「皇室問題INDEX」設立準備室

マスメディアによる皇室の偏向報道、ネットに流れる東宮家への誹謗中傷を検証しています。

■検証:雅子様叩きに使われる「美智子様はご実家と疎遠だった」は本当?(関連画像)

2013-05-13 22:03:01 | 日記
コメント欄に画像を貼れないため、このトピックを
前トピ「■検証:雅子様叩きに使われる「美智子様はご実家と疎遠だった」は本当?」
の関連画像を貼るトピにしたいと思います。
ブログ「Mrs Oakley Fisher の台所から」の過去記事から、管理人様のご許可を得て、転載いたします。

■資料本 美智子妃関係 FOCUS 1983年4月15日発行 新潮社

正田氏夫妻を会社に訪ねた皇太子ご一家の写真です。記事には、「英三郎氏の古希の祝いや、夫妻の結婚記念日には、やはりご一家揃って正田邸を訪問なさっている。正田氏側も、浩宮様の誕生日などで、東宮に招かれることが、ままあるようだ」と書かれています。



■資料本 美智子妃関係 週刊明星 昭和44年12月5日発行

父、英三郎氏を訪ねた、美智子様と明仁様ご夫妻の写真です。



■資料本 美智子妃関係 昭和48年8月

テニスコートで審判をする明仁様、それを笑顔で見守られる英三郎氏ご夫妻、
テニスコートから戻られた美智子様と徳仁様の写真です。



■資料本 美智子妃関係 元「女性自身」カメラマン・清宮由美子「美智子妃誕生と昭和の記憶」 

浩宮様を抱き、6度目の里帰りをされた美智子様の写真です。昭和36年の1月19日









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4 コメント

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嘘つきは泥棒の始まり (Dianthus)
2013-05-13 22:55:10
●週刊文春 2000年8月17日24日号
「憂慮レポート 孤独の人雅子妃」ご成婚のあの笑顔がなぜ消えたのか? 

「はじめて民間から皇室に入られた美智子さまは、銀婚式まで七回しかご実家に帰られなかったそうです。しかし美智子皇后が道を拓かれたので、今ではご実家の方々が御所に伺って雅子様をお慰めできるそうです」(文化女子大学教授で、ジャーナリストの渡辺みどり氏)

上記の記事は、雅子様がまだ敬宮様を出産される前の話なので、同情的な論調と思いきや
上記のようなビミョーなうそこき美智子様賛美が混じっているのでした。

美智子様は、上記の記事によれば、すでに昭和36年の時点で「6度目」の里帰りをなさっています。

また、まるまると太った赤ちゃんアーヤを抱いての里帰り写真もありますが
そこによれば、浩宮様は2年ぶり、アーヤは初めての里帰り、だそうで。つまり、昭和41年の間に少なくとも8回は里帰りなさっていたわけですな。
(でも2年弱で6回里帰りなさっているんじゃ、昭和36年の次が昭和39年ってことはないだろう)

このペースで里帰りしてるんじゃ、銀婚式(結婚25周年)までに、7回じゃなくて、17回? 27回? 37回?

それにしても、2000年の時点で、ご流産が側近中の側近から漏れたこと、宮内庁病院に診察に行く姿がカメラで撮られあんまりだ、なんて同情もありながら、雅子様がカメラを嫌がり、取材設定を無くそうとされることを微妙にdisる週刊文春。
なんて鬼畜なんだ。

香淳皇后さまの葬儀ご欠席も、理由が「夏バテ」であることに不満そう。あってはならぬこと(ある皇室関係者)、とも。
ただ、この時点の書き方は、そんな大事なことにご欠席なのは「良いニュースの前兆なのかもしれない」ともあるけれども。

うーん、微妙に雅子様バッシングに転じそうな感じ
取り敢えず鉄壁の美智子様アゲ
もうこんなときからなんだ、と改めて思いました。
正田夫人と芦田淳氏 (haduki)
2013-08-21 15:42:00
「雅子様の着回し、美智子様の衣装道楽」のところでも書きましたが、
2009年8月、日経新聞の私の履歴書の執筆者は、デザイナーの芦田淳氏でした。
2009年8月22日掲載記事の見出しには、
     「高島屋離れ銀座に出店 正田夫人の支援       社交界に人脈」とあります。
(芦田氏は、1966年以来、高島屋の顧問デザイナーのまま高島屋から給与をもらいながら美智子妃デザイナーを続けていましたが、75年に念願の独立、76年に皇室デザイナーを卒業します)

以下は記事本文からの引用です。
  
<・・・・「皇室デザイナー」としての実績が強力な後押しになったし、美智子様の母上にあたる正田富美子さんからも、特別な力添えをいただいたことが支えになったのは間違いない。
「世界に大きく羽ばたいてくださいね。」皇室デザイナーをやめた76年、美智子さまはこうおっしゃった。
そして正田夫人からは「10年間、妃殿下がお世話になりました。これからは私が全面的に応援します」と激励された。お二人から温かい支援をいただけた私は本当に幸せ者である。
駐日大使夫妻を招いて作品を披露する現在の私のショー形式は、実は正田夫人のアイデアである。最初のショーのメーンゲストに正田夫人とホジソン駐日米大使夫人になっていただき、18カ国の大使夫妻を招待した。
大使館には花文字と呼ばれる書体の招待状を送らないといけないなど外交マナーの基本も正田夫人から教わった。
こうして「皇室デザイナー」をやめた私は、日本の社交界にも人脈とビジネスの根をなんとか下ろすことができた。
わが社の基盤はまさにこの時期に固まったのだ。>

以上から、まず、美智子妃と正田家が疎遠であったなどというのが全くのウソであることがわかります。むしろ、公私混同気味で、とても緊密だったようです。
芦田氏は、以前から、インタビューや婦人雑誌で、皇后母娘の交流について率直に述べています。仮縫いの時などに正田夫人とお会いした、などと話していた記憶があります。

また、この記事から、正田夫人が各国大使夫妻と懇意であることもうかがえます。これも、正田家は華やかなパーティーや社交の場には出ず、ひっそり慎ましくしていたという週刊誌の決まり文句とは明らかに異なります。むしろ、夫人は、社交界でかなり中心的な存在だったとも思われます(記事に、マンスフィールド駐日米大使夫妻と、正田夫人、芦田氏の四人で談笑する写真も掲載)。

そして、私が最も感じたのは、これって、やっていいことなのか?という疑問です。
この文章から、明らかに正田夫人は、駐日大使夫人を芦田氏に顧客として紹介しています。
まさにパトロン的役割を果たしています。当時の上流婦人の感覚では当然のことかもしれませんが、それでも、おおよそ控えめといった感じはなく、むしろ、かなりやり手といった印象です。

各国駐日大使夫妻と懇意になったのは、娘が皇太子妃になってからでしょう。
この記事は、その皇太子妃の母という立場で、大使夫人という公人を使って、特定の業者にいわゆる便宜をはかっている、と読めなくもないのです。

これだけの上顧客を紹介してもらえれば、客層が何より重要な高級婦人服のデザイナーとしては、成功が約束されたも同然でしょう。実際、会社は飛躍的に大きくなっていきます。

何かそこまで支援しないといけない理由があったのかな…?と考えるのは穿ち過ぎでしょうか。

そして私の想像ですが、こうした「支援」、「便宜」は、芦田氏ほどではないにしても、昭和の東宮家の関係者やマスコミなどにも、その人や状況に応じた形で、大なり小なりあったのでは?
(昔、正田家が宮家関係者など多数に、高額の付け届けをしていたと何かで読んだ記憶がありますが、ご存知の方、いらっしゃいますか?)

いろいろ世話になると、表立っては、誰も美智子妃や正田家のことを悪く言えません。

昭和の皇太子妃のご実家が、お金と人の使い方に長けた商売人だったということは間違いないでしょう。




Unknown (Unknown)
2014-08-16 07:34:41
他ブログにアップされていた映像で知ったこと。

明仁皇太子と美智子妃が、伊勢神宮から戻り駅に到着した時、出迎えたのは正田夫妻だった。
それも、お帰りなさいと出迎える群衆に紛れて……ではなく、群衆から離れた場所で明仁皇太子と美智子妃の前に立ち出迎えた。
目立たず、堂々と群衆の前に立っている正田夫妻。

美智子妃と正田夫妻は交流を断っていたのは嘘であると言えよう。
Unknown (Unknown)
2015-02-25 15:35:35
某ブログへ飛び、そこから知ったyou tube です。

https://www.youtube.com/watch?v=AUlrVBL_tNg&feature=youtu.be&t=2m12s

タイトルは気にせず視聴して下さい。

そして3分15秒あたりを注視して下さい。

なんと正田夫妻が、明仁皇太子と美智子妃が外国訪問するということで空港まで見送りに来ています。

「美智子さまは実家とは疎遠であった。正田家は表舞台から姿を消してひっそりと過ごした。」と云う話が出ていますが、それは全くの嘘だったと、この映像から分かるのではないでしょうか。



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