タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

神々が顕れた理由・・・

2022-12-09 17:33:11 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

皆さまこんばんは。いつも御世話になっております。

当ブログは、2018年5月、真言宗智山派大本山・成田山新勝寺・大阪別院の本堂、御本尊・不動明王像に顕れられた、見目麗しい「ウカノミタマ女神」(ミカシキヤヒメ・三穂津姫・イチキシマヒメ・櫛玉姫・豊受大神・タマヨリヒメ・丹生都姫明神・ミツハノメノカミ・瀬織津姫・コノハナサクヤヒメ・弁財天・吉祥天と同一の女神と思われる) と、「ニギハヤヒノミコト」の御姿を伝えるために始めたブログです。

目的は既に達成しています。

神仏画師の持田 大輔氏に依頼して、有料にて御神画を制作してもらい、既に2点ともアップしています。本体は、成田山大阪別院に寄付金と共に寄贈しています。

一作目・・・何度も記述したように、実際の神々は、「肩から上しか」見えなかったので、勾玉など装身具や、肩から下は、あくまで想像図です。ただ、女神の額には、「冠具」がついていたのは間違いないです。古代の大王 (おおきみ) の妃神もしくは、女王だった神。

雰囲気はかなり似ている。「高貴な御姿」なんだけど、「ほんわり」(特に女神が) していました。

二作目・・・実際の神々は、このように正面向きで、「女神が先」「男神が後」に顕れられました。男神は、80%くらい似ています。18歳くらいで、顔に入れ墨「無し」、ヒゲも「無し」、聖徳太子のような角髪 (みずら) でも「無し」。「ふわっ」としたフツーの髪型に見えました。お優しいお顔立ちで女神とお顔立ちは似ておられました。ただ、「内に強い強い気」を持っておられると感じました。

女神は、73%くらい似ています。もう少し、小顔で細面・・・御顔が小さくて細い。髪型はこのような感じで、艶のある黒髪を上でくくって後ろに流されている感じ。両耳の横の左右の髪の束は、こんな感じです。背は高いと感じました。20歳くらいに見えました。眉毛は、もっと瞳と平行に、つり眉毛です。

この御神画より、瞳はもっと美しく、「凛とした」透明感ある、一重で切れ長の美しい瞳。鼻筋は通っている。いわゆる「キツネ目美人」「つり目美人」です。ただ、現代人の女性では似ている有名人はいません。口元は、女神男神ともに微笑んでおられました。女神は、絶世の美女・・・ですが、「ほんわり」しています。男神は、少年のオーラをまとった「内に強い強い気」を持った感じです。女神男神「一体」のような感じを受けました。最初に感じたのは「夫婦神」。そして「姉弟神」「異母姉弟の夫婦神」。(当たっているかは判りませんよ。私はそう感じたのです)

「私論」ですが、共に父神は、「スサノオノミコト」だと感じました。

私の場合、九星気学で言う「本厄」にブログをはじめてしまい、とにかく、急いで伝えなければの思いだけで、ここまでやってきました。

ブログで伝えることは是か非かを、比叡山延暦寺・横川の「元三大師堂」にて、執事 (しゅじ) に御祈祷していただき、元三大師様は、「大吉」のおみくじを下さったので、とにかく、体ボロボロの中、急いで綴ってきました。おみくじは大吉でも、「急がなくてもよい」みたいなアドバイスは書いてあったと思いますが、私の体がボロボロだったため、とにかく急ぎました。

ここで一旦、休眠に入ります。

私は、昔から、人より5年10年先に頭が飛んでいる人間です。

ただ、私の言葉はあまり世間の人に届かないクセは、幼いころよりありました。

後から、「言っていたことが当たりましたね」と言われることはよくありますが、

私はその時は既に、5年先に飛んでいる・・・それを繰り返しています。

私に、ひろゆきのようなメッセージ能力があれば、もっと伝えられるのにと思いますが、私にはそういう能力はありません。あまり目立つのが好きでないのです。

また、なにか書くことに熱意が出れば復活するかも知れませんが、

私の寅年生まれの性格は、「一度折れてしまったら、再起するのにすごく時間がかかる」と聞きます。

余談ですが、今年 (2022年) の諏訪大社様の「お粥占い」は、「三分六厘」でしたので、昨年まで続いた「三分五厘」の最悪の世相ほどひどくは無いけど、とにかく、一年終わるまで、「三分六厘」の世相の時は、「気を緩めないことですネ」。一年終わりとは、本来なら翌2023年節分までですが、とりあえず2023年、諏訪大社様で「お粥占い」が行われるまで・・・と考えて良いのではと思います。

この、ラフ画の時の方が「女神」は似ている気がする (こちらのラフ画は、女神77%くらい似ている)・・・。「さわやか」「涼やか」な美人女神でした。(でも眉毛は、瞳と平行で「つり眉毛」でした。

前述してますが、女神の髪型が大体わかったのは、顕れておられた10秒くらいの後半です。なにしろ、大きな「黒い」不動明王像をバックに顕れられたので、最初は、色白のショートカットでボーイッシュな美人に見え、そして、長い黒髪を上でくくって後ろに流しておられるのが見え、最後頃、両耳の横に綺麗な髪の束が「ふわっ」と動いたように見えたのです。おそらく、人類史上、お顔の整い具合で言えば、「最上級の美人」です。目鼻立ちがよく整った女神です。

御神画描いてくれた持田さんは、よく頑張ってくれました。

今日のタイトルにある、「神々が顕れた理由」・・・それは、

「知り得たことをできるだけ伝えなさい」ではないかなと思っています。相当血は薄くなっていると思いますが、一応、私は父方・母方ともに、子孫の氏族になるのではないかと・・・思います。(そうだとしたら、私は相当デキが悪い子孫ですが)

日本は「鎌倉時代から大きく狂い始め、明治から加速して狂った」。

インドと同じです。「唯一実在の ≪仏≫ であるお釈迦様が顕れた国」なのに、今や、お釈迦様はインドにおられず、数少ない仏教徒と遺跡が残るのみ。古代バラモン教時代は、仏教と「根は同じ道」だったのに、今やバラモン教が変化したと言われるヒンドゥー教は、古代バラモン教とは似ても似つかなくなっている。

日本も、「神仏はいまだに輝いているのに」、われわれ人間が、信仰心を失い、潜在的に残る信仰心は、真逆へと変化している・・・。

あと、巷でよく言われる、日本の神々とユダヤ、そして、キリストとの関係・・・前も書きましたが、私は全く関係ないと思います。古代氏族にそういうルーツがあるとかないとかの説も少しは知ってますが、私は関係ないと思います。

私はデキが悪い人間ですが、私の目を見つめる「女神」と「男神」の慈愛の眼差しは、「子孫を見つめる慈愛の眼差し」でした。これはたぶん初めて記したと思います。だから、当時、50代半ばの私が、「まるで童子のような精神状態に」なっていたのだと思います。

(直系の子孫は、穂積氏が有名です。石切剣箭神社 (いしきりつるぎやじんじゃ) の社家である木積氏は穂積氏の末裔)

ではまた。

・・・・・


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