真を別トピに貼りましたので、ご参照ください。この記事には、次のように書かれています。

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週刊明星 昭和44年12月5日発行

今年8月、群馬県館林にある日清製粉の工場をお訪ねになったお二人は、久しぶりに父正田英三郎氏と楽しいひと時をすごされた。
軽井沢へご出発になる前日という、あわただしいご日程だったが、めったにお会いになる機会もないだけに、お話がはずむ。
広い工場内を英三郎氏の案内でお歩きになりながら、幼い頃、疎開していた時の記憶を楽しく思いだされる美智子さま。父と娘と心からくつろがれた忘れられない一日であったに違いない。
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いまは亡き週刊明星の記者の、なんと暖かい文章でしょうか。比べて、わずか3時間半、父上とお茶の時間をもっただけで、雅子様とその父上を口を極めて罵り叩きまくる文春、新潮の記者・編集者・デスク・発行元の、なんと非道なことでしょう。 

なんのために?誰の意向で?と思わずにはいられません。

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